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2007年05月 アーカイブ

2007年05月02日

映画と、若い人との、幸福なコミュニケーション。

テーマ: かく撮りき

窓から見える八重桜と、野川の辺を散策する人と犬。

 双葉十三郎さんから頂戴した『外国映画ぼくのベストテン50年』を、愉しみながらゆっくり読ませて戴いている。双葉さんは1910年生まれだから、おやおやもう96才におなりになる。ぼくなどが生まれるずっと前から映画をご覧になって来た方です。うーん!
 その書物の帯の文字がぼくの目を引く。「映画は自分が愉しむもの/好き嫌いは各人の自由であり/特権である」。うーん!
 双葉さんは、いわゆる「映画評論家」、という枠など超えていらっしゃる。評論家ならば映画に対する世間や歴史上の一定の基準を考慮して論考を進めるという配慮もまた必要であろう。双葉さんはそれを「自由」と仰る。つまり世間の規範に囚われず、御自身の責任で映画を語る、という意思表示でもあろう。だから双葉さんが語られる映画の話はこよなく愉しい。映画の魂なるものが読み手に伝わって来るようだ。この帯の一文はそういう映画の見手としての双葉さんの、覚悟のように毅然とした意思を表わすものだが、作り手の側が安易にこの言葉を真似すると、とんでもないことになる。
 作り手にとっては、それ故に「誰もが理解し、好きになって貰えるよう、努力する義務」があるのであります。所が近頃では、「どうせ好き嫌いは見る者の自由なんだから、好きな人だけ見て下さい。嫌いな人は見なくってもいいよ」、という態度で映画が作られるケースが多いようだ。それは、つまりは映画が衰退していくことに繋がるから恐い。
 「二・二・六の法則」、というものがあるのだそうで、「どんな失敗作をこしらえても愛してくれるファンが必ず二割はいる。その逆に、どんなに成功作を作ってもお前の映画は嫌いだという人が二割はいる」、という条理があって、こればかりはこの世の中どうにもならぬ。故に問題は残りの六割の人が好きになってくれるか嫌いになるかが、作品が成功するか否かの分かれ道。努力を重ねれば、六割の人が味方になってくれる。故に作り手は「総ての人に愛されるよう努めなくては」、という教えである。
 それを厭えば、結局は二割の人だけを相手に映画を作り続ける事になり、誉められたからと言って喜んでばかりはいられないって事であります。

 サミー・デイヴィスJrというエンタテインメントの芸術家がいて、彼の言葉にもこういうものがある。「ぼくは総ての人に愛されたいと願うが、そんな事はある筈がない。世界の半分の人に愛されて、残りの半分の人からは“あいつの事は好きではないが、でも一所懸命努力している事だけは良く分かるよ”と言われれば、こんなに素敵なことはないよ」。
 名脚本家の笠原和夫さんが、ある時パーティで、その年度のベストワン作品を作ったプロデューサー氏に「でもこの映画、一部の人は理解出来ないかも知れませんね」、と語った所、「ああ、それはいいんです。分かる人だけ分かってくれれば」、とプロデューサー氏が応えた。笠原さんは、「ああこんな時代になったのでは、自分はもう引退しよう」、と悲しく決意されたと言う。総ての人に面白く為になる映画をこそ、と笠原さんたち日本映画の伝統的な映画人は、そう努力されて来たのだから。
 先日、『日本映画監督協会』が主催する『監督協会新人賞』の銓衡委員を努め、昨年度に製作された若い人の映画を43本観せて戴いたが、その時にもやはり現在の映画のありように、先に述べたような事を感じた。これはきっと映画だけの問題ではなく、この時代というものの、コミュニケーションのありようでもあるんだろうなあ。

早稲田大学に送ってくれた恭子さん。

 そんな事を考えながら、新学期。大学通いが忙しくなる季節であります。先日も倉敷にある『倉敷芸術科学大学』に行って来た。新入生がどっと入学して来て賑やかで元気。教室から溢れ出んばかりの若者たちと二日間、彼らが作った映像作品を見ながら熱く語り合う。放課後は近所の居酒屋で、ビールが飲めるようになった上級生たちと歓談。別れ際にはちょっと涙が零れそうになるのですね。彼らの後ろには未来があるんだなあ。

