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2007年03月22日

日本の古里から考える。

テーマ: かく撮りき

今回の原稿と大分合同新聞

 「寒いですねえ!」。「いやあ、ほんと、芯まで冷えますねえ!」、と誰もが身を竦め、がたがたに震えながら、にこにこしている。
 三月も半ば。辺りは一面の菜の花だ。本来ならば「暖かくなりましたねえ」。「ほんと、もう春ですねえ」、の季節であります。ぼくらは撮影だというので、皆働き易いTシャツ姿で、東京からやって来た。今年は冬が無いとも言っていいほどの暖かさだったから、皆吹き出す汗に備えての薄着で、大分へ戻って来たのでした。すると日本中が、突然の寒さである。撮影は暖かい方が良いに決まっているのだが、この不意の寒さが嬉しくてにこにこしている。「やっと、冬に出合えましたねえ!」。「寒いってのも、やっぱり良いですねえ!」、とがたがたぶるぶる。
 異常な暖冬の中で、ようやく味わう事の出来た冬の寒さ。普通である事は良い。ぼくらも良い撮影が出来るだろう。

陶芸の郷・篠山市今田町

 大分に戻って(敢えて「来て」ではなく、「戻って」と書くが)、二日目の朝。ホテルの窓からの、何でも無い町の景色。去年の四月と五月、そして六月に至るまで、毎日見馴れた景色。陽は爽やかに明るいが、家家や街路を往く人の影がくっきり見えるのは、風が強いからだ。「今日も表は寒そうだぞ!」、と思いっ切りにこにこして息を吸った。

 ──アマチュアは、目が覚めてから起きる。プロは起きてから、目を覚ます。
 若いスタッフにぼくがよく言う言葉。ここ五十年は、ぼくはそうやって、一日、二、三時間の睡眠で生きて来た。目が覚める前に起き出さなければ、これは叶わない。
 一日八時間睡眠が健康には良い、というのは充分に承知している。けれども仮にぼくが九十歳まで生きて映画を撮るとして、一日八時間眠って了うと丸丸三十年間眠る事になる。三十年あれば、ぼくは三十本の映画を作る事が可能だ。自分が作り得る映画を三十本、只眠って無にして了うのは何とも勿体無い。起きられるだけ起きて、考えて映画を作って、死んでからゆっくり眠らせて貰えば良いじゃあないか。で、ともかく起きるのであります。

PSC大分支社の前にて

 今朝もそうやって、えいやっと起き出した。今日からこの大分で、CMの撮影である。去年の四、五、六月は、やはりこの同じホテルに泊まって、映画《22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語》を撮っていた(だから、「戻って来た」のである)。その映画も完成して、いよいよ四月二十八日から、撮影地の大分・福岡から、全国に先駆けて上映が始まる。で、先程は県庁に出向いて、廣瀬知事さんに撮影の御礼と報告を申し上げて来た。何しろ官民一体、大分の人たちと一緒に作った映画でしたからね。  実は東京のぼくの映画製作会社PSCは、この大分にも小さな支社があって(だから、「戻って来た」でもある)、今回のCM作りもそこで行っているのだが、この原稿を書いているぼくの手許に『大分合同新聞』の一頁が開かれている。 《22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語》の上映告知記事で「大分の良さ再確認」と大きな活字が躍っている。
「戦後ずっとお金と物を求めてきた日本人が、ようやくそこから離れ始めたかなあという時代でもあり、深いドラマになると考えた」。「大分はこれから日本人が向かおうとしている暮しが行き続けいる場所。誇りを持ってそれを再認識してもらえたら、少しは(映画作りが大分の人びとの暮しの)役に立ったかなと思う」、とぼく自身の映画製作への思いが記事になっている。ぼくが今回のCM製作も含めて、何かというと大分へ「戻って来る」のも、そういう大分が大好きだからだ。

細山田隆人さん、小林かおりさん、臼杵・後藤市長と左時枝さん(中央)

 大分へ戻る前日には、新幹線の新神戸駅からことことと、日本の田舎の風景の中を車で一時間半程走って、丹波篠山の今田町に居た。山の裾野が一面の焼物の里で五十米に及ぶ登り窯を始め、六十軒の窯元が穏やかに肩を並べている。里へ着くなり迎えて下さった講演先の美術館の副館長さんが「美しいでしょう。この里はもう三十年何も変っておりません」、とにこにこ、胸を張って仰る。これが先ず嬉しかった。変る事ばっかりが求められ続けて来た日本である。殊にこの三十年は、町興し、村興しで開発開発の活性化。変化が無いなんて、むしろ恥だと思われて来た。それが今は「胸張って」の誇りとなっている。しかも窯を守るのはお祖父さんから子孫まで、代代一家揃ってである。過去と未来とが変らず豊かに繋がっている。
 時代は確かに変って来た。つい五、六年前までは地方の里へ出向くと、必ずのように「まあ、こんな何も無い所へ。御不自由をお掛け致します」、と迎えられた。日本人の儀礼というより、そこで暮らしている人たちが、本当にそう思ってらっしゃる風であった。それが近頃では「ここには良い風が吹くでしょう。空気が美味しいでしょう。夜は暗いでしょう。だからお星様が綺麗でしょう。ほらほら水溜りがありますよ。御玉杓子が泳いでいます。もう直き蛙に孵って子供たちと遊びます」、などという迎えの言葉に変わって来た。これは里の人たちの暮しが、文化の暮しに変わって来たからだろう、と思う。  ──文明がそこには無いものに憧れる力であるのに対し、文化とは今ここにあるものを尊む力である、とぼくは考える。どちらも大切な力だが、ここ数十年、ぼくらは余りに文明に憧れ過ぎて、文化の力を忘れて来た。その結果、文明の発達による経済力は重視されたが、文化が生み出す豊かな人の心のありようが失われて行った。それに対する怯えから、今ぼくらは再び“文化”に目を向けようとし始めたのではないか。そう、文化とは、つまりは“古里自慢”なのであります。

