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2007年06月 アーカイブ

2007年06月07日

走れ、走れ!

テーマ: かく語りき

広島・建築家の皆さんのお集まりで講演。21世紀型の家とは、などという話をする。

 わが家の窓辺の机に向って原稿を書く、ってのは、家に居る限りぼくが楽しみにしている日課であるのですが(今もそうしてます!)、この所その状況と気分が煮詰まるだけ煮詰まっております。『《転校生》本』(仮題)という本を出すことになり、その本のための原稿を少しの間も盗んで書き続けているからです。つまり、日課の原稿は、原稿用紙に十枚からせいぜい二、三十枚の、雑誌や新聞の依頼原稿ですから、例えばちょっと言葉の森へ散歩に出かけようかというようなもの。所が『《転校生》本』のように丸丸一冊の本ともなると、散歩どころかもうフルマラソンを走り続けているようなものです。
 普通はホテルか和風の宿の一室に籠って十日ぐらいで書き上げる。ぼくは書くのは速い方のようで、映画の脚本だと三日もあれば充分。机に坐るとわーっとペンを走らせて書き上げて了います。考えて書くということはまるでなく、書きながら考える、ペンが勝手に走っていくってタイプなんですね、きっと。

尾道で25年前の《転校生》と今回の《転校生》を同時上映。町の未来を考えるという討論会などの企画で、いつもの尾道メムバーが広島まで。

 これは映画の撮影の現場でもそうで、ともかく年中動き廻っている。誰かとお喋りし、では撮影、となるともうテストからキャメラを廻し出す。技術陣は必要なテストはさっと済ませて置きますが、役者のテストはやりたくない。「人生にテストもリテイクもない、一回限りの本番で」が好きなのです。ぼくは劇映画を作る人間ですが、「虚構で仕組んでドキュメンタリィで撮る」、ですかねえ。講演でも演題は知らないまま出向く(先方の方に決めておいて戴きます)、テレヴィやラジオもぶっつけ本番。準備や打合せは、これまで生きて経験して来たことに懸ける。そうやって自分を試しながら生き続けてみる、のが好きなんでしょう。
 ほらほら、もうペンが勝手に走っている。『《転校生》本』の話ですよね。今度6月23日から全国公開される《転校生 さよならあなた》という映画、25年昔のぼく自身の《転校生》の再映画化なので、そんなことの中に存在する色いろな歴史を一冊の本に纏めてみないか、というお話があって。……

《22才の別れ》の全国公開用ポスターを持って宣伝部の小林さんが事務所へ。《転校生》パンフレットの仕上りが近い千茱萸 さんも。

 「映画は辻褄の合った夢」、とぼくは言いますが、一本の映画が出来るには色いろな人やモノとの出会いがランダムに様ざまにあり、その「偶然」の集積がつまりは一本の映画となって結実する。出来上がってみれば、総ては「必然」となっている。で、普段は映画は「必然」の側から語られる。筋道が通って分かり易いしね。ぼくの日課の方の原稿だとそうなります。
 けれども一方で「偶然」の方から語り出すと、これはこれで面白い。どうなるやら誰にも分からない「夢」が夫ぞれに様ざまにとっちらかっていて、まるでオモチャ箱をひっくり返したように乱雑極まりない。その夢の破片を叮嚀にひとつずつ拾い上げて一つの物語を紡いで映画に結んでいく。──それが今度の本の目指す所! こちらはだから大長編になって了うわけです。
 所で今はホテルに籠るなんて余裕は全くナシ。公開を控えてのキャンペーンの旅に取材、取材、取材! それに講演の仕事に学校の授業。どれもが愉しくて面白くて本を作る愉しさだけに身を委ねてはいられない。というよりぼくは一つのことだけに閉じ籠ってちゃ駄目な人間なんでしょうね。全部が夫ぞれに面白くなきゃ、刺激が無くなってペンが止まって了う。沈思黙考って柄じゃない、とっちらかして生きているみたい。駆けて駆けて駆けて、走り続けて生きて来たなあ。やれ、やれ!

