とうとう、今日になりました。
『キネマ旬報』で石上三登志さんと西部劇対談。
前野裕一副編集長、岡崎優子さん、増當竜也さんに恭子さんが加わって。
『婦人画報』の取材で野川の辺りへ。取材スタッフの皆さんと。
恭子さんと千茱萸さんとの2ショット。
通りすがりの少年達を。
取材のみなさんとお疲れ様!
名古屋のマイルストーンの伊藤さんと前田さん。愛知博を一緒にやったお二人だが、「名古屋で映画を作りたいんです」と。
韓国ドラマ《海神》の広告取材。文藝春秋のスタッフさんと、《海神》関連のスタッフさん。
NHK石川アナウンサーがラジオ収録にいらした。「今、残したい日本映画監督の言葉」の特集番組。
『ハミングパーク』の取材。テーマは「子供と親」。
《22才の別れ》《転校生》のポスターの前で。「I LOVE YOU」!
──花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ。……たしか、こんな風に言い残して、先に逝って了った人がいる。別ればかりを反芻しながら、それ故に一所懸命生きてきた人の、悲しくも美しい言葉である。ぼくも中・高校生時代の文学少年だった頃、こんな言葉に憧れ、年中自分でも唱えていたっけな。
同じこの人の言葉に、「待つ身が辛いか、待たせるのが辛いか」、というのがあります。これには、うーむ、と唸りましたね。拠所ない事態が生じて、親友を置き去りにしたような形で待たせて了う。死ぬ程永い時間を、である。数日経って漸く生還したのだったか、或いは放っぽり置かれたまんまだったかの親友に、「こんなに人を待たせて、酷いじゃあないか」、と詰られて返した言葉である。普段のぼくらの暮しの中では、待たせた方が悪い。悪いから謝らねばならぬ。しかし人生、心ならずも待たせて了う事態もまま生じる。それでもやはり謝らねばならぬ。ならば待ってるだけの方が、むしろ辛くはないんじゃなかろうか。辛さや痛みは、おあいこじゃあないか。それからぼくは、待たされている時も、「ごめんね。ごめんね」、と待たしている人に謝りつつ待つことにした。それは何だか心嬉しく、待たされる辛さも失われていった。文学に憧れる、とは、そういうことでもありましたね。
お別れの時が、参りました。半年の間、オリンパスさんからご縁を戴いて、皆さんとブログという形でお話して来ました。写真もいっぱいお届け致しました。ブログもデジタルカメラ、ぼくには生まれて初めての経験でしたから、ぼく自身も大いに戸惑い、皆さんにも色いろご迷惑をお掛けしたことだろうと思い、身が竦みます。
でも、楽しかったなあ。この半年、デジタルカメラを片手に、あちらこちら旅ばっかりの日日の中を、パチパチ写真を撮って暮らしておりました。ぼくの親しい人や景色が、いっぱいいっぱい、その写真の中で笑っています。待たせて了った人もいっぱいいらっしゃるでしょう。待たせたぼくが、やっぱり悪いのです。ごめんなさい、ごめんなさいね。これから妻や娘や事務所のはずき嬢と一緒に、写真の山を前にして、きちんと整理して、皆さんにお送り致します。またお待たせしますけど。写真はやっぱり焼き増しして、封書に入れてお届けしなきゃあ、伝わりません。情が届きません。パチリ、の後が、写真になるのだという気が致します。心が届くのです。
最後の週は、嵐も来ました。嵐が去ると、夏が戻って来ました。ぼくは「ジョン・ウェインの映画を作るんだ」、と決めて、十八歳で父親の小さな8ミリキャメラ一台を貰って、古里の尾道から上京して来た人間です。そのジョン・ウェインが今年、生誕百年になるので、『ムービー』という雑誌でインタビューを受けたり、『キネマ旬報』で仲間の石上三登志さんと長編連載対談をやったり、先日は鎌倉で《捜索者》を上映して、トークショウを行って参りました。その一週間前にはこの同じ場所で、ぼくの昔の《転校生》が上映されたのでしたね。