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2007年07月19日

死んだ人ともまた逢える。
 ──お盆には、映画参りもまた良いな。

テーマ: かく語りき

早朝、J-WAVEのスタジオへ向う。《転校生》公開三週目なのに、まだラジオキャンペーンが続いている。町なかの小学校を遥か見降す。

J-WAVE谷崎裕美ディレクターと角川宣伝部の三浦君と。なんとなく《転校生》を語りたいんだね、みんな。

収録が始まるぞ。ラジオは普段着で楽しいね!

《転校生》、《22才の別れ》の資料を前に別所哲也さんと谷崎ディレクター。谷崎ディレクターには千茱萸さんも御世話になっていると。

J-WAVEのスタジオ風景。

終って別所さんと。彼が始めた“ショートショートフィルムフェスティバル”は若い人の未来を切り開きましたね。

 「匂いの出る映画」というものが研究されたことがある。ぼくがまだ子供だった頃の、夢のような話だが、ひょっとして今でも誰かがどこかで研究を続けているのかも知れぬ。つまりは映画から匂いを出すという技術は、未だに完成されてはおらぬのであります。
 匂いを出すことには成功したが、という話を若い頃耳にした記憶はあるけれど、一度出した匂いをさっと消し去ることが出来ないから、次に出した匂いと交り合って何ともひどいことになったという失敗談だった。そりゃそうだろうなあ、とつい笑っちまったが予定外の悪臭の中を鼻をつまんで目を白黒させながら駆け廻っている博士たちの姿を想像して、気の毒なようなおかしいような思いを致しましたね。いや人間とは、一所懸命でかわいいものでアリマス。
 人間は好奇心が旺盛な生きものだから色んなことを考える。自家用車の中にトイレがあればと真剣に考えられた時代があるが、あれはバブル最盛期で車が渋滞で動かず、トイレの我慢に耐え切れなくて困り果てた、我が働く同胞たちの切実な願いでもありましたね。確か小型の携帯トイレなるものが研究開発されたのじゃなかったかしら? 便利が良いのは有難いことでありますが、こんな塩梅で世が進めば「シャワー付き自家用車」なんてものも出て来るかも知れない。通勤途中や仕事帰りのデートの前に、目的地に着くまでに一風呂ならぬシャワーを浴びられれば、これはこれで便利で快適でもあるでしょうが、だけどねえ! まさかこんな阿呆らしい研究をされてる方はありますまいが、これに似た何が有難いのやらって感じの製品もまた、世の中には沢山ありますわな。尤も隣を走っている車のドライバーさんが可愛い娘さんであるなら、シャワー付き車なんてものとも出遭ってみたいものではありますわな!
 ああ、面白い発明品に出合ったことがありますぞ。ライターの横に金属性の爪楊枝が付いている。そして宣う。「これでマッチに勝った!」。おかしいよね、こういうの。