週刊誌「親子のかたち」対談で千茱萸 さんと二人取材を受ける。昔からの親子の映画史を語って愉しい一刻。

事務所のキッチンで寸暇を割いて皿洗いしているはずき嬢を千茱萸 さんがパチリ。

何故か事務所に傘が届いて、恭子さんと千茱萸 さんをパチリ。

三人揃えばミュージカル!でパチリ。

 そんな中での『《転校生》本』です。どんな本になるのやら書いてる自分にも分かりませんが、とっちらかすだけとっちらかしてみよう、って魂胆。それが皆さんにとって面白きゃバンザイですが、ま、全編戯事と言うならまさしくタワゴト。自分じゃこれを「映画談義」と呼んでおりますがね。ただ書いていて沁み沁み思ったのは、ぼくが若い頃は映画談義は愉しかった。皆でわいわい徹夜して喋った。映画は「共通語」だったんですね。どの映画もみんなが知っている。知らないまだ日本では見られない映画も共通。見られない見たい夢として同じ思いで語られる。もちろん考え方は夫ぞれに違うけれど、その違いがまた互いに面白く、寄り添い合えていく。そんな時代でありました。
 でも今では、映画を語ればジェネレーションギャップが生まれる。皆見ている映画が違って情熱が異なり、対話が生まれ難い。考えや好みの違う人とは語りたがらない。自分だけの世界に閉じ籠って独りで好みの映画をみていればよい。今はそういう談義にならぬ時代なんですね。
 で、だからぼくは敢えて「談義」をやってみる。そんな勇気をぼくに与えてくれたのは、ぼくが今通っている大学の学生諸君です。彼らも最初は「談義」嫌いのように見えたが、なになに喋り出せば乗って来る、乗って来る。熱い、熱い!
 だってスポーツ界、見てごらんなさい。彼らは世界にまで飛び出した! 本来の若い人の姿はあれが自然なんだとぼくは思う。映画好きな人たちもね。引き籠り閉じ籠りは、そういう社会を大人たちが作っちゃったから。つまり元凶はぼくらなんですね。だからぼくもまた立ち止まってはならない。走れ、走れ。
 ぼくが家の前の野川の辺りを走っていると、軽やかにぼくの横を追い抜いていく子供たちが、しばらくぼくの横で一緒に足踏みして行く。すなわち、ぼくは全力で走っているつもりなんですが、彼らにとってはそれは足踏み! うーん、未来へ向って走るのは若い人に任せ、ぼくはせいぜい邪魔しないように、道を譲って道の端を走ろう。でも老人が頑張っている姿だって、それなりの魅力はある筈です。
 ぼくが子供だった頃、そんなおじいちゃんがいたなあ。あのおじいちゃんとあるとき一緒に走りながら話をした。愉しかったなあ。ぼくもこんなおじいちゃんになるまで一所懸命走ろう! と思った。あの頃のおじいちゃんはチャーミングだった。今の老人のぼくは果たしてどうか? 考えるとゾッといたしますな。

 あ、『《転校生》本』の話でした。この本も、ゾッとする本にしないように、ともかく走り続けてみよう。
 今日は子供の頃の夏の日のような一日です。走れ、走れ!

我が家の地下の書庫で取材。四十代の頃のぼくの人形とエテ公がお出迎え。25年前の《転校生》を撮った頃のぼくですね!

昔のレコードはあの頃の映画音楽にモダンジャズ。その前にフレッド・アステアとジョン・ウェインが立っているぞ!

そのままアップにしたら、石田ひかりくん《ふたり》でのデビュー時のぼくとのツーショットも!

福永武彦と手塚治虫さんが揃ってる。十代から二十代の頃一心に集めました。人生の書庫でもありますな。

山中恒さんや赤川次郎さん芦原すなおさん、高橋克彦さんの後ろは映画関係の本がずらり。戦前からの貴重なものも!

取材の記者さんは成城大学の後輩でした。今日は江戸川乱歩に絡ませて手塚治虫や福永武彦、ヒッチコックの話。母形作家に対して妹形作家は空想に遊ぶと。

大きな荷物を持って取材のお二人はお帰りに。お疲れ様!

恭子さんがお見送り。

制作部若ちゃんと奥様が長男を連れて事務所へ。

何と可愛い!

ぼくもおじいちゃまに!

彼とゆっくり話をする。大きな手と小さな手も使って。

若山光樹くんは未来を見つめている。平和な未来にしなくちゃね。

何を思ったか、はずき嬢が、足もぱちり!

窓辺の机からちょっとお別れ。明日からは長野への旅です。

2007年06月14日

《転校生》の25年!

テーマ: かく撮りき

東京事務所での取材・取材の日日の中、《22才の別れ》の鈴木聖奈がやって来る。会う度にレディに育つから若い人は頼もしい。

製作会社ダイアックス社長の頼住さんと並んで聖奈の食欲は益益頼もしい。食欲と消化能力は表現に携わる者の基本です。

大分から山本さん来社。2001年の大分植樹祭での芝生係のおじさま。ゴールデンウィークは《22才の別れ》上映の旅の間中、モギリのおじさま!

取材スタッフに村田雄浩君事務所社長の横田さんも交じってパチリ!