女優の勝野雅奈恵さん(右)と臼杵の安東詩織さん(左)

 で、ぼくは嬉しくなって、その日の講演は、大分の話、臼杵の話に終始した。「臼杵って町もね、皆さんの里と同じように、ここ三十年、何も変っていないと自慢なさるんですよ」。そうなのだ。軒先をほんの十五センチ程切断すれば車が曲れる坂道の露路を、燕の巣があるからと軒を守り残そうとする。「来年も燕が戻ってくるからねえ。この町は燕にとっても古里ですから」。それで車はそのまま町の遠くまで行ってから、再び大廻りして戻って来て、今度は真っ直ぐゆっくり、坂を登って行く。街灯が乏しくて暗い夜、道をお歩きの老婦人に危くはないですかと声を掛けると、「いえいえこの町は、昔からちっとも変りませんのでね、有り難い事に目を潰ってでも歩けます。目を開ければ子供の頃と同じお月様が輝いて、真ん中で兎さんがやっぱりお餅を搗いております」、とにこにこ。  竹田にある岡城は天然の山城で、大いに危険でもあるのに柵一つ無い。それでもバスを連ねて観光客が大勢いらっしゃるので「危くはないですか?」、とお聞きすると、「いえいえ、歴史上、ここから落ちて命を亡くした人は只の一人と記録されています。これが柵を施せばたちまち激増致しますよ。柵が無いからお年寄りの身は若者が守り、子供の手は親が決して離さず、桜の季節には酒を飲んでも酒に飲まれず、まことに穏やかな花見が愉しめます」、とは市の観光課の部長さんの談。
 ぼくはすっかり嬉しくなって、妻の恭子プロデューサーと「“臼杵映画”を作ろう」、と決めた所、「止めてください。私たちが残し、守って来たこの町の静けさ、穏やかさを、どうかこのままそっとして置いて下さいな」、と後藤國利市長さんが静かに仰った。そこからこの里との、映画のお付き合いが、ゆっくりと始まったのでありました。
 ──文明とは、より新しくより速く、より高くて効率が良く、ぼくらの暮しを便利に快適にしてくれる優れた道具である。文化とは逆に、より古くより遅く、より深くて効率の悪いもの。不便で我慢も多いが、それを智慧と工夫で乗り越えるから人間は賢くもなり、御褒美だって貰えるのだ。つまり文化の心とは、文明を上手に使い得る人の業なんですね。二十世紀には文明は異常に発達したが、その使い方が追い付かなかった。ぼくらは今、懸命になって、その上手な使い方を学ぼうとし始めたのではないでしょうか。
 臼杵の町で≪なごり雪≫を撮影したのが2001年。クランクインの二日目には、世界を変えたと言われる、ニューヨーク世界貿易センタービル破壊に示される同時多発テロが発生。それからの五年間を、ぼくは東京を舞台に、行き過ぎた文明社会が如何に人の暮しを悲惨にしたかをテーマに≪理由≫という殺人を主軸に据えた映画を作り、一方で大分に何度も戻りつつ、短編映画やCM、そして今年は≪22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語≫を完成させた。なにしろスタッフや俳優さんたちが、何かというと大分へ戻りたがるのである。この里は、ぼくら映画の民の古里ともなったのだ。だからこの地で映画を作っていると、何だか幸福なのである。

寺尾由布樹さん、蛭子収能さん、中村美玲さん(中央)

 左時枝、小林かおり、細山田隆人、寺尾由布樹、中村美玲、勝野雅奈恵、蛭子能収さんら、今回のCM撮影に参加してくれた俳優さんたちも、皆過去に大分で撮影を経験した人ばかり。自主製作の自主参加のようなCM作りで、スポンサーの若き社長さんも、お母様を撮影現場にお連れされたりして、皆みんな、親しき良き仲間。打合げ会には後藤國利臼杵市長までが、今度市が始めた野菜栽培事業で実った、にんじんを手にしてお顔を見せられる。「土と草だけで実って採れた本当のにんじんの味を、それを知らない若い人に伝えたいですからね」。“美しい日本”は、こういう努力の中からこそ、再生されてくるんでしょうね。

 今日も大いに寒いが、ぼくらは元気に働いて、映画を作っております。北の里は記録的な大雪となって、さぞや大変だろうと思いを馳せますが、雪が無くて閉鎖されようとした直前の六十センチの雪で、スキー場が大賑わいとのニュースも伝わって参ります。
 暑さや寒さ、雪や風や雨や日照りの中にぼくらの暮しがある。文明はそういう自然の節理を、やっぱり随分変えて了ったんだろうなあ。日本の地方の里にまだまだ残り、守られ、活かされている文化の暮しを、ぼくらは今こそしっかり学ばねばならないのでしょう。映画がそのために、少しでもお役に立てれば嬉しいです。
 2007年3月13日、大分からの便りです。

コメント (1)

毎回楽しみにしています。
ブログというより、小説という感じ
読みごたえがありますね

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