
わが家の窓からの眺め。本の頁の向うに春が見える。
ぼくとしては本当に久しぶりに(指折り数えてみたらまことに四年ぶりに、でした)家に居て、窓から桜の花を見たり、野川の辺を独りマラソンしたり、一日中家に居て本を三冊読んだり(ぼくは句読点までゆっくり読むので時間が掛るのです)して過ごす日が一週間くらい続いたかなあ。四年前、映画《理由》の脚本書きを始めてから、歯医者さんに行く一時間が取れなかった。映画を思いついてから、仕上げて観客の皆さんの元にお届けするまでには、実際山のようにすることがあるのです。今もその山を一つずつ崩しながら、明日からは、また旅の日が続く。NHK広島で市民ヴィデオの番組収録。尾道で幾野伝記者と会って倉敷の大学へ。授業を二日して帰京。久びさに学生諸君と会えるのが楽しみで、こんな文を書いております。

新幹線で広島へ。窓辺のはずき嬢の向うを景色が流れる。
今度の旅にも「オリンパスSP-550UZ」を持って出掛ける。最新鋭のデジタルカメラですぞ! といって、ぼくはこんな立派なカメラを持つのは初めてである。実は今回のブログを始めるに当って、このカメラを常に身近に置いて写真日記を始めよう、と決意した。故にブログもカメラも初めてなのですね。ブログが馴染まぬように、きっと皆さんにも不出来な写真を毎回お見せしていることだろう、と心が痛みます。ごめんなさい。でも、新しいことに挑戦するのは楽しい。一所懸命続けますので、宜しくね!

NHK広島での公開録画。市民の方のヴィデオ作品は、平常の頁のジャーナリズムです。世の中が平穏になります。
それにしても、映画作家がカメラに疎いなんて! と驚かれるかも知れない。実際映画製作の現場では、現在はカメラは必需品。あらゆる所で、パチ、パチ、パチリ。若いスタッフはいつもカメラを離さず、小型のデジタルカメラを鉛筆代わりに、身の周りの事どもを記録しながら仕事を進めている。だから「現在は」、とぼくは書いたのだが、では以前は? そうなんですね。ぼくが若い頃には、そんな事はなかったなあ。例えばテレヴィや雑誌等の取材で、よくぼくの幼少時から青少年時代の写真を乞われるが、これが殆ど無いのであります。赤ん坊から幼少時代のものは、年に一度のお正月に、家族全員が(当時は大家族でしかたら、お祖父ちゃまからお祖母ちゃま、叔父さん叔母さん従兄弟たち、三十人ばかりが一斉に揃って)家の門の前で威儀を正してパチリ。横に日の丸の旗がはためいていてね。学校に通うようになっても、校門の前でクラス全員で気をつけえ、パチリ。もちろん町の写真屋さんが大きなカメラを選んでいらして「はい、鳩が出ますよ!」(近頃でも、こんな事を言うのかなあ?)。
ぼくの場合は、医師である父が軍医として戦場に赴いていて、その父に送る慰問袋に入れるために、母と二人の写真を折折に撮った。もちろんいつもの写真屋さんだけど。つまり家庭内に素人が扱うことの出来るカメラなど、まだ普通には存在しなかった時代の話である。
戦後、戦場から帰って来た父は、家庭用の愛用の小型カメラを大切に持ち帰った。ぼくは中・高生時代にそのカメラを借りて、学友たちと数枚の写真を自分で撮った。悲しいほどの緊張感と、湧き出るほどの幸福感に包まれる瞬間でしたね。
ぼくに《さびしんぼう》という多くの人に愛された初恋を主題にした映画があるが、「さびしんぼう」とは母が少女時代に撮影した昔の写真の中から飛び出して来た少女。それが大掃除の時にひっくり返した母のアルバムから抜け出して、現代の息子である少年と出会う。少女時代の写真なぞ一枚しか無い時代だから成り立った物語である。《転校生》はこの度二十五年振りに再映画化したが、この写真が一杯ある時代に、もう《さびしんぼう》は作り得ないだろうな、と思う。

出山知樹、井上あさひアナウンサーと。先週東京NHKでの「ゆうどきネットワーク」の江崎史恵アナウンサーはここの出身でした。ご縁!
つまりぼくは、カメラも写真もまことに乏しかった時代を生きて来た人間であり、だから普段カメラを持って写真をパチパチ写すという習慣が、そもそも皆無なのでありました。
映画のスタッフの中に記録係という人が居て、バラバラに撮影される場面を色色記録して、後で順序通りに繋いで行く。現在では現場をパチリと写しておけば、簡単に繋がる。だが、十年くらい前まではこの記録係の人さえもカメラなどは持っておらず、頭の中の記憶と記録用紙に書き込まれた鉛筆のメモだけが頼りだった。ロケ先の宿で記録係さんと隣室同士になると、夜中中隣の部屋でぼそぼそと人声が、そしてバタバタと動き回る音がする。それは一日中撮影した色色な場面を、独りきりの部屋で、記録係さんがそれぞれの俳優さんになって、自演を繰り返しながら、今日一日のカットを頭に叩き込んでいる音でありました。
撮影現場を探してロケーションリサーチに行ってもカメラは無し。皆で目を開き、耳を傾けて総てを記憶する。当時の映画は「映像」を情報として記録するのではなく、人間の記憶の物語を「場面」にして行ったのでしたね。
映画もヴィデオなぞ無いから、全部のカットも台詞も、記憶して繰り返し思い出しては愉しんでおりましたよ。
そのぼくが今、「オリンパスSP-550UZ」なる最新式のデジタルカメラを常に手に持っている。どこへ行くのも、誰に会うにも。これはまことに生き方そのものが変化して、今ぼくはその変化を大いに愉しんで居ります。つまり、コミュニケーションの変化を、ですね。「やあこんにちは、ではパチリ」。「うん、この弁当美味いですね、ではパチリ」。「じゃさよなら、また会いましょう、ではパチリ」。その度に、皆でにこにこ。そうか、カメラの前では誰もがにこにこするなあ。これは良いなあ。で、写真日記をぼくは今作っているのです。「にこにこ日記」でもよいかしらん。
という訳で、今回も、この一週間の写真日記。「オリンパスにこにこ日記」であります。
 広島まで来てくれた幾野伝記者と尾道へ。昔馴染みのまなぶ君の店で整髪。ああ良い気持!
 尾道の旧友たちと。ぼくの映画の美術を15本も担当した太田さん、装飾の笠井さん、伝君と。
 尾道駅前のグリーンホテルの朝。尾道水道を渡る渡船と光る海。おお古里よ!
 古里の尾道のホテルで旅人となったぼく。
 尾道映画でよく知られる喫茶こもん。幾野伝記者とママのよしみさんの後ろの卓で、二十五年前《転校生》が撮影されました。
 父の古里松永金江町に立ち寄り、思いがけず父母のお墓参り。子供の頃と同じ景色。同じ海からの風。変らぬものは変らない。
 鞆の港へ寄る。美しい海。海を訪ねる人びと。鞆の浦を守ることに情熱を傾けている大井幹雄さんと幾野伝さん。
 倉敷芸術科学大学で授業。若い人たちと過す時間は誠に充実感一杯。
 学生諸君と記念撮影。パチリ!
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