ゴッホの芝居をやろうと、打合せというより雑談会で、安井プロデューサーと福島プロデューサーが来社。安井さんは《22才の別れ》のCOプロデューサーて

ラジオの取材も事務所で。NACK5の近藤淳子アナウンサーらが来来で愉しく賑やか!

長野の町で。善光寺山門前で恭子さんと久びさの2ショット。

東京からはずき嬢の運転で千茱萸さんと森ちゃんが駆けつける。パンフの入稿が終わったそうで、お疲れ様。《転校生》パンフは面白いよ!

立川志らくさんの新しい芝居《ベニスの商人》を見る。今回は洋モノSFミステリー。これまでの情の喜劇から知の喜劇へワープ。相変わらず面白い。志らくはどこまで飛び昇るのか!
《ふたり》でデビューの柴山智加、《なごり雪》でデビューさせた須藤温子とロビーで会う。大林組女優さんは志らく師匠のご贔屓だ。偶然だが主演の北原佐和子さんは昔の《転校生》のイメージソングを唄って歌手デビューしたんだった!

 6月8日、《転校生 さよならあなた》が善光寺さんの境内で御披露目上映されました。  山門に巨大なスクリーンを設置して、である。  善光寺1400年の歴史で、境内で映画を上映するなど初めての事。今後もこんな事は有り得ないだろう、とのお話。まことに勿体無い上映会であります。 「長野で作られるこの映画、完成したら是非善光寺さんの御本尊にお見せしたい。境内で御本尊に向けての上映は出来ないだろうか?」、と善光寺さんが仰っているとは、撮影中からぼくらに伝わってはいた。けれども「まさか!」、である。そんな事をしたら罰が当るぞ!
 それが、現実になった。折角だからと当日、御本尊と共に300人の市民の方をお招きして一緒に鑑賞して戴こうと声を掛けたら、応募が2000通あったそうだ。で、映写スペースぎりぎりの1000人の方に入場して戴くことに。これもまたまことに有難い事であります。

 思えば25年前昔の《転校生》の時は撮入直前に製作会社が「こんな映画は我が社の社風に合わぬ」、と降板し、スタッフ全員が一台のバスに機材もろとも乗り込み、尾道へ向った。男の子と女の子のココロとカラダが入れ替わるなど、そんなお行儀の悪い映画などとんでもない、というのが降板した製作会社の弁。
 普通ならこれで製作中止であるが、ぼくのようなインディーズの個人映画には、中止とは映画のみならず人生を止めろというようなもの。で、25人の仲間と共に自主製作という形で尾道へ乗り込んだのだった。
 尾道はぼくの古里で、それ故に撮影は出来たのだが、例えば公立の中学校などの撮影は拒否。ぼくの恩師の先生方が「ワシが向こうを向いている間にこそっと撮れ」、と撮らして貰う日日。それでも町の人たちの温かい協力も得て30日一杯で撮影を終える事が出来た。
 聞けばこの物語の原作者の山中恒さんも、「こんなハレンチな小説は子供に読ませるな」、と当時の児童文学の先輩たちからは散散小衝かれていらしたそうだ。それを伺って、その昔ぼくが小学生だった頃には、あの手塚治虫さんの漫画もまた悪書追放の目に合い、ぼくらの手から取り上げられた事もあったっけなあ、と思い出したりもしたものだった。
 尾道で完成した映画《転校生》は、「こんな汚い尾道を写されたのでは観光の妨げになる、上映しないでくれ」、とも言われたが、試写を見た尾道の子供たちが全員で応援してくれ、恐る恐る上映に踏み切ったらこれが全国の皆さんに愛されて“ロケ地巡り”の信じられない程の熱いブームを生んでいく。
 東京での公開初日の映画館では上映後拍手の渦が湧き上がった。テレヴィ放映ではゴールデンウィークのゴールデンタイムに4年連続オンエアされ、高視聴率を上げた。今でもヴィデオやDVDは売れ続け、原作本は諸外国で翻訳され出版されている。どうしてこういう事になったのかはぼくにもよく判らないのだが、今回の再映画化に際しては「名作のリメイク」などと呼ばれ、それがぼくを嬉しくも怯えさせたりもする。

 そんな中での、善光寺上映会であります。
 当日は夕刻から雨。激しい雷雨! でもお天気で悩むなど罰当たり。これは神や仏、自然界の意思であり、ぼくらはただ頭を下げ、これを「恵みの雨」、と受け止めるだけ。この今日、雨があるからこそ、ぼくらは緑に包まれてこの地上に生きていけるのだ、とは自然に向って仕事する映画人の心得でもあります。
 まだまだ冷気漂う山の里の雨の夜、傘を差し、寄り添い合った長野の人びとの温もりと共に、この夜《転校生》は、無事善光寺さんの御本尊にお見せする事が出来たのでありました。御本尊は喜んで下さった事でしょうか! 長野の皆さん本当に有難うございました。  一方尾道では、市内の小・中・高校生から大人まで、皆で新旧《転校生》を同時上映して、尾道の現在や未来を見つめ直すシンポジウムを行おうという計画が進んでいる。
 ああ《転校生》! ああ25年! であります。
 公開キャンペーンも始まっている。6月23日より全国上映が開始される。これから更に25年、50年。その頃のこの日本は、どういう国になっていなければならないのでしょうか?

