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2007年06月07日

走れ、走れ!

テーマ: かく語りき

広島・建築家の皆さんのお集まりで講演。21世紀型の家とは、などという話をする。

 わが家の窓辺の机に向って原稿を書く、ってのは、家に居る限りぼくが楽しみにしている日課であるのですが(今もそうしてます!)、この所その状況と気分が煮詰まるだけ煮詰まっております。『《転校生》本』(仮題)という本を出すことになり、その本のための原稿を少しの間も盗んで書き続けているからです。つまり、日課の原稿は、原稿用紙に十枚からせいぜい二、三十枚の、雑誌や新聞の依頼原稿ですから、例えばちょっと言葉の森へ散歩に出かけようかというようなもの。所が『《転校生》本』のように丸丸一冊の本ともなると、散歩どころかもうフルマラソンを走り続けているようなものです。
 普通はホテルか和風の宿の一室に籠って十日ぐらいで書き上げる。ぼくは書くのは速い方のようで、映画の脚本だと三日もあれば充分。机に坐るとわーっとペンを走らせて書き上げて了います。考えて書くということはまるでなく、書きながら考える、ペンが勝手に走っていくってタイプなんですね、きっと。

尾道で25年前の《転校生》と今回の《転校生》を同時上映。町の未来を考えるという討論会などの企画で、いつもの尾道メムバーが広島まで。

 これは映画の撮影の現場でもそうで、ともかく年中動き廻っている。誰かとお喋りし、では撮影、となるともうテストからキャメラを廻し出す。技術陣は必要なテストはさっと済ませて置きますが、役者のテストはやりたくない。「人生にテストもリテイクもない、一回限りの本番で」が好きなのです。ぼくは劇映画を作る人間ですが、「虚構で仕組んでドキュメンタリィで撮る」、ですかねえ。講演でも演題は知らないまま出向く(先方の方に決めておいて戴きます)、テレヴィやラジオもぶっつけ本番。準備や打合せは、これまで生きて経験して来たことに懸ける。そうやって自分を試しながら生き続けてみる、のが好きなんでしょう。
 ほらほら、もうペンが勝手に走っている。『《転校生》本』の話ですよね。今度6月23日から全国公開される《転校生 さよならあなた》という映画、25年昔のぼく自身の《転校生》の再映画化なので、そんなことの中に存在する色いろな歴史を一冊の本に纏めてみないか、というお話があって。……

《22才の別れ》の全国公開用ポスターを持って宣伝部の小林さんが事務所へ。《転校生》パンフレットの仕上りが近い千茱萸 さんも。

 「映画は辻褄の合った夢」、とぼくは言いますが、一本の映画が出来るには色いろな人やモノとの出会いがランダムに様ざまにあり、その「偶然」の集積がつまりは一本の映画となって結実する。出来上がってみれば、総ては「必然」となっている。で、普段は映画は「必然」の側から語られる。筋道が通って分かり易いしね。ぼくの日課の方の原稿だとそうなります。
 けれども一方で「偶然」の方から語り出すと、これはこれで面白い。どうなるやら誰にも分からない「夢」が夫ぞれに様ざまにとっちらかっていて、まるでオモチャ箱をひっくり返したように乱雑極まりない。その夢の破片を叮嚀にひとつずつ拾い上げて一つの物語を紡いで映画に結んでいく。──それが今度の本の目指す所! こちらはだから大長編になって了うわけです。
 所で今はホテルに籠るなんて余裕は全くナシ。公開を控えてのキャンペーンの旅に取材、取材、取材! それに講演の仕事に学校の授業。どれもが愉しくて面白くて本を作る愉しさだけに身を委ねてはいられない。というよりぼくは一つのことだけに閉じ籠ってちゃ駄目な人間なんでしょうね。全部が夫ぞれに面白くなきゃ、刺激が無くなってペンが止まって了う。沈思黙考って柄じゃない、とっちらかして生きているみたい。駆けて駆けて駆けて、走り続けて生きて来たなあ。やれ、やれ!