大学前で、安藤鉱平教授、元村直樹さんと。

 昨日は年に一度の『早稲田大学大隈講堂』での講義。今回は二十五年前の《転校生》を午前中に見てくれていて、新しい《転校生》の話やら何やらの約二時間。定員四百人の所を七百人の熱気。ぼくは対話人間なので独り語りより、目の前の学生さんたちと語り合いたいので、こちらも一所懸命未来へ向う若さに挑戦した。考え方はもちろん異なるのだが、彼らも向って来てくれる。ぼくも色色意見されたが、時間が経った後では「こんなに心が震えた授業は初めてです」、などと言い寄ってくれる人もいる。そっと手紙も貰ったし、質問した若い人同士がもっと話し合おうと連れ立って帰っていく。「こんなジジイが未だ映画作っていていいのか?」、と一寸甘えて満場の皆に訊いてみたら、「撮って下さーい」、と大きな拍手。爺ちゃんを元気付けてくれる優しい子たちであります。ようし、まだまだやるぞお! ここでのコミュニケーションは、まことに至福だ。つまりはぼくが勇気付けられるのですね。

早稲田大学のマスコットさんと、パチリ。

 さて今日は、専任教授を務めている『尚美学園大学院』へ出向く。八重桜がたわわな我が家の前で、恭子さんのにっこり笑顔に励まされて、若い人の只中へ。
 では、はい、にっこりパチリ!



安藤教授とは若い時代からの映画仲間です。

七百人の学生さんと授業。

《転校生》に就いての話なども。

若い人の熱気が嬉しい。

日が変り、尚美学園に向う前のひととき。八重桜の下の恭子さんと。

そして、ぼく。

事務所を訪ねてくれた左時枝さんと、安井プロデューサー。

左さんの自作の画の前で。

おお!美しいな!

2007年05月10日

九州の映画旅が始まるぞ!

テーマ: かく撮りき

 暗い夜道を、車で走っている。
 ──田舎は、夜が夜だからいいのね。
 ぽつりと口にしたのは、恭子さん。
 なるほど、なるほど、と納得する。
 またまた、大分です。
 《22才の別れ》、映画上映の旅の中、です!

青山ビジュアルベイスタジオにて徹夜で編集作業

編集仕上げスタッフと恭子さん。ぼくの事務所の初代スタッフ中村明君と、25年後の現在のスタッフ永嶋はずき嬢!

 東京を離れる前日は、当日を迎えても未だ青山のスタジオに籠もっていた。
 《転校生》公開が近づいて、携帯電話で発信する『ムービーエッセイ』なる5分ほどの映像作品を三作作る。その二作目の編集作業であります。
 5分とは言え、もうぼくの事務所の編集室で始めてから、五日目になっている。《転校生》は二十五年目の再映画化だが、その二十五年前にぼくの事務所のスタッフで助監督を務めた中村明君が、今度は独立した監督として、撮影演出もしてくれている。ああ、二十五年!であります。

野川の空の飛行機雲。

八重桜の木漏れ日。

 朝、野川の空に、飛行機雲が!
 八重桜の木洩れ日が、道に映っている。
 こんなものに、心が動く。
 幸福感が湧き上がって来る。
 《22才の別れ》、九州公開の上映の旅にこれから出るのだ。
 ちょうど一年前の朝も、こうやって撮影の旅に出た。一年経って、今二本の新しい映画が、ぼくの掌の中にある!
 時は経ち、人は生きて何かを為し、何物かを残す、──ぼくらは、そうやって生きて来た。それを喜びと感じながら。……