「《転校生》やりましょうよ!」と藪から棒の言いだしっぺの鍋島プロデューサーも、「信州・長野でね」と即座に応えた恭子プロデューサーも感慨深げ!

映写担当の花形柴朗さん。昨夜も雨の中を準備に。「大林さんの名作をきちんと上映しようと若いスタッフが一所懸命にね」、とにこにこ。有難い。

OB’sという大林映画ファンクラブ関西支部の松林君、東海支部の谷君も駆けつけてくれた。彼らはとってかえして3日後の大阪試写に向うのだとか!

善光寺さん控室で善光寺スタッフの皆さんと共に、鍋島プロデューサー、恭子さん。

雨のなか、1000人の長野市民の方が集まられた。我が里、人の暮しがどのように映画に写し出されているのか、とみなさん楽しみに。

蓮佛美沙子くんの男の子型、女の子型の切り抜き人形。出来上がったばかりのパンフレットのおまけです。

自身の切り抜き人形とパンフを手にして喜ぶ美沙子と千茱萸 さん。

善光寺中島寺務総長さんが舞台でご挨拶を!

鷲澤長野市長もご挨拶。おととし《理由》が長野映画祭に招待されたとき映画談義に話が弾んだ思い出も。こんな日が来るとはあのときには、・・・。

美沙子と二人で舞台挨拶。長野のみなさんにお禮を。

その模様をヴィデオで撮影する千茱萸 さん。

雨の中で万全の映写準備!

この模様が『ニュース23』で紹介されるので、ぼくは番組出演のため一足先に東京へ。角川映画の三浦君と。

筑紫哲也さんが体調を崩されてお休みの中、番組の若いスタッフはみなさん元気に。 膳場貴子アナウンサーはピアノがお上手。ぼくは昔、その姿をテレヴィで見て

《転校生》の話をたっぷり。先日は筑紫さんの古里九州の日田で《22才の別れ》を上映したばっかり。早く回復されますように。

信州長野の上映、無事終了の知らせ。雨の中大きな拍手の響きが善光寺境内に湧き上ったと。よかったね!あと片付けもご苦労さまです。

ホテルで一休み。この部屋で《転校生》のシナリオを書いたのが去年の夏の終り。角川映画の長山さんとビールで乾杯!

早朝、関西へ飛ぶ。大阪岸和田で「岸和田障害者共同作業所30周年記念」講演会。いずみ野福祉会のみなさんと。

角川映画古本奈緒さんの迎えで大阪市内へ。《転校生》大阪公開キャンペーン。大阪NHKなど取材が続く。

角川映画大阪支社の古本さん。奈良の生れのがんばり屋さん。

朝日新聞社長谷川記者と日刊スポーツ安井記者、角川・野村さんと映画談義が楽しんでいると東京から横ちゃんが駆けつける。

日曜日!日曜日を日曜日として過したのは何年ぶりだろう?記憶に無いなあ!横ちゃんと恭子さん。

蜷川幸雄さんの舞台『藪原検校』を見る。昔高林陽一君の8ミリ映画に出演されていた頃から変らぬ若さ。互いに「元気で!頑張って!」と握手。

出演中の松田洋治君を見舞ってから恭子さんの束の間の衝動お買物!緑のバッグは素敵だよ!

大阪のコイケちゃんとモモコさんとヨルの夜の食事。楽しかった。昔から続く友情の中でぼくらは生きている。

翌日は朝から浜村淳さんのラジオ出演。《HOUSE/ハウス》からだから30年のおつき合い!

月曜日、秒刻みの取材開始。思えば映画会社やマスコミの仕事も日曜はお休みという時代になったんですねえ。現場は違うけど。

鍋島プロデューサーも駆けつけて、取材、取材、取材!

美沙子は確り自分の言葉を持っている賢い娘だ。このままアイドルになどならず、自分らしく育って欲しい。それがよい女優になる唯一の条件です。

大阪・ワーナーマイカルシネマズ茨木で舞台挨拶。昔の《転校生》を愛して下さった方方で一杯!