週刊誌「親子のかたち」対談で千茱萸 さんと二人取材を受ける。昔からの親子の映画史を語って愉しい一刻。

事務所のキッチンで寸暇を割いて皿洗いしているはずき嬢を千茱萸 さんがパチリ。

何故か事務所に傘が届いて、恭子さんと千茱萸 さんをパチリ。

三人揃えばミュージカル!でパチリ。

 そんな中での『《転校生》本』です。どんな本になるのやら書いてる自分にも分かりませんが、とっちらかすだけとっちらかしてみよう、って魂胆。それが皆さんにとって面白きゃバンザイですが、ま、全編戯事と言うならまさしくタワゴト。自分じゃこれを「映画談義」と呼んでおりますがね。ただ書いていて沁み沁み思ったのは、ぼくが若い頃は映画談義は愉しかった。皆でわいわい徹夜して喋った。映画は「共通語」だったんですね。どの映画もみんなが知っている。知らないまだ日本では見られない映画も共通。見られない見たい夢として同じ思いで語られる。もちろん考え方は夫ぞれに違うけれど、その違いがまた互いに面白く、寄り添い合えていく。そんな時代でありました。
 でも今では、映画を語ればジェネレーションギャップが生まれる。皆見ている映画が違って情熱が異なり、対話が生まれ難い。考えや好みの違う人とは語りたがらない。自分だけの世界に閉じ籠って独りで好みの映画をみていればよい。今はそういう談義にならぬ時代なんですね。
 で、だからぼくは敢えて「談義」をやってみる。そんな勇気をぼくに与えてくれたのは、ぼくが今通っている大学の学生諸君です。彼らも最初は「談義」嫌いのように見えたが、なになに喋り出せば乗って来る、乗って来る。熱い、熱い!
 だってスポーツ界、見てごらんなさい。彼らは世界にまで飛び出した! 本来の若い人の姿はあれが自然なんだとぼくは思う。映画好きな人たちもね。引き籠り閉じ籠りは、そういう社会を大人たちが作っちゃったから。つまり元凶はぼくらなんですね。だからぼくもまた立ち止まってはならない。走れ、走れ。
 ぼくが家の前の野川の辺りを走っていると、軽やかにぼくの横を追い抜いていく子供たちが、しばらくぼくの横で一緒に足踏みして行く。すなわち、ぼくは全力で走っているつもりなんですが、彼らにとってはそれは足踏み! うーん、未来へ向って走るのは若い人に任せ、ぼくはせいぜい邪魔しないように、道を譲って道の端を走ろう。でも老人が頑張っている姿だって、それなりの魅力はある筈です。
 ぼくが子供だった頃、そんなおじいちゃんがいたなあ。あのおじいちゃんとあるとき一緒に走りながら話をした。愉しかったなあ。ぼくもこんなおじいちゃんになるまで一所懸命走ろう! と思った。あの頃のおじいちゃんはチャーミングだった。今の老人のぼくは果たしてどうか? 考えるとゾッといたしますな。

 あ、『《転校生》本』の話でした。この本も、ゾッとする本にしないように、ともかく走り続けてみよう。
 今日は子供の頃の夏の日のような一日です。走れ、走れ!

我が家の地下の書庫で取材。四十代の頃のぼくの人形とエテ公がお出迎え。25年前の《転校生》を撮った頃のぼくですね!

昔のレコードはあの頃の映画音楽にモダンジャズ。その前にフレッド・アステアとジョン・ウェインが立っているぞ!

そのままアップにしたら、石田ひかりくん《ふたり》でのデビュー時のぼくとのツーショットも!

福永武彦と手塚治虫さんが揃ってる。十代から二十代の頃一心に集めました。人生の書庫でもありますな。

山中恒さんや赤川次郎さん芦原すなおさん、高橋克彦さんの後ろは映画関係の本がずらり。戦前からの貴重なものも!

取材の記者さんは成城大学の後輩でした。今日は江戸川乱歩に絡ませて手塚治虫や福永武彦、ヒッチコックの話。母形作家に対して妹形作家は空想に遊ぶと。

大きな荷物を持って取材のお二人はお帰りに。お疲れ様!

恭子さんがお見送り。

制作部若ちゃんと奥様が長男を連れて事務所へ。

何と可愛い!

ぼくもおじいちゃまに!

彼とゆっくり話をする。大きな手と小さな手も使って。

若山光樹くんは未来を見つめている。平和な未来にしなくちゃね。

何を思ったか、はずき嬢が、足もぱちり!

窓辺の机からちょっとお別れ。明日からは長野への旅です。

コメント (1)

若山さまにお目元がそっくりー。
かわいいです。
子は宝&#9825;

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