ぼくたちの人生は、過ぎ去って行く瞬間の集積だ。
では、写真を撮るとは、何か?
その瞬間を、永遠に引き伸ばすことだ。
だから写真は、愛しいものでありましょう。
6月26日
一日、原稿書きと取材の仕事で過し、夜久びさに家族で馴染みの天麩羅屋さんへ。ぼくが昔《転校生》を撮影した年齢に、娘の千茱萸さんがもう近付いている、と事務所のはずき嬢が宣う。「まあ!」、と笑っている妻君の恭子さんは、あの頃尾道の現場をショートパンツで駆け廻って御座ったなあ。
日日の喧騒の中に紛れて、明日には忘れ去られて了いそうなこの一刻も、パチリと一枚の写真に納めれば、永遠に愛しい一瞬となるのでありましょう。
この店の江戸前風の天麩羅は東京一と好んでくれた古い友、渡辺誠夫妻とここで撮った写真のことなどを思い出す。昭和天皇の時代から皇室の御料理番を務められ、平成天皇、皇太子のお世話までして、先年亡くなられた。宮内庁退職後、恭子さんの勧めで始めたパーソナルなお料理教室の、千茱萸さんは優秀な生徒であり、映画のみならず自らもお料理研究家となるに至る。我が一家にとって、まことに大切な友でありました。
皇太子殿下がお若い頃、ぼくの昔の《転校生》が大好きであられたという嬉しい話は、渡辺さんが教えてくれたこと。後にお会いした殿下は、「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」、と笑ってらした。それで完成したばかりの《ふたり》のヴィデオを献呈したこともありました。殿下青春の日の一挿話であります。
今夜は帰って、古い友と写した写真を眺めよう。
これまた、人生の快事かな!
6月27日
一日事務所で、『転校生・本』の執筆。合間にラジオ収録、「Bookレヴュー」取材。若い読者に推めたい本二冊ということなので、ぼくの青春の一冊、福永武彦の『草の花』と《転校生》の原作となった山中恒さんの『おれがあいつで あいつがおれで』について語る。
新しい《転校生》を御覧になったある方から、『草の花』の強い影響を指摘された。分かる人には分かるんだなあ、と納得。人生は集積、蓄積だ。映画は、故に人生そのものです。
夕刻歯医者さん。なかなか通う間が無いのでもう四年掛り。ゆっくり我が歯は再生されつつあります。老年にも再生有り!
6月28日
毎年一度はある「民放連」賞選考会。朝から夕刻まで北海道・東北地区の民放制作のヴィデオを見続ける。選考委員同士として、恩地日出夫映画監督、澤田隆治プロデューサーと久びさにお会いする。恩地さんは自作の映画《蕨野行》の上映を、メジャー配給から自主上映に切り替え、これが成功して撮影地の山形ではもう半年、現在も上映中とのこと。澤田さんも廃れゆきつつある古い町中の映画館を活性化する試みを模索中だとのこと。
世の中も映画のありようも変わってゆくなら、良い未来が望めるよう変える努力もしなければ。
夜は「学生映画祭」上映会のゲストで。渋谷の上映館は若い人で満席立見の盛況。上映されたのは既に受賞が決まっていたグランプリ、準グランプリの二作品だが、ぼくは事前に昨夜入賞の六作品も見ていた。何れも未来に向う美しさと力のある作品揃い。東京の一隅での受賞上映会なのでつい我われもそれで終らせて了うのだが、当夜上映された二作品などはそのままハリウッドやカンヌなど、世界の人たちに見せたらどんな驚きにつながるだろうか、と思った。
実際現在の国際的な映画やヴィデオのフェスティバルで優秀な作品を呈出して来るのは学生さんたちに多く、ただ残念なのは彼ら自身に自覚が乏しく、多くが自らをアマチュアだと思い込んでいることだ。それは彼らを取り巻く大人たちの目の欠如でもありましょう。学生諸君にも、これで何処かに就職出来れば程度で満足などせず、世界の映画史に名をとどめるくらいの気概を持って欲しいと望む。プロは、最初からプロなのだ。その自覚さえあれば。
映画の道を極めるには一生では足りぬのです。二生も三生分も映画に使わねばならぬよ。アマチュアやっている時間は無いぞ! でも学生さんたちと語り合うのはまことに愉しかった!