このお父さん、お母さんたちがお子さんを連れてきて下されば、《転校生》はまた若い人の時代にも繋っていくのだろう。

支配人の作田さんが《転校生》の大ファン。この劇場での試写が実現したのだそうです。映画の力は素晴しい。その映画と共に生きられて、ぼくは幸せだ。

角川映画のみなさんお疲れ様!次は8月公開の《22才の別れ》でね。美沙子は名古屋へ、ぼくと恭子さんは東京へ!

2007年06月21日

松井がホームランを打つときに。

テーマ: かく語りき

長野善光寺《転校生》上映会の写真を整理して森ちゃんが来社。

雨の中、最後まで鑑賞して下さったみなさんの姿に感動!

びしょ濡れの地面に坐りこんだ方もいらした。.

ジャズシンガー大橋美加、瑠奈、耀司の御一家が遊びに。瑠奈ちゃんのミュージカル『ココ・スマイル』も間近か。

瑠奈ちゃんのお友達のお父さんが作った季節の和菓子。綺麗で美味しそう。

突然また大分へ。山ちゃんの同級生さんのお店で昼食。

お店の前でお母様も一緒にパチリ!

 松井選手がバッターボックスに立っている。夢のようだ。ヤンキース軍の一員としてであります。
 ヤンキースといえば、かつての野球少年であったぼくなどには、夢の夢のまた夢の大舞台だ。《くたばれヤンキース》という映画や舞台劇があったように、強くて強くて強くて負けを知らない世界一のチーム。そのチームの中で、いま日本の松井秀喜がプレーしているのであります。

 しかしぼくが子供であった頃には、日本はアメリカと戦争していたのだ。このヤンキース軍は敵国アメリカのチームだったのだ。日本でも野球をしていたが、「ヨシッ」、「ハズレ」。これは「ストライク」、「ボール」のこと。敵の言語であるから英語は使わなかったのですね。
 近頃では日本がアメリカと戦争をしていたなんてことも知らない子供たちも多いという。それを嘆く大人もいるが、歴史の勉強は別として、「戦争を知らない子供たち」が増えるのはいい事だ。人間の歴史から戦争の文字が消えちまえば一番良い。
 世界中の人間が、ある日突然手にしていた銃を一斉に捨て始める。銃が無くなった、平和だ、平和が来たぞ、と皆で銃を持たぬ大手を振って喜び合う、──これはぼくらの大先輩 黒澤明監督が夢見た映画の一場面。実現はしなかったけれども。
 それは《こんな夢を見た》、──という映画の脚本の中の一場面。当時だって合成をすればこういう映像を生み出すことは可能だった。しかし黒澤さんは、これを現実に世界中をロケして、実写の画面で実現したかった。御自身は既に高齢で世界ロケは難しかっただろうが、それでも世界各国の映画人に頼んで撮影して貰う。映画が世界を結び、共に平和を願う。セカイのクロサワと呼ばれた大先輩に相応しい映画作りの夢であったと思う。
 しかし《夢》という題名となって完成したこの映画の中に、その場面は無かった。平和だ、平和だ、の喜びに満ち溢れた場面は、一映画作家の夢に止まり、実現はしなかった。

 松井選手がヒットを打って出塁し、ヤンキースの仲間たちが大きな声援拍手を送る。テレヴィの画面が臨時ニュースに替わると、今日も世界は戦争のニュース。多くの人命が失われ、人びとの悲しみは終らない。
 止むに止まれぬ事情があって戦争は起きるのであろうが、止むに止まれぬ思いが平和を生むことは無いのであろうか。戦争を起こすのも人間なら、平和を創造し得るのも人間ではないのだろうか? 黒澤明監督が願う世界の平和は、一映画作家の「夢」に終って了うのでありましょうか。
 《夢》という映画の中に、青年画家の「私」に扮した寺尾聰さんが、ゴッホに出会う場面があった。それもゴッホが自ら描いた絵の中で。
 その合成場面の撮影は、主に黒澤さんの僚友本多猪四郎監督がハイビジョンカメラの前に陣取って担当されていた。あの《ゴジラ》の本多監督であります。黒澤さんは時どき本多さんの後ろに立って、「イノさん、面白いねえ」、と友の苦労を労っていらしたが、肝心の寺尾さんがゴッホの絵の中に入って行く場面だけは、御殿場に巨大なゴッホの絵のセットをこしらえ、巨大な額縁を立てて、寺尾さんが実際にその額縁を踏み越えて絵の中に入って行くという画面を撮影しようとなさっていらした。  けれどもこの試みは上手くはいかず、黒澤さんは潔くこの画面を諦められた。この映画の合成シーンを担当していたジョージ・ルーカスのスタッフが、こういう場面こそ合成でやれば容易に作れますよと勧めたが、黒澤さんはにっこりと微笑まれて、「合成は、汗を掻かんからねえ!」。  巨匠の映画は、いつも汗を掻いていたなあ、一所懸命の汗を。その汗と努力が観客を感動させ、映画の夢へと導いて行ったのだった。それが映画の美しさと力であった。合成では映像は作れるけど、映画にはなるのか、ならぬのか? そこの所が現代の映画人であるぼくらに、深く問われる所であろう。

