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2007年04月 アーカイブ

2007年04月05日

美しい言葉と出合う悦び。

テーマ: かく語りき

 家を出ようと玄関で靴を履いていたら、我が家の恭子さんがスウィッチを切る寸前のテレヴィの音が、耳に飛び込んで来た。
 ──能登の皆さんは本当にお気の毒ですけれど、「頑張って下さい」、と言うのもそぐわないし、心から「負けないで下さいね」、と申し上げたいです。  コメンテイターの方かも知れないが、街頭でのインタビューのような、日常の中の言葉に聞こえた。はきはきした、女性の声だった。
 その声に送られるように扉を開けると、表は桜が満開。一歩一歩と歩を進めながら、ぼくも心の中で、今能登の地で暮らしてらっしゃるお一人お一人に呼び掛けてみた。
 ──負けないで下さいね、負けないで下さいね。……

 懸命に頑張ってらっしゃる人たちに「頑張って下さい」、は気持ちにそぐわない。それを「負けないで下さいね」、と表した人の心を、ぼくは美しいと思った。その語感から、この人の優しさや心のまことが伝わってくる。
 数年前の米国アカデミー賞のテレヴィ放送で表彰されたポーランド生まれのアンジェイ・ワイダ監督が、「今日は私にとってとても大切な一日ですので、普段私が映画を作る時に考える母国語で話させて戴きます」、とスピーチを自国の言葉で行われた。通訳入りでゆっくりと。会場を占める英語圏の人たちやぼくなどにも分からない言葉だったが、その響きは真摯で穏やかで、美しかった。
 グローバルというのは、何でも英語で喋ればよいってものじゃあない。きちんと母国語でこそ話せる事だ、と深く感じたものだ。
 指揮者の小澤征爾さんが、世界から未来の音楽家を目指す若い人を集めて、リハーサルをしていらっしゃる。ある曲の演奏がどうしてもうまく運ばない。すると小澤さん、「この曲の作曲家と同じ国の生まれの人は居ませんか?」。一人の娘さんが手を挙げると、「では何かあなたの母国語で話して下さい」。彼女が誰にも理解出来ない自国の言葉で暫く話して終ると、「皆さん、この国の言葉はタタタタタ、タタタタタ、と頭にアクセントがありますね。ではこの曲もそのように演奏してみましょう」。こうやって小澤さんは、この曲の魂を捉えてみせたのです。
 これから日本の子供が、広く深く国際的に活躍するためには、まず自らの母国語、日本の言葉をこそしっかり学ばなければ、そして美しく自らを鍛えていかなければ、と思い直した事でした。
 テレヴィの中からは、時折こうして、美しい言葉が聞こえて来る。人は言葉で生きる生きものだ。「負けないで下さいね」、と語られた御婦人は、きっと自身の言葉を大切にされる方なんだろう。良い言葉と出合えれば、勇気が湧いて参ります。今日もテレヴィは辛い事象を伝え続けているが、ぼくらも一所懸命、「負けないで」生きて行きましょう。

 ぼくはブログというものは初めてだったので、様子が分からず、これまで一寸長く書き過ぎていたようです。今回は半分の量にしてみました。暫くは色色御意見に耳を傾け、自分でも考えながら書き進めてみます。宜しくね!