 恭子さんと羽田へ。正やん知ちゃんと待合わせ、九州へ飛ぶ。
 福岡到着。さっそく正やん、おっと伊勢正三さんとラジオ局へ。《22才の別れ》は正三さんの名曲から生まれた、同名の映画なんですよね。
 正三さんなどと呼んでいると妙な気分なので、やっぱり正やん。
 正やんも五十五才。ぼく六十九才。兄弟のように仲良しです。
 正やん夫人、和ちゃんの旧友たちのパーティーに雪崩込む。すると福岡市長のお顔があったりするのですね。
 ご縁とは面白いもので、《22才の別れ》の福岡ロケで、筧利夫君演じる主人公が努める会社のオフィスに、福岡市の市長室をお借りした。前の市長さんの時代だが、その時映画用に飾りつけたままの市長室がお気に召して、現市長の吉田宏さんはそのままお使いになっている。
 そのヒロシさんが知ちゃんの少女時代からの顔馴染みだって! 面白いね。
 お若くて、活動的な市長さんでいらっしゃる。
 続いて知ちゃんのママの馴染みのフランス料理屋さんへ。
 知ちゃんのお兄さん夫妻にそのお嬢ちゃん、それに《22才の別れ》で恭子さんのアシスタントプロデューサーを務めた山ちゃんと。

 翌朝はホテルから、福岡市内の劇場へ。
 新しく買ってくれたピンクのセーターを恭子さんに着せて貰う。
 ──年取ったらスマートに生きなきゃ、ね。
 なるほど、なるほど、とここでも納得。
 恭子さんの一言は身に沁みて有難い。
 なにしろ、もう五十年、一緒に生きて来たんですからね。
 という訳で、正やん知ちゃん夫妻に山ちゃんと揃って、九州の旅が始まりました。
 今日は東京から、仲間が大勢駆け付ける。
 それから皆で、小倉に寄って大分へ。
 《22才の別れ》上映の旅と続いていくのです。
 ──お楽しみは、次回へ!

正やんと知ちゃん。「いやあ、しばらく!」

正やんとラジオ局にて。

正やん55才、ぼく69才。仲良し兄弟!

ホテルのロビーで。《22才の別れ》の広告が出ている新聞を見る恭子さん、正やん、知ちゃん。

ホテルでテレヴィ収録。分刻みのスケジュール。

ホテルの窓から見える福岡の夕陽。

知ちゃんの旧友たちと。

フランス料理屋さんで。知ちゃんのお兄様は歯科医の権威。近頃の医学用語はアメリカ語。ぼくの子供の頃はドイツ語。そんな事から比較文化論に話は進む。

博多港の朝。爽やか!旅が始まるぞ!

2007年05月17日

《22才の別れ》九州・旅日記

テーマ: かく撮りき

 さあ、いよいよ《22才の別れ》九州上映・舞台挨拶の旅の始まり始まり!!!

 映画は観て戴くためにこそ作られる。お客様と出会える日日は、映画のいわば“誕生日”。嬉しい旅なのであります。

 という訳で、今回は正に「オリンパス・写真旅日記」。分刻み・秒刻み、全長2000キロ10日間の報告です。

4月28日

福岡市内のホテルを出てユナイテッド・シネマキャナルシティ13へ駆け付けると、ロビーに岩出直人君の姿が。ぼくが出演する会場には、いつも一番最初に来ている人。今回は東京からやって来て、行く先先で出会いました。実は《22才の別れ》撮影現場でもスタッフの一人として働いていた。恭子さんと、折りしも熊本からお母さんと駆けつけた出演者の一人、小崎泰生君と4人で記念撮影を、パチリ。

東京から到着したばかりの出演者の鈴木聖奈、中村美鈴くんを交え、正やんも参加して舞台挨拶開始! パチリ!

と思ったら奥様と映画をご覧になっていた福岡市長・吉田宏さんも飛び入りでご挨拶。パチリ!

続いて小倉の映画館へ移動。《22才の別れ》のポスターの隣に《転校生》のポスターも。この夏、2作が全国同時上映、でパチリ。

合間にラジオ局へ飛び、

デパートでサイン会、パチリパチリ!

福岡スタッフとはここでお別れ食事会。深夜大分へ向う。この車移動も楽しいのです。

4月29日

大分シネフレックス東宝11。奥様と休日の映画見物を楽しんでいらした広瀬勝貞知事、釘宮磐市長も舞台へ。。

製作会社ダイアックスの頼住宏社長に恭子プロデューサーも加わって、舞台挨拶は各会場で約20分、2回ずつ、です

お昼には「そうぞうの森」での屋外ファン交流会で、パチリ!

午後はT-ジョイパークプレイス大分でも2回。正やんのご両親が客席にいらして、正やんは舞台上から「ありがとうございました」。親孝行は良いものです。

正やんの古里、津久見の夕日。

見つめる中に九州上映の総てを実行させた山ちゃん(《なごり雪》からの大分プロデューサーです)、メイクの千江子さんの顔も。ほっと一息!