あの時も今回も、会場には昔ながらの熱い映画ファンの方がたがいっぱいで、皆さんにこにこ笑ってらっしゃいました。《転校生》はジョン・ウェインの《赤い河》がヒントとなった映画作りでしたし、今上映中の《22才の別れ》のラストは《捜索者》のナタリー・ウッドがジョン・ウェインに抱き上げられた時のポーズですよ、なんて内緒噺も致しました。映画のラストのローリングの後のワンカットですから、「ちゃんとお客様は見て下さるかしら」、とこの場面を演じた鈴木聖奈くんは心配していましたが、シナリオにも無くぼくの願いだけで撮影して了ったこの場面が好きだという聖奈くんは、ぼくの映画の心を愛してくれる素敵な“恋人”です。大きな女優に、ゆっくり育って下さいね。10月にはぼくの『転校生・本』が漸く出版されるでしょう。これもまた、ジョン・ウェイン本でもあります。楽しみにして下さいね。
金沢へ行って来ました。新しい素敵な美術館で、アイドルについての考察とテーマで相田冬二さんとの対談です。ぼくの《ねらわれた学園》と《時をかける少女》も上映されました。薬師丸ひろ子くん、原田知世くん、斉藤由貴くんの特集上映なのです。つまりはこの人たちはいわゆるアイドルではなく、女優として生み出されたのだという検証がなされました。
相田冬二さんは我が家の千茱萸さんと同年齢で、ぼくの息子のような若い方が、映画史女優史に誠実に立ち向かわれている姿が頼もしく、嬉しかったのです。豊かな何ものかが伝わっていくのは大切なことですよね。その伝承の輪の中の、ぼくも一人なんですから。
偶然、本当に嬉しい偶然ですが、この美術館の直ぐ近くの映画館で、新しい《転校生》が上映されておりました。館主さんやそのスタッフが是非に、と《転校生》を金沢に呼んで下さったのです。会場の、やはりにこにこ笑顔の年配の映画ファンの方たちを前に、飛び入りの舞台挨拶を致しました。この映画館のスタッフの皆さんは、二年前に昔の《転校生》をこの金沢で上映して下さったのだとお聞きしました。《転校生》も《22才の別れ》も、こうしてこれから若い人たちに、ゆっくり伝わっていくのでしょう。お父さんやお母さんが好きだった映画が、若い人たちに受け継がれていく。これが映画の喜びなんですね。そうそう、去年アニメーションで《時をかける少女》を作った細田守監督は、この金沢大学の学生時代、何と「大林宣彦ピアノコンサート」なるものを企画して、それがご縁で映画の世界に入って了ったのだということでしたね。
あ、こうしてぼくの映画を纏めて見ていると、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「さようなら」。この三つの言葉が芯になっていることに気が付きます。ぼくは一所懸命、映画に託して人の生きる道筋を物語る努力をして参りましたが、ではそろそろ皆さんとも、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「さようなら」、のときが来たのですね。このブログを皆さんにお届けするために一所懸命だった(ぼくが知らないうちに尾道にまで行って下さっていた!)、スタッフの皆さんにも、そしてぼくの人生にたくさんの出逢いを作って下さったオリンパスさんにも、心からの感謝を。
はずき嬢によると、いまぼくの事務所では六本の映画の企画が進行中だそうです。そのうち何本の夢が実現するのでしょう。お若い人がぼくと組みたがって下さるのが、この頃、本当に嬉しいです。恭子さんも、千茱萸さんも、もう色いろ動き出しています。さあ、新しい映画が始まるぞ。お別れするのはさびしいけれど、ぼくはこれからも一所懸命、映画を拵えて生きてゆきます。皆さまも、お元気で! またお会いできることを願いつつ。愛を込めて。……
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