山桜、山桜、山桜、……今週も大分の山の中を走っております。

《22才の別れ》で「大分ウォーカーズ」特集。その取材で臼杵へ。

主演の鈴木聖奈さんや取材スタッフと記念撮影。

《なごり雪》のご縁で臼杵に作ったぼくらの店「クランクイン」にて。

先週大分で撮影したCMが完成したので、依頼を受けた方の会社に持参しました。

日差しの中でゆっくり一服。久々の、一分間の至福の休養を愉しんだ「クランクイン」前の椅子。

聖奈さんを連れて、大分サファリランドへ。自らが“餌”の主観でライオンを見る。

海辺のレストランで天然の魚貝の味を愉しむ。沁み沁み有難かった。

帰京。《転校生》ポスター撮り。主演の蓮佛美沙子さん、森田直幸さんらと。

2007年04月12日

顎を、下げましょう。

テーマ: かく語りき

 ぼくも人並に携帯電話を持っているが、「へーえ! 大林さんも携帯持っているんですかあ!?」、とよく人に驚かれるから、余程旧式の人間だと思われているんだろう。
 ぼくの携帯は、妻君(と人並に言ってみたが、お馴染み恭子さんの事であります)が先年、旅先でマイコプラズマなる菌に冒されて臥せった折(「この菌には普通、若い人が冒されるんですが」、とお医者様が語られたと聞いた我が映画スタッフは、「いやそれはゲイコプラズマ菌ではないか」、「いやいや本当はヤリテババアプラズマ菌なのだ」、と俄かに喧しくなる。恭子さんが早く元気になって、「何よ、もう!」、と叱られるのを願っているからだ)、娘から「パパも少しは連絡取れるようにして置いてね」、と手渡されたもの。家を出たり、車や電車の中では自分独りの世界を愉しむぼくだから、普段は携帯電話の必要が無い。
 恭子さんが無事「何よ、もう」、とにこにこご帰還遊ばしてからは、ぼくの携帯電話は我が娘との「ラブマーク」入りの、用件を口実にしたメール交換(娘は忙しいだろうに、よく付き合ってくれてます!)以外には、日一日古里・尾道で『山陽日日新聞』なる、百余年の歴史を持つタブロイド版の地方紙の熱血記者、幾野 伝 君と短信を交わすだけ。ぼくの息子ほどの若い人だが、社用の原稿用紙に向かってエンピツを握り締め、アナログカメラのシャッターをカシャッ、カシャッと切って駆け廻る“温故知新”の新聞記者である。

 ──我が家の前の野川は、今日はお花見の賑わい。まあ大勢の人が、幸せ一杯の笑顔で集まって、犬や子供は水しぶきをあげて、川の中! こんな一日もあるんだなあ。ぼくは珍しく、久びさの窓辺。北海道『朝日新聞』連載の「北海道へ」という原稿を書いています。慣れないブログもね! (架橋問題でゆれている)鞆の町も、早く笑顔の町に戻ればいいですね。広陵(高校野球の廣島県代表校)、見せて貰いました。若い人は美しいですね。 4/1

 ──昨日は久びさ(四年ぶり)に、“野川ひとりマラソン”を再開! じっくり身体を戻そうと思います。今日は、ちょっと花冷え。季節が移る時って、昔からデリケートなものでしたよね。この頃ぼくら人間の方が、粗雑になっているのかも知れない。ブログはまだ、ペースが掴めませんよ(笑)。 4/2

 ──高校野球、決勝戦を見ています。送りバントをきちんとやっていくチーム対どんどん打たせていくチーム。勝つ事も大事だが、勝ち方も大事。チャンスを潰しても思いっきりバットを振らせよう。野球で勝つことを超えることは、生きる上でもっと何か役に立つはずだ。「高校野球って何だ?」、この監督さんはそう考えながら、指揮を執ってらっしゃるのかなあ。などと見ていると興味深い。(結局どんどんのびのびでそのチームが勝ったが、負けた方の生徒諸君も、「夢のような場所で野球が出来るんだから、今日はずっと笑っていよう」、と最後まで良い笑顔。「送りバントをしたいと思った時はありましたか?」、と聞かれた件の監督さんは、小さくにっこり「はい」)。ぼくはこれから歯医者さん。映画二本仕上げて、身体のメンテナンス。春、です(ははあ、ブログもこんな調子で書けば良いのかね?)。 4/3

 相手が新聞記者さんだから、ぼくはメールで「個人記事」を書く。年下の友と意見交換出来るのは、世界がよく見えて有難いものです。  これでもメールによる言葉の交流をテーマにしたフェスティバルに何度も参加させて貰ったし、最近はメールを媒体にした映像作品のフェスティバルもある。ぼくもついこの間、メール用に《転校生ムービーエッセイ》なる五分の作品を作ったばかり。新しいメディアは新しい文化を生んでもいくのだ。