 ぼくが去年作った二本の映画は、一方の《22才の別れ》は全体の8割がCG合成。もう一方の《転校生》は全編合成無しが狙いで作られた。この二本揃えて、ぼくの2006年の「映画作り」の試みである。
《22才の別れ》の方では、普通に撮っても撮れる映画で、敢えて合成作業を試みた。「合成すれば容易に手に入れることが出来る」というカットが欲しいのではなく、「合成することで汗を掻く」カットが狙いだったのですね。時間のひどく掛る大作となったが「合成画面」という現代の時代性を画面上に醸造したかった。殆どの人がこれを「合成画面だと思わず映画を見てくれる」という風に映画は仕上ったので良かったと思う。これは本来「CG合成」などを必要としない映画であったのですね。
《転校生》の方は色いろ合成した方がロケも楽だし映画も面白くなるという企画だったので、敢えて全編実写で通した。スタッフも俳優たちも、だから死ぬほどぶっ倒れるほど汗を流した。出来上った映画を見た人が「どういう合成をしたんですか?」と問うのに、「いや、ただ実際にやって写しただけ」。それがむしろ異様なほどの映画的興奮を呼び覚ますことに繋がった。
 ぼくは現場にいる時、いつも容易な方法と容易ではない方法があるとすれば、ためらわず容易ではない方法を選ぶ。それがお客様をもてなす唯一の方法であるから。  世の中のことはみんなそうじゃないのかなあ。容易に事を片付けようとすれば戦争になるし、平和を願うなら容易ではない事を色いろと、汗と努力で以って解決してゆかねばならないでしょうからね。
 映画を作るって、つまりはそういうことを色いろ考えることなんですよね。難しい問題は一杯あるけれど、それを喜怒哀楽の中から考える。そこに映画の面白さと役割りとがあるんだろうと。ぼくが映画を作る以上に、映画がぼくを作ってくれているんだと、沁み沁み有難いことだと思われるんですね。

 あ、松井のホームラン! スリーランで、ヤンキース軍の勝ち! 野球の勝ち負けは愉しいね。汗が飛び散っている! 陰の努力が滲んでいる! だからぼくらも嬉しくって手を叩く。映画も世界も。そうでありたいですよね!

大分信用金庫主催の一年に一度の「信金の日」で講演。

映画で集う人たちや映画女優さんの人と暮しの話などする。

恭子さんの古里 秋田在住カメラマン大野源二郎さんの写真集から作った短編映画《まほろば》も上映された。

大分信用金庫の山上さんと記念撮影。

その夜は8年前の「全国植樹祭」の仲間たちと共に。

もう十年越しの友人たちであります。

大分の朝。すっかり見慣れた情景。恭子さんはこの町に住みたいと言い続けている。

ホテルで飛び入り取材。大分の劇場は《22才の別れ》から《転校生》へとバトンタッチ。

山ちゃんのお知り合いのフレンチレストランで昼食。

由布院の宿でおはぐろとんぼの群れと出合う。

赤い茱萸の実の飾られた食卓。

久びさの湯の宿で。

恭子さんはお料理をパチリ!

ぼくは緑の中で原稿書き。『転校生・本』です。

ヴェランダで恭子さんが読んでいるのは重松清さんの『その日のまえに』。どういう映画になるのかなあ。

恭子さんはお花をパチリ!

パチリ!で、午後は東京へ。

旅のラストは朝食をパチリ!