6月29日
「民放連」。今日は選考結果発表とあって、作品の制作者も参加。みんなで語り合う。総じて現在のテレヴィの問題は、テレヴィがテレヴィであるという形に嵌り過ぎている所にある。旅番組といえば必ずのようにアイドルギャルかタレントさんが登場して、名物を食ったり風呂へ入ったりする。ぼくの所へも時にそういう依頼があるが、食事と入浴シーンが無ければと答えるから実現しない。しかし誰か食事・入浴シーン抜きで旅番組を作ってみないか。食事も浴場もより魅惑的に表現出来るだろう。
視聴者は食事・浴場も含めて、風土の味わいよりはタレントを見たいのだという幻想は、テレヴィのみならず現在の日本の映画界までを被っている。アイドル、タレント、文化人、こういう存在を排除した所から、もう一度やり直してみたら、と思わざるを得ぬ惨状ではありますね! 実際にグランプリを献上した作品は、そういう見事なものでありましたぞ。普通の人が普通に生きて感動を呼ぶ。やっぱり作り手の見識こそが、良い作品を生み出す力になる。当たり前のことですよね。
終ってNHK出版局「植木等さん特集」のためのインタビューに出向く。思い出話が弾んで約束の時間がオーバーするが愉しい。
ぼくはクレージーキャッツを無名時代から見ている。植木さんは日本の高度経済成長期と共に生きてらした。「スイスイスダラダッタ」の時代である。「分かっちゃいるけど止められなかった時代である」。「黄金の60年代」である。突き抜けるように明るかった、富と繁栄の日本。そしてそれは「日本無責任時代」! そのツケが日本中に蔓延してやり切れぬ今のこの時代、植木等さんは静かにこの世を去られた。
もっとも植木さん自身はとっくに、いやきっと最初からそのことに気付いていらしたのだろう。だから晩年はすっかり「責任男」のイメージで自己を表現して生きられた。黒澤明、木下恵介の両巨匠の許で古き良き日本人を美しく演じられ、ぼくの《あした》にも出て下さった。孫に未来を譲って自ら替りに死を選ぶ。妻役を演じて戴いた津島恵子さんが最後に植木さんに向って「ありがとうございました」と。
今もう一度、その言葉を、心から!
6月30日
古い友人根田家の長女靖子ちゃんの結婚式。顔馴染みの老友もみんな元気で嬉しい。御媒酌人のギャガ・コミュニケーションズ会長依田さんとは初めてお会いしたのだが、氏が何と長野のお生まれとお聞きしてびっくり。《転校生》ロケでお世話になった当市のホテルの社長さんとは幼馴染みだとか! このホテル、60人を超える我らスタッフの名と顔を一夜で覚えられ、翌日からは「○○さん、お帰りなさい」、と笑顔で鍵を手渡される。当たり前のことだがなかなか出来ないことでありますね! 「来週《転校生》拝見します」、と依田さん。再会を期して。
7月1日
六本木の東京ミッドタウンで有線放送のためのイベントに参加。昭和の時代に就いての番組。8才で“敗戦”、20才で“黄金の60年代”を迎えた昭和の自分史、日本史を語る。この番組も依田さんが会長をされているオフィスのものとは、昨夜に続く御縁の中で生かされている悦び。
音楽評論家の富澤一誠さんと昭和のフォーク時代と、ぼくの映画《22才の別れ》に就いての対談。愉しい一時を過しながら、富沢さん、「ぼくも生まれは長野です」!
7月2日
思いがけない“長野つながり”の翌早朝、恭子さんの運転で長野に向け出発。運命に導かれつつ、今日も一日を生きている。その幸せに感謝を!
長野NHKが《転校生》を番組にして下さる。ぼくが撮影地の旅案内。タレント文化人風に、テレヴィ風にならぬよう気を付けましょう。取材中、たった今《転校生》を見ましたという人にお会いする。わたしは昨日、などとも。公開して三週目だが、里の人はゆっくりゆっくり楽しみながら御覧になるのですね。撮影中、松代でお世話になった方たちとも嬉しい、そしておいしい再会が出来たが、わたしたちは来週、お友だち十二人と、とにこにこと。「若い人は夏休みに入ってからでしょうが、わたしたちは20年ぶりに映画を見ました。まあ楽しかったです!」と今回撮影でお世話になったお蕎麦屋さんの奥さま、またもう一度。ウチコミは、初日の入りは、とわめいているぼくらは、相当おかしな人種ですよね。長野では9月末まで上映が続き、《22才の別れ》にバトンタッチだそうです。
一夜、ゆっくり長野の夜を愉しみ、明日は群馬へドライブ。「群馬県立女子大学」で講義。『映画の中の女性たち』。今年で三年目の連続授業であります。さあ、若い人たちにまた会えるぞ! 写真を撮り続けながらの旅の日日であります。
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コメント (2)
『普通の人が普通に生きて感動を呼ぶ』
最近は突飛な物事が多くて戸惑う事も多いです。今『普通である事』のありがたさを感じています。
2007年07月05日 15:43 投稿者 : 絢音ママちゃん
転校生見ました。リメイクだと思っていたら、予想外の展開。感動! 「さよならあなた」
2007年07月10日 09:51 投稿者 : 飯塚笑店