 携帯といえば、一度写真家の荒木経惟さんに、「荒木さんは携帯のカメラで写真など撮られますか?」、とお聞きした事がある。と、我らがアラーキーさんは「あれも、カメラですからねえ」。そしてそれから、一寸嫌なお顔をされて、「でも、携帯で写真撮る時、皆、顎を上げてますねえ!」。  なるほど、流石は一流と言われる表現者は見事な言葉を持ってらっしゃる、とぼくは感銘を受けた事でありました。  人にカメラを向けて、これから写真を撮らせて戴こうと考える人間が、その相手に向かって顎を上げるとは、何とも不躾で、極めて不禮千万。そんな事じゃ、良い写真が撮れる訳がない。  それからぼくは、いま手にしているデジタルカメラで(新式だぞう!)写真を撮る時も、厳かに顎を下げてシャッターを切るよう、心掛けているのであります。

家の前の、野川の桜が咲いた。咲いた、咲いた。恋人や家族や犬たちが集まって来た。

恭子さんが窓辺に置いてくれたにんじん。小さな命を身近に、原稿を書く。

投票に行く。政治は人だから、人を選ぶ。壁の落書きに暫く見惚れる。

成城駅前。五十年前、学生時代に通った道も随分変った。変らぬ桜にカメラを向ける。

野川は今、花吹雪。その中に遅咲きの八重が、一所懸命の苔となって。

NHK「ゆうどきネットワーク」に出演。ゆうどきの立ち話のような、穏やかなひと時がいいなぁ!

事務所にて、《22才の別れ》《転校生》の宣伝原稿のチェック。デスクの永嶋はずき嬢。

連佛美沙子さんと恭子さん。《転校生》ムービーエッセイのために自作のメイキングから画面を引き出している恭子さんの日日。

いつになく(四年ぶりに)ゆっくりした日日の一週間でした。ムサシノの緑が綺麗だア!

2007年04月19日

植木等さんのこと

テーマ: かく撮りき

 ぼくはテレヴィはあまり見ない人間だが、そんなぼくでもテレヴィのスウィッチを付けると、植木等さんの(それもお若い頃の)姿が、ひょいっと飛び出して来る。植木さんが亡くなられて、その追悼番組として、昔の植木さんの出演映画が、色色と放映されているのでありましょう。

 いわゆる“無責任男”として、日本の“高度経済成長期”の真っ只中をシンボルの如く駆け抜けて来られたが、植木さんは知る人ぞ知る“超”の字付きの真面目なお方。でもあの真面目さで、しかも誠実に一所懸命演じられたからこそ、あの“無責任男”の面白さもリアリティも醸造出来たのだとは、今更にして深く思う。今時の“おふざけ”が“お笑い”になると安易に信じられている時代とは、そこはくっきり違うのだ。
 そういえば植木さん主演の昔の映画の画面を見ていると、「やっぱり映画だなあ」、と沁み沁み思う。昨今のテレヴィの映像とは、これまたくっきりと違うのだ。映画の撮影所の持つ、きちんとした引き気味のキャメラに、照明もちゃんと当てられた画面作りの技術がしっかり現わされていて、植木さんの映画は決して“名作”と称される作りではないのだが、こういう大衆向きの娯楽映画の中でも、映画の画面は映画の画面なのである。
 そういえば昨今は映画の大作・名作を志す場合でも、画面はテレヴィのふんわり軽い映像のまま。むしろそれを望んでいるとさえ思われるのも、これが時代の趨勢なるものであるのかしらん。
 ぼくなどは、映画はやっぱり映画だ、と思うものだから、《22才の別れ》でも《転校生》でも、そこは映画的な画面作りを試みた。お客様には、映画的興奮をこそ味わって戴きたいと願ったからである。
 この二本の映画で「何故画面を傾けたのですか?」、とよく聞かれるが、確たる言葉に出来る理由があったからではない。只、あの画面の傾き方は、映画館の大きなスクリーンでこそ効果が現われるもので、テレヴィの小さな映像では、只一寸気に掛る程度で終わって了う小技でしかないのだ。詰りはあれは映画的技法であるからこそ使ったのだ、としか言いようが無いのですね。