2007年06月28日

《転校生》をお届けいたします。

テーマ: かく撮りき

8月中に出版したい「《転校生》本」の編集打ち合わせ。柳谷に編集員とアシスタントの秋田さん。

東京学生映画祭にゲスト出演の打ち合わせ。委員の皆さんと。

GYAO昭和TVチャンネルイベントの打ち合わせ。

長野から取材でいらっしゃったカントリープレイス原田さんと角川宣伝部の新人日野君。

《転校生》《22才の別れ》キャメラマン加藤雄大さんが来社。

「映画秘宝」の《転校生》特集記事で三留まゆみさんと対談した記事を手に千茱萸 さん。

オリンパスブログ担当の皆さんと初顔合わせの夕べ。

いろいろと写真についての話が弾む。

 新聞のテレヴィ欄をぼんやり見ていたら、お昼の時間に小さく《群衆》と載っていた。ああ“ジョン・ドー”だ! と思い出した。“ジョン・ドー”はこの映画の主人公の名。社会に向って抗議するため、市庁舎の塔から投身自殺しようという失業者。だが実在の人物ではなく新聞社を首になった女性記者が腹立ちまぎれに新聞社に投書した偽名。これを使って商売を考えた新聞社は、やはり失業した野球選手を“ジョン・ドー”に仕立てて売り出す。ラジオの人気者になったり選挙運動に巻き込まれたり、この“ジョン・ドー”を演じたのが若き日のゲーリー・クーパー。クーパーといえば西部劇の正義のガンマン。いつも颯爽と悪をこらしめる、ぼくらの人気者。この映画もストーリーは社会劇風だが、フランク・キャプラ監督によるハリウッド製娯楽映画。ハラハラドキドキしながら社会の仕組みについて考え、システムが生む人間の悪について思いを巡らす。“面白くて為になる”、というのが、映画という娯楽でしたねえ。
 思い出すのはモノクロオムの画面にしっかり刻まれたゲーリー・クーパーの表情。あの頃はまだ黒白画面の映画が多かった。(ブラック・アンド・ホワイトだから“黒白”ですよ。これを“シロクロ映画”と呼ぶのは間違い)。今思うとモノクロオムの映画は彫刻のようだったな。光と影で刻まれる画面の中で、ゲーリー・クーパーの表情は彫像のように心に刻まれて記憶されている。《22才の別れ》では、筧利夫くんの顔をこのように撮影しましたね。そのような映画中人物として、彼に存在して欲しかったから。それに比べてカラー映像は絵画のようですね。モノクロはある“意志”を、カラーは“情感”をより写し出す。筧くんの顔を極彩色に撮影したら主人公の性格も変り、映画は全く違うものになったでしょうね。黒澤明監督の映画はモノクロからカラーになってすっかり別のものになったでしょう。今は、若い人はモノクロオムの映画を見る習慣が無いけれど、ぼくはもう一度この現在に、意図的にモノクロオムで映画を表現する意味があると思いますよ。絵画と彫刻の違いのように映画を刻み込むことも大事ではないかと。表現された情報がマイナス1になれば、人の思いがプラス1になる。絵画だって余白が大事。刻み残されたノミの後に、人の物語が潜んでいる。