津久見の会場にはこの日だけで千人を越える人たちが!

夜は地元の人たちによる歓迎会。映画の撮影に協力して下さった人たちの顔も一杯。

正やんと旧友との交歓会が楽しい。この日は一日8回の舞台挨拶でした。

4月30日

日田・由布市を車で移動しながら2回ずつ。6年前の《なごり雪》の時もそうだったから各地で懐かしいお顔に出会う。

舞台では山ちゃんが司会をしてみたり、頼住社長もスピーチがどんどん上達したりで拍手拍手。岩出君もどこをどう行動しているのか、ここにも居て恭子さんと並んでパチリ!

由布院 庄屋の館で一泊。

良い湯で体を癒しつつ、劇場発売用チケットのためのイラスト描きで休暇は無し。

5月1日

豊後高田。今日もお客様は本当によく来て下さっている。ゴールデンウィークで皆様もお客を迎えて多忙であるのに。

聖奈と美玲も堂堂と自分の言葉で話せるようになってきた。若い人がこうして育つのが嬉しい。映画も旅も学校です。

ふと気付くと会場にダイアックス社 鈴木政徳さんと角川映画 鍋島壽夫プロデューサーの顔が見える!

その夜は皆で大分のフグを戴く。優雅なひとときは、中日のご褒美。

あ、俳優プロ社長の横田さんも訪ねて来てくれた!

思いっきり飲んで食べる、月天40年ものもぐいぐい! 大分のフグも酒も友情も美味しい!

5月2日

臼杵市内《22才の別れ》の大看板!
この同じ場所に去年までは《なごり雪》の看板がありました。

臼杵映画《なごり雪》の町。後藤國利市長も舞台に。

終ってお昼、食事を皆で。

ここで正やん、知ちゃんとお別れ。伊勢正三、知子夫人は東京・横浜のコンサートに向う。元気でね! 楽しかったよ!

午後は佐伯市で。
西島泰義市長もご一緒に。何処でも市長さん参加で楽しい。大分は官民がまことに一体となっている風土です。撮影中でもそれが嬉しい。

会場の皆さんも本当に映画を楽しんで下さっている。

5月3日

九重・玖珠の町へ。
会場のモギリは2000年ぼくと恭子さんが「大分植樹祭」のプロデュース、演出を務めてからの友、芝生係の山本さんたちが、ゴールデンウィークの間ずっとやって下さっている。大分だから出来る上映の旅です。

山口県の柳井から中岡先生グループが車で。本職はお医者様だが《なごり雪》では柳井での上映会を大成功させた人。今度の《22才の別れ》も、と大張り切り。フォーク世代の情熱と行動力は凄いですねえ!

玖珠のステージでは地元の女子高生の人たちから花束を戴く。

舞台挨拶の後は上映会を成功させて下さった皆さんと語り合う。ここは「童話の里」であるのです。夢を信じよう!

5月4日

国東でも満席のお客様に迎えられる。

ロビーでもパンフレットにサイン。

ステージでは地元の方がヴァイオリンで《22才の別れ》を!

地元の方たちの情熱で上映会は続いていくのです。

宇佐へ向う。寸暇を割いて宇佐神宮へ。

久びさに恭子さんとツーショット!

会場前の行列。こちらも場内にあふれる熱気!

西本願寺で飛び入りのミニ講和。

それから名物ネギ料理を市民の皆さんと戴く。ここは焼酎の里です。いいちこがうまい、うまい。人情が厚い、熱い!

市民の方と「さよなら」「またね」

5月5日

子供の日。会場は大人と子供たちで一杯。豊後大野。この大野町が8年前の植樹祭会場だった。芦刈幸雄市長さんもご一緒に。

会場はここでも大入り満員!