 所で、植木等さんには、ぼくの映画《あした》にもご出演戴いている。1995年作品だから、もう十二年前の事になる。実は昨年ある九州熊本で撮入する予定の映画にお誘いしたのだが、「九州の夏は自信が御座りませんので」、と大層丁寧に辞退された。その時お会いした谷啓さんも、昨秋《転校生》に御出演戴いた犬塚弘さんも、「最近植木が弱ってましてねえ」、と案じていられたので心配していたのだが。ぼくは数年前、九州大分の平松守彦前知事が引退される時の小さなパーティーで植木さんとはお会いしていたが、それに続いて2004年春、ぼくが紫綬褒章を受章した時の細やかなパーティーにメインゲストで来て戴き、上機嫌でユーモラスなスピーチをして下さった。「植木さん、また是非ご一緒に映画を作りましょうよ」、と申し上げると、「はっはっはっ、またあのカントクさんの駄洒落と一緒にねえ!」、と我が恭子さんに向かって、大きくウインクなさったことだった。

 《あした》の撮影は、真冬の海辺の真夜中の話とあって、波の満ち干に合せて毎夜の撮影が続く。プロデューサーの恭子さんが自ら植木さんの現場への送り迎えを担当して、夕方にはホテルから海辺への現場送り。そして撮影終了後の早朝、再び現場からホテルへ。その車中、植木さんは恭子さんを相手に「夕べのカントクさんの駄洒落はで御座りますなあ」、とぼくが夜通し、撮影の合間に口にした駄洒落の数数を、逐一懇切丁寧に説明なさる。「これはまことにおかしゅう御座りました」。「こちらはいやはや、わたしなどには理解が難しゅう御座ります」、などと。そして「愉しい撮影で御座りましたぞ。はっはっはっ」、でお終い。これが二ヶ月欠かさず続いたそうである。
 この時は、植木さんは古い気質のやくざの親分さんの役。毅然と美しい津島恵子さんを奥様役に、孫の代わりに死んでやるお爺ちゃまを、まことに味わい深く演じて下さった。高橋かおりや、この映画でデビューした宝生舞を始め、いわゆる大林組の俳優さんが大挙出演する群衆劇。夜中の極寒の現場でスタッフが準備する。準備が完了して俳優さんを呼びに行くと、丘の上の待機所との往復に二十分間、スタッフは寒さの中で待たねばならぬ。所が準備完了近く、助監督さんが「さ、そろそろ俳優さんを呼んで」、と指示を出すと、すかさず、「はい、もうボチボチだろうと勝手に下りて来て、待機して御座りました」、と植木さんがにこにこ。最年長の植木さんがそうだから、他の俳優さんもヴェテランの女優さんも、早早とメイク直しを終らせて現場待機。スムーズに撮影が行われたのでありました。
 劇中、植木さんと坊屋三郎さんとの共演シーンなど、“昭和芸能史”の一部でありましたなあ。植木さんはこの映画で、「スポニチ主演男優賞」を受賞され、照れ臭そうに喜んで下さったのだった。

 ああもう一度、植木さんと一緒に“映画”を作りたかったなあ。植木さん、お疲れ様、そして、有難うございました。植木さんが残された“映画的遺産”を、ぼくらはこれからも、大切に活かします。

お隣の大山さんの奥様が、庭で摘んだお花を下さった。春です!「さびしんぼう人形」も一緒に。

《転校生》《22才の別れ》公開を前に、ポスターやパンフレット製作中。色色工夫が愉しい。

恭子さんにデスクのはずき嬢。中央はメイクの和栗さんです。事務所にて。

成城のお料理上手の田中さんが美味しい根菜16種の炊き合せを差し入れして下さった。嬉しいね!