 おととい《転校生 さよならあなた》が全国公開されました。ぼくは東京・新宿のガーデンシネマで初日の舞台挨拶を行ったのだけれど、世の中随分変わりましたねえ。
 ついこの間までは初日の第1回目の上映はウチコミといって、映画館の前にずらりと人の行列が出来たものです。雨の中など濡れながら並んで下さっている人たちに、思わず握手して廻ったもの。ところが今ではインターネットでチケットが買える。静かな映画館へ入って行くとチケットは既に完売だとかでお客様は指定席にきちんと座ってらっしゃる。上映後もかつてならパンフレットを求める方たちに百冊も二百冊もサインしたもの。今はそんな賑わいも無いんですね。表の通りを歩いていても映画の看板も無いし、ぼくみたいにふらりと《転校生》を見ようと入って来るようなお客も無いみたい。
 《22才の別れ》は撮影地の大分を中心にゴールデンウィークはフィルムを担いで上映旅行をして、市民の皆さんともお会い出来て嬉しかったけれど、《転校生》では善光寺上映会で長野の人たちと、大阪の試写会でファンの方たちとお会いしたきりで、いきなり東京公開の舞台挨拶。こんなことは初めてで、ぼくはちょっと戸惑っています。
 これまでは公開前の二週間から一ヵ月ばかりはキャンペーンの旅。各地のファンの皆さんにご挨拶して廻ったもの。ラジオやテレヴィ、新聞雑誌の取材で土地の方たちと親しみを深め、それから映画の公開。それが今回はそういうこと無しで全国色いろなところで映画は上映中。何だか勝手に映画だけが押しかけてお邪魔したみたいな、申し訳ない気持で一杯ですね。と同時に自分の映画がどこでどうなっているのやら、まことに不安でもあります。
 今日は川崎のラジオで生を一時間、明日のための収録で一時間、その他を含めて午後一杯、旧友の岡村洋一さんの司会で過して来ました。川崎地区では何と三館で《転校生》の上映が行われています。やっとのことで当地の皆さんとお会い出来た感じで、一所懸命お話して参りました。これで川崎の方たちと一体化出来た感じで、嬉しいことですね。
 今朝、出掛ける前にテレヴィを見ていたら根岸吉太郎監督がちらっと映ってました。根岸さんも新作の舞台挨拶でしたが、出演者の女優さんが離婚するとかしないとかのニュースで、話はそればかり。共演者の名も監督の名前も紹介されなかったんじゃないかしら? これでは一体何のための舞台挨拶の取材なのか? 根岸吉太郎さんといえば現在の日本で最も輝いている監督のお一人。根岸さんにも映画にも何だかとっても失禮な感じなんだけど、そう感じるぼくの方がもう古いんですか? それともこれも映画の宣伝なのかなあ! 世の中変わったんですね。《転校生》の方はそういうテレヴィで話題になるような人は出演しておらず、舞台挨拶も少年少女四人プラスぼくでしたから静かでしたね。かつてなら出演者全員がずらーっと並んだものですがね。あ、三年前の《理由》の頃にはまだそうでした。写真撮影は大勢いらして下さってましたが、昔からの《転校生》を大切にして下さる方たちなんでしょうね。新聞雑誌の記事も、皆さん本当に愛情の籠った良い記事ばかりが沢山出て、嬉しかったです。
 大阪でも東京でも、観客席には25年前の《転校生》世代が多く見られ、この映画への変わらぬ愛情が感じられて幸福でした。有名タレントもアイドルもいない、映画に対する一所懸命とお客様をおもてなししようという心意気だけで作り上げた《転校生》。これはスタッフや出演者の皆さんのお蔭ですけど、映画を見ることの悦びを純粋に感じて戴けるなら嬉しいなと。その思いが次世代の子供たちにも伝わっていって欲しいなと。まだご挨拶に伺えていない各地の方がたも、どうか宜しくお願いいたします。
 ──大人の人たちが一所懸命、眠る間も食事する間も惜しんで、毎日毎日本当に愉しそうに映画作りに励んでいる姿を見て、わたしたちも一所懸命頑張らなくっちゃ、そのことを思うだけで撮影の一ヶ月を乗り切りました。
 お疲れの会で涙が止まらなかったこの映画に出演した15歳の蓮佛美沙子くん。まだ無名に近い新人ですが、《転校生》をご覧になったその後は、この若い女優さんの将来を、どうか温かく見守ってやって下さいね。エンドマークの向うに、ぼくらの未来があるのですから。
 今回は《転校生》を皆さまの前にお披露目したご挨拶とさせて戴きます。全国の皆さまに遠くから失禮致します。ごめんなさいね。

監督協会新人賞の選考委員長を務めていたのでその発表会に。

新人賞受賞の小林聖太郎さんと選考委員の皆さんと。

古い仲間の崔洋一監督協会理事長に映画評論家の松島利行さん、イラストライター三留まゆみさん。。

内藤誠監督と大森一樹監督と。現場では厳しい監督たちも今日はみんなにこやか。

小林聖太郎監督《かぞくのひけつ》のスタッフ、出演者の皆さん。

《転校生さよならあなた》初日の新宿ガーデンシネマ。《転校生?》のポスターと並んで宮?あおい主演映画のポスター。あおいは13才で僕の映画《あの、夏の日 -とんでろ、じいちゃん-》でデビュー。

控室で角川歴彦会長、井上泰一社長、黒井和男相談役と。

第一回上映終了後にお客様へ御挨拶。蓮佛美沙子、森田直幸、寺島咲、厚木拓郎と。皆緊張の面持ち。

「おれがあいつであいつがおれで」原作者の山中恒さんと典子さん、脚本家石森史郎さんに尾道から幾野伝記者。

音楽家の山下康介君と愛息子のタクト君もお祝いに駆けつけてくれました。

美沙子とお母さん。

初日打上げパーティーにて。緊張の舞台挨拶から一転、ほがらかな4人組。

「今日で《転校生》と卒業で淋しい」と、美沙子の目に涙が。いや、今日こそが美沙子の出発日なんですよ。

打上げ後に撮影スタッフとお疲れ会。こういう場で、今後の作品の構想が作られていくのです。

舞台「おんな太閤記-あさひの巻-」を観に新橋演舞場へ。出演の村田雄浩くんとパチリ。

お芝居後、横田房七さんと行きつけの三軒茶屋のお店でご飯。おいしい食事とおいしいお酒で会話が弾む。

来月7月23日に、僕の古里・尾道で25年前の《転校生》と25年後の《転校生さよならあなた》が二本立て上映される。またとない上映会。僕と山中さんも参加します。

かわさきFMのラジオ収録でスタジオへ。岡村洋一君とスタッフの皆さん、そして恭子さん。

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