竹田市でも牧剛尓市長さんと。聖奈・美玲は立派なレディになりました。

竹田の姫達磨をお土産に頂戴して。

臼杵へ移動して打ち上げ、お疲れ会! 後藤國利市長ご夫妻、市役所の方たちもご一緒に。

恭子さんに甘える聖奈と美玲。明日は皆、東京へ帰るのです。

5月6日

全員帰京。
恭子さんと二人だけ残り、大分在住の山ちゃんと三人で臼杵の会場で御禮のご挨拶。上映はまだまだ続いている。

大分、福岡の映画館では7月末までが目標で、古里巡りの上映会もあちらこちらと。今日は津久見の学校での上映会もあったのです。

臼杵の《なごり雪》記念で恭子さんが作ったティールームでスタッフにお疲れ様。大分では誰もが皆スタッフなのです。持ち寄りのお料理も並んで!

5月7日

大分のホテルの窓から見馴れた大分の風景にしばらくお別れ。

山ちゃんの車で陸路尾道へ。ひとときの心の静養!

 10日間、計39回舞台挨拶の旅。6年前の《なごり雪》では、この勢いが続いて全国フィルムコンサートで正やんと上映ミニライブの旅、大成功を記録しました。今回も大分、福岡ではまだまだ映画館で。上映の旅も続けます。《なごり雪》の上映もまだ続いているのですもの。

 旅はまだまだ終りません。これから母の17回忌の法要を済ませ、そして明日は信州長野からの《転校生》取材ヴィデオ班を尾道で迎えます。

2007年05月24日

尾道にて。

テーマ: かく撮りき

大分から尾道までドライブした山ちゃんと恭子さんを挟んで、伝ちゃんとタミちゃんと。

弟の明彦一家と、皆で庭で。後ろには明るい瀬戸内の海が。

 九州《22才の別れ》上映の旅の帰り、尾道に立ち寄って、お馴染みの新聞記者幾野伝くんとタミちゃんに迎えられる。タミちゃんとは吉田多美重さん。尾道山の手の旧家のお嬢さんで、ぼくが昔《ふたり》という映画を尾道で撮影した時、主人公石田ひかりくんの演じる北尾美加の姉千津子役の中島朋子くんが事故で死ぬ。その現場に最適と山の手の坂道のお宅を見付けたが、いくら何でも人が死ぬ場所に玄関先をお借りするお願いは失禮だと悩んでいたら、そこは智慧者の制作担当の叔父さんが、「この家の娘さんをスタッフにしましょう。スタッフの家なら問題はありませんから」、と無理やり制作部の一員に雇って了った。「五時まで」の約束に「はい」と引き受けた好奇心豊かな多美重お嬢様も、それが夕方五時ではなく徹夜明けの五時までと気付いた時には、もうすっかり活動屋の心意気! 山のくねくねした坂道、細道の運転はお手のもの、と以来大林組尾道担当の重要スタッフとなり、「尾道大林映画研究会」を立ち上げてその会長さんにも就任、その後も我が恭子プロデューサーの良き友として、尾道大林組を支えて下さっている。因みにタミちゃんの家の前の撮影現場は、この映画を愛して下さった全国のファンによる『千津子忌』がその後も催され続けるなど名所となり、タミちゃんが早朝牛乳を取りにパジャマ姿で玄関の扉を勢いよく明けると、待ち構えていたファンの旅人のカメラがカシャリ! と鳴るという始末だそうです。ファンとは有難いものでありますな。

 大分からドライブしてくれた山ちゃんのたってのオーダーで、その夜は尾道お好み焼きで腹腹! この店の特製ソースはぼくが子供の頃からの味。三浦友和くんも大好物で、良く尾道土産に持ち帰っていましたね。坊やたちも立派に成人されて、百恵ママもすっかり落ち着かれたことだろう。友和くんもますますいい味の役者! 俳優夫妻とのお付き合いも40年ともなると沁み沁みよい味になりますねえ。