豊後牛をたっぷりの讃岐うどん。恭子さんの手作りです。

沖縄の塩らっきょうが旬です。肉うどんと合せて戴きます。

俳優事務所の横田さん、《転校生ムービーエッセイ》の製作に参加の中村監督と共に「恭子さん戴きまーす!」。

NHK「ゆうどきネットワーク」に出演。控え室で。はずき嬢写す。

アナウンサーの山本哲也さん、江崎史恵さんから、番組収録の後日、お手紙を戴いた。こういう温いお気持が何より嬉しいです。

2007年04月26日

にこにこ写真日記

テーマ: かく撮りき

わが家の窓からの眺め。本の頁の向うに春が見える。

 ぼくとしては本当に久しぶりに(指折り数えてみたらまことに四年ぶりに、でした)家に居て、窓から桜の花を見たり、野川の辺を独りマラソンしたり、一日中家に居て本を三冊読んだり(ぼくは句読点までゆっくり読むので時間が掛るのです)して過ごす日が一週間くらい続いたかなあ。四年前、映画《理由》の脚本書きを始めてから、歯医者さんに行く一時間が取れなかった。映画を思いついてから、仕上げて観客の皆さんの元にお届けするまでには、実際山のようにすることがあるのです。今もその山を一つずつ崩しながら、明日からは、また旅の日が続く。NHK広島で市民ヴィデオの番組収録。尾道で幾野伝記者と会って倉敷の大学へ。授業を二日して帰京。久びさに学生諸君と会えるのが楽しみで、こんな文を書いております。

新幹線で広島へ。窓辺のはずき嬢の向うを景色が流れる。

 今度の旅にも「オリンパスSP-550UZ」を持って出掛ける。最新鋭のデジタルカメラですぞ! といって、ぼくはこんな立派なカメラを持つのは初めてである。実は今回のブログを始めるに当って、このカメラを常に身近に置いて写真日記を始めよう、と決意した。故にブログもカメラも初めてなのですね。ブログが馴染まぬように、きっと皆さんにも不出来な写真を毎回お見せしていることだろう、と心が痛みます。ごめんなさい。でも、新しいことに挑戦するのは楽しい。一所懸命続けますので、宜しくね!

NHK広島での公開録画。市民の方のヴィデオ作品は、平常の頁のジャーナリズムです。世の中が平穏になります。

 それにしても、映画作家がカメラに疎いなんて! と驚かれるかも知れない。実際映画製作の現場では、現在はカメラは必需品。あらゆる所で、パチ、パチ、パチリ。若いスタッフはいつもカメラを離さず、小型のデジタルカメラを鉛筆代わりに、身の周りの事どもを記録しながら仕事を進めている。だから「現在は」、とぼくは書いたのだが、では以前は? そうなんですね。ぼくが若い頃には、そんな事はなかったなあ。例えばテレヴィや雑誌等の取材で、よくぼくの幼少時から青少年時代の写真を乞われるが、これが殆ど無いのであります。赤ん坊から幼少時代のものは、年に一度のお正月に、家族全員が(当時は大家族でしかたら、お祖父ちゃまからお祖母ちゃま、叔父さん叔母さん従兄弟たち、三十人ばかりが一斉に揃って)家の門の前で威儀を正してパチリ。横に日の丸の旗がはためいていてね。学校に通うようになっても、校門の前でクラス全員で気をつけえ、パチリ。もちろん町の写真屋さんが大きなカメラを選んでいらして「はい、鳩が出ますよ!」(近頃でも、こんな事を言うのかなあ?)。
 ぼくの場合は、医師である父が軍医として戦場に赴いていて、その父に送る慰問袋に入れるために、母と二人の写真を折折に撮った。もちろんいつもの写真屋さんだけど。つまり家庭内に素人が扱うことの出来るカメラなど、まだ普通には存在しなかった時代の話である。
 戦後、戦場から帰って来た父は、家庭用の愛用の小型カメラを大切に持ち帰った。ぼくは中・高生時代にそのカメラを借りて、学友たちと数枚の写真を自分で撮った。悲しいほどの緊張感と、湧き出るほどの幸福感に包まれる瞬間でしたね。
 ぼくに《さびしんぼう》という多くの人に愛された初恋を主題にした映画があるが、「さびしんぼう」とは母が少女時代に撮影した昔の写真の中から飛び出して来た少女。それが大掃除の時にひっくり返した母のアルバムから抜け出して、現代の息子である少年と出会う。少女時代の写真なぞ一枚しか無い時代だから成り立った物語である。《転校生》はこの度二十五年振りに再映画化したが、この写真が一杯ある時代に、もう《さびしんぼう》は作り得ないだろうな、と思う。