母の法要。弟一家の後ろに伝ちゃんタミちゃん山ちゃんトリオ。

写真の中の父と母。仲良しの夫婦でしたね。美男美女でもありました。

恭子さんに甘える、姪の万里江ちゃん。レディになったりべビィになったり。

大分に電話する山ちゃん。《22才の別れ》はまだまだ上映中です。

 翌日は隣町の弟夫妻の家で母の17回忌。お坊様もすっかりお若い息子さんの代になられた。九州へ帰る途時の山ちゃんたちに、伝ちゃん、タミちゃん、と皆で出向く。母は生前タミちゃんのお花の先生でもありました。母がこの世を去ったのが《ふたり》公開初日のこと。あれから17年が、もう! 大阪キャンペーンの夜、弟からの電話で母の危篤を知り、翌朝恭子さんは大阪から尾道へ。ぼくは初日舞台挨拶のため東京へ向う。大入りで舞台挨拶が急遽2回に。その2回目の挨拶を終えて舞台から降りた所で母の死の報を聞いた。すぐさま新幹線に飛び乗る。生まれて初めて、母の居ない尾道へ。不思議だった。心穏やかで幸福感さえあった。「母はこのぼくの中にいる。もう別れることも無い」。その日も、若いお坊さんと昔噺など交わしていると、ぼくもいつの間にやら爺さんだ。なのに心の中の母は若い。昔がそのまま、今もある。その中を、弟の娘がつつましく育っている。ぼくの家族だ。家族の日日は繋がっているのだ。

山ちゃんを送り出す万里江とママと真ん中はタミちゃん。

 山ちゃんたちを送り、夜は弟一家と食事会。ぼくが家を出て了ったので、医家を継いだ弟夫妻が、こうした家のことは総てやってくれている。有難いことである。今度ゆっくり、弟たちと大分の陽の旅に出ようよ、などと語って愉しい一夜を過ごす。

 翌日は長野から信越放送のテレヴィ取材班が尾道へ。《転校生》の一時間番組の収録のためである。ぼくは劇中一夫と一美が入れ替る御袖天満宮に取材班を案内。大きな一枚岩から切り出された岩で作られた五十六段の石段の、一番上の段の石にだけ繋ぎ目がある。これは「人間の作り出すものに完璧なものは無い」、という教えを表わすものだそうで、ぼくが映画を作る時、いつも心に浮かばせる言葉。つまり、「畏れよ、驕るなかれ」である。尾道は石の町。古来全国に石工が招かれ赴き、こういう匠の教えをも表わしていったのでありましょう。
 続いて、実家の二階の部屋。ぼくが少年時代を過した場所にあるピアノを弾きながらの取材。この部屋の押入れに映写機と共に潜り、襖に小さな穴をあけてそこから自作の映画を壁に映して、近所の人を集めては上映会。そのサウンドはこのピアノを叩いて作った自作の音楽。ぼくの現在に至る原点がここにはある。
 そして海岸通りにある木造旧家前で。25年前の《転校生》で一美の家だった所。今回の《転校生 さよならあなた》でも唯一尾道ロケを行った場所。あの頃の尾道は、もう殆ど消えて了った。でも映画の記憶の中には、今も尚残っている。新しい《転校生》パンフレットのために依頼した原稿が、色色ホテルに送られて来る。パンフの編集を担当してくれている娘の千茱萸さんからだ。昔の《転校生》では彼女は劇中の8ミリ映像も写す8ミリ少女だった。主役でデビューした小林聡美くんと同年配。すっかり互いに大人になったその聡美くんがチャーミングなコメントを寄せてくれている。山田太一さんからの長文の原稿もある。嬉しい贈り物に、ぼくも4,000字の一文を、海の見えるホテルの部屋で認める。《ふたり》でデビューした石田ひかりくんも17年経った今、新しい《転校生》に戻って来てくれた。母となり、自ら童話作家ともなり、今回はチャーミングな先生役としてだ。《マヌケ先生》のぼくの役で尾道でデビューした厚木拓郎くんも出ているぞ! 《あの、夏の日》の勝野雅奈恵くんも! 《転校生》からは宍戸錠さんに入江若葉さん、昔の吉野アケミ役の林優枝くんも。ぼくの《理由》でデビューした寺島咲くんは、今回その吉野アケミ役でただ一人、尾道ロケに参加した! 他にも、尾道映画でお馴染みの人もいっぱい! 映画の仲間に囲まれて、映画の旅はこうしてまだまだ続くのであります。

瀬戸の魚料理を前に弟一家。明彦、万里江に挟まれて直子さん。

明彦の友人、お肉屋さんの牛ちゃんを真ん中に皆で。

万里江嬢の親友さんが登場。二人はさっさとカラオケ店へ。若い人はいいね。

長野から《転校生》テレヴィ取材班が。軽く打ち合せして。

伝ちゃんタミちゃん二人で、ブログの写真を東京のはずき嬢に転送。

帰りの新幹線車窓から見える富士山。初めて見たのは十八才の時。五十年の昔。

帰京して直ぐ、教授を務めている尚美学園大学院へ。若い人の熱さが嬉しい。

事務所ではチーフの南柱根君が待機。ぼくが旅してる間に280頁の脚本を試みに。

重松清さんから原作小説をお与りしている《その日のまえに》。いよいよ次の映画の始動だ。

2007年05月31日

雨の日に。

テーマ: かく語りき

憲法九条も含めた平和講演会で大阪へ。ステージで歌を披露された野田淳子さんと。娘さんご夫婦はぼくの映画のファンだとかで記念撮影!

 きのうは一日だけ雨が降って、今朝はもう太陽がきらきら光っている。  きのうは一日、雨が不思議だった。思わず表に出て、雨の雫を掌に受け止めてみたりした。あ、水だ。冷たいぞ。掌が濡れたぞ!
 これって、不思議ですよね。ぼくが今こどもだったら、そう思ったはずです。
 だって、この頃、雨が降らない。雨が降らないのが、普通になっている。日本全国あちこちで、ダムの底が干涸びだしているそうです。今二つか三つの子だったら、雨は珍しい。見た記憶はあまりない。そこにいきなり空から水の雫が落ちて来たら、そりゃ不思議ですよね。きのうのぼくも、そんな気持でした。
 すると色んなことを考えます。

 ──ゴッホは、雨の絵を描いたっけ?……
 黄色い糸杉や麦畑。鴉に自画像、跳ね上る懸橋。でも、雨の記憶はありません。
 さっそく尾道の伝ちゃんにメールを打つ。新聞記者さんなら、何か情報を持っているだろう。

 ──尾道の美術館の学芸員に聞くと、日本の浮世絵を題材にした作品があると言います。調べてもらってます。
 ほほう。ゴッホは日本の雨を描いたか!

事務所のフィルム編集室の隣には、ちゃんとデジタル機器もありますよ。編集の天才・三本木久城君と。

 けど、画家が画布に雨を描くって、大変な作業ではないか? どう大変かはぼくは画家ではないから分からないけど。だって、キャンパス、濡れやしない? 雨に色があるのかなあ? 雨が降ると線になるのかしら? 雨を描いているゴッホさんは濡れないのかしら? 絵も、雨と同じくらい不思議です! ぼくがこどもならそう思う。大人は何でも当たり前で、だんだん不思議なことが少なくなるなあ。それは、つまんない。

演出家中村明君も来社。恭子さんはずき嬢も顔を揃えて、編集一休みのティータイム。

 あ、映画では、雨は黒いぞ。黒澤明監督は《羅生門》という映画の撮影をする時、雨が透明で画面に映らないので、雨に墨汁を混ぜて黒い雨を降らせたんだそうだ! 黒澤さんもスタッフも真黒になって、やっぱりびしょ濡れに濡れちゃったんじゃないか? 聞いた話だから分からないけど。白い鳩も鴉になったかな!?
 ──画面の中に風を吹かせて埃を巻き上げ、大雨など降らすとね、映画に力が出るんだ、とは実際に黒澤さんが話されるのを聞いた。
 うん! 黒澤さんの映画にはそういう場面が多いな。黒澤さんはゴッホも映画に登場させたけど、雨は降らなかったな。風も吹いていなかった。静謐で、色彩に溢れていて、明る過ぎて一寸怖かった。浮世絵の雨? なるほど浮世絵に雨は多いな。日本の四季ですね。穏やかだ。ゴッホはどんな気持で、日本の雨と向き合っていたのだろう?