出山知樹、井上あさひアナウンサーと。先週東京NHKでの「ゆうどきネットワーク」の江崎史恵アナウンサーはここの出身でした。ご縁!

 つまりぼくは、カメラも写真もまことに乏しかった時代を生きて来た人間であり、だから普段カメラを持って写真をパチパチ写すという習慣が、そもそも皆無なのでありました。
 映画のスタッフの中に記録係という人が居て、バラバラに撮影される場面を色色記録して、後で順序通りに繋いで行く。現在では現場をパチリと写しておけば、簡単に繋がる。だが、十年くらい前まではこの記録係の人さえもカメラなどは持っておらず、頭の中の記憶と記録用紙に書き込まれた鉛筆のメモだけが頼りだった。ロケ先の宿で記録係さんと隣室同士になると、夜中中隣の部屋でぼそぼそと人声が、そしてバタバタと動き回る音がする。それは一日中撮影した色色な場面を、独りきりの部屋で、記録係さんがそれぞれの俳優さんになって、自演を繰り返しながら、今日一日のカットを頭に叩き込んでいる音でありました。
 撮影現場を探してロケーションリサーチに行ってもカメラは無し。皆で目を開き、耳を傾けて総てを記憶する。当時の映画は「映像」を情報として記録するのではなく、人間の記憶の物語を「場面」にして行ったのでしたね。
 映画もヴィデオなぞ無いから、全部のカットも台詞も、記憶して繰り返し思い出しては愉しんでおりましたよ。

 そのぼくが今、「オリンパスSP-550UZ」なる最新式のデジタルカメラを常に手に持っている。どこへ行くのも、誰に会うにも。これはまことに生き方そのものが変化して、今ぼくはその変化を大いに愉しんで居ります。つまり、コミュニケーションの変化を、ですね。「やあこんにちは、ではパチリ」。「うん、この弁当美味いですね、ではパチリ」。「じゃさよなら、また会いましょう、ではパチリ」。その度に、皆でにこにこ。そうか、カメラの前では誰もがにこにこするなあ。これは良いなあ。で、写真日記をぼくは今作っているのです。「にこにこ日記」でもよいかしらん。
 という訳で、今回も、この一週間の写真日記。「オリンパスにこにこ日記」であります。

広島まで来てくれた幾野伝記者と尾道へ。昔馴染みのまなぶ君の店で整髪。ああ良い気持!

尾道の旧友たちと。ぼくの映画の美術を15本も担当した太田さん、装飾の笠井さん、伝君と。

尾道駅前のグリーンホテルの朝。尾道水道を渡る渡船と光る海。おお古里よ!

古里の尾道のホテルで旅人となったぼく。

尾道映画でよく知られる喫茶こもん。幾野伝記者とママのよしみさんの後ろの卓で、二十五年前《転校生》が撮影されました。

父の古里松永金江町に立ち寄り、思いがけず父母のお墓参り。子供の頃と同じ景色。同じ海からの風。変らぬものは変らない。

鞆の港へ寄る。美しい海。海を訪ねる人びと。鞆の浦を守ることに情熱を傾けている大井幹雄さんと幾野伝さん。

倉敷芸術科学大学で授業。若い人たちと過す時間は誠に充実感一杯。

学生諸君と記念撮影。パチリ!

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