事務所では昼間は取材が色いろ。ぼくはグラビアの被写体を務める。映画公開を控えると何かと被写体となる仕事が多い。

メイクの千江子さんが立ち寄って、お昼。人の出入りも賑やか。

 ゴッホの生涯を舞台で描かないか、という話がある。ああ“ゴーギャンのともだち”か! とぼくは思う。“オレキエッテ”はさてどうだ! 戯れに、その舞台の題名を思っているのである。そんな“戯れ”から物語を手繰り寄せていくのは、ぼくの癖であるらしい。“オレキエッテ”と正確に発音したかどうか、これは“ゴッホの耳たぶ”の意だと聞いた。今はその名も流布しているのかも知れないが、ぼくがそれを聞いたのはローマ市中に1400年代からある石造りの建物の中にある古いレストランで出されたパスタの名だった。これがとびきり、うまかった! フェリーニのお気に入りの店でヴィスコンティの助監督さんが案内してくれた。イタリア貴族ばかりが集る店で一見の客は入れないのだとか。ぼくはその時ソフィア・ローレンのCMを撮っていた。“ラッタッタ”という、あれです。で、“ゴッホの耳たぶ”の話ですが、説明は要らないよね! ゴッホ自身が削ぎ落とした耳たぶをパスタに茹でて食するというんだから、流石イタリア、流石貴族、流石ゴッホ、流石芸術! さすが、を流石と書くのは、サスガ日本!

 ──歌川広重の名所江戸百景を手本に「雨の大橋(1887)」など数点あるようです、と伝ちゃんからの返信。
 画家が絵を手本に絵を描くとはどういうことだろう? その時ゴッホの心は雨に濡れていたんだろうか? ゴッホの人生にとって、雨って何だったんだろう?

 ぼくは、雨の日でも撮影します。天候でスケジュールは変えない、が原則。人生いつだって雨は降る。映画の中だって! 運動会なんて雨の中の方がドラマチックな画面になるよ。濡れるというだけで、新しいストーリーが生まれます。キャメラもライトもメイクも音響もみんな濡れて大変だけど、お客様は映画館の中で濡れてないもんなあ。お客様のために我慢する、これも原則!

千茱萸さんが編集中の《転校生ーさよならあなた》のパンフレットの表紙デザインが色いろ。

主演の蓮佛美沙子くんのモデル写真つき!読みもの満載の楽しいパンフが出来そう。

この間、筧利夫くんの舞台を見に行った。若々しくダンスを踊ってみせる。口跡が美しい。鍛え抜かれてキレの良い座長芝居。でも野球の選手ならそろそろ引退の年齢だぞ。楽屋を訪ねると疲れた様子は一切無く「《22才の別れ》の九州上映の旅、お疲れ様でした」、と明るくこちらを労ってくれる。その顔がゴッホのように見えた。《22才の別れ》ではハンフリー・ボガードだったけど。楽屋を出る所でこの舞台に筧くんの“恋人”役で出ている黒木メイサくんを見掛ける。十八歳! 素晴らしい“舞台女優”さんの登場! ぼくは身も心も奪われましたよ。恭子さんとにこにこと渋谷で食事をしている所へ娘の千茱萸さんが。事務所のはずき嬢も合流してライブハウスへ。《転校生》に主題歌を提供して下さった寺尾沙穂さんのピアノの弾き語り。その主題歌『さよならの歌』の名唱! 心はしっとり!
 帰りがけに三軒茶屋の馴染みのお店で皆で食事していると勝野洋くんが。色色な人と会えて語らって、今日も生きていることが愉しい。

 テレヴィの画面の中で松坂投手のレッドソックス軍が試合開始を待っている。おや、アメリカは今、雨です! 観客席は誰も帰らず、びしょ濡れの少年が『MATSUZAKA』と描かれたボードを持ってじっと待っている。この少年は未来を信じているんだろうね。ぼくが少年だった頃は、日本はアメリカと戦争をしておりました。
 ああ、ゴッホが画布を抱えて、雨の中を歩いている。“雨の日のゴッホ”ってのはどうだ! 平穏な一日の中のゴッホ……。

 熊井啓さんが亡くなった。合掌。

取材の人たちと成城の町を歩く。後輩の成城大学の諸君と笑顔を交しながら。

町角でパチリ!写されるのもいいが、ぼくはやっぱり写す側の方がいいな。

偶には身内で細やかに食事。とんかつににごり酒でお疲れさま!

恭子さん、パチリ!

千茱萸さん、パチリ!

ぼく、パチリ!

スタジオで恭子さんと福ちゃん、プロデューサー同士。

携帯で配信する「ムービーエッセイ《転校生》シリーズ3本目の編集。

窓の外は、今日は雨でした。

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