 写真も、それが連続して映る活動写真、即ち映画も、また発明品であります。だからそれまでの絵画や彫刻や音楽や詩文など、他の芸術とはちょっと違います。人間の想像力だけではなく、機器の開発や技術の進化もまた表現に結びついて来る。つまりは文明が生んだ芸術なんですよね。なので匂いまで欲しくなるのは当然の欲求である訳ですが、宮澤賢治という人はもうとっくの昔に「映画には匂いがある」、と語っております。
 それは昔の映画ファンが懐かしそうによく語る、トレイの匂いであったり、フィルムが熱しられて発する焦げ臭い匂いであったり、時にはボウッと炎も吹き出しましたよね。何しろ場内は大勢の人でごった返しておりましたから、その人の匂いであったり。もちろん賢治さんは詩人でもあるわけですから、その精神が映画の中から読み取った匂いでもあったのです。昔映画が未だモノクロオムであった頃、我が家のおばあちゃんはそれを全部カラーで見ておりましたぞ。あの夕焼けは綺麗だったとか、あの草原の緑が風に揺れてたとか。きっと実際にそこにある色彩よりもっと綺麗にね。想像力とは人間が持つ美しい能力。我が家のおばあちゃんはお餅が焼かれるシーンではお鼻をひくひく動かしておりましたから、きっとおいしそうな匂いまでも感じながら映画を鑑賞して居りましたのでしょう。まあ、それは素敵で幸福な映画だったことだろうね!
 賢治は「映画では、死んだ人でも何度も蘇る」、とも申しております。何度も繰り返して見ればね、一度死んだ人もまた生き返って元気に動き出す。昔は映画は何度でも繰り返して見たものです。ラストシーンで「お母さん!」、と涙で見送ったお母さんが、もう一度最初から見れば、若返って元気に働いてくれている。嬉しいものです。そしてだんだん、やがて自分より先に死んでいく母の人生を理解していくことが出来る。何度目かのときには、母の死の悲しみは「お母さん、ありがとう」、にも変化していく。映画と共に人は育ってもいくのです。ありがたいものですね。
 ぼくらはよく、映画を途中から見ました。終ったところでさっと席を取るという理由もあったのだけれども、途中から見る映画というものが何とも不思議で面白かった。突然、スクリーンの中に誰かがいる。何かをしている、生きている。この人はだーれ? 何してるの? 幸せ? それとも今は不幸なんですか? ──あのね、この人生の中で、ぼくらはいつも誰かの人生の、途中から出会って知り合ってゆくのです。この人はどんな人? と一所懸命想像し、理解し合いながらね。それが人の絆を生む力ともなった。そういう力を学ぶことが出来るのも映画だった。映画を頭からラストまできちっと一回見てそれで終わりでは、何だか映画もその中で生きて暮らして死んでいく人の人生も他人ごと。それはさびしいよね。
 賢治はまた、「映画の中では、いつも雨が降っていた」、と語っています。古いフィルムに付いた傷が、スクリーンの上で淡い悲しい雨模様になる。大事に大事に何度も何度も人の手で上映され、人びとに見続けられて来た映画の雨は、だから切なくも愛おしい。人が生きていくって、一所懸命は嬉しいなと勇気だって元気だって貰えるぞ!
 ぼくはそういうことを大切にしながら映画を作ります。この頃では映画もまた「シャワー付き自家用車」のように開発されて来た。「爪楊枝付きライター」は面白いけど、これを実際に愛用する人がどれだけいるんだろう? 文明は人間社会を便利にするべく開発されますが、その文明が生み出した芸術・文化である映画は、どうやら不便な方が面白い。ここに文明と文化とのそれぞれの役割りがあるんでしょうね。

 《転校生》の全国上映のスケジュールが終わります。見て下さった方は何度も何度も。もう繰り返し映画館に通って下さる方も多く、熱いお手紙も戴きます。でも見ない、知らない人もまた多いという、ぼくには不思議な上映です。映画館の前に看板が無い。並んでいる人も無い。インターネットで調べて時間通りに映画館に行く。元もとがぼくの映画は有名タレントやアイドルさんなど出ない、匂いが無いのに匂いを感じたり、死んだ人が何度も生き返ったり、懐かしい雨がいつも降っているような映画ですから、トレンディーで人がわっと群がるようなものではありません。映画館にお一人お一人、わざわざ旅して来て下さったお客様を、ゆっくり温かくおもてなしいたしましょう。ぼくには、映画とはそのような温もりのあるものであって欲しいのです。
 《転校生》の上映がまだまだ続く所もあれば、すぐ続いて《22才の別れ》の上映も始まります。映画館の暗闇の中でまた嬉しく元気に、お会い出来れば良いですね! ぼくは新しいデジタルカメラを手に、夏の旅に出ます。
 皆さんに、暑中お見舞い申し上げます。

本ブログの運営スタッフたちが事務所にオリンパスのカメラを持って来て下さる。嬉しいですね。

これがその新兵器!μ730とE-410!

パチリ!

パノラマ写真も!

行定勲監督が来社。ぴあの取材で女優論を。

取材の轟夕起夫さんと三人で。

台風が近付いている。

ワインを飲みながら。

不思議色の空をパチリ!

USENで昭和ちゃんねるの収録。高橋ディレクターに、湯浅さん!

昭和の音楽を中心に、《転校生》《22才の別れ》の話をして四時間。今日も楽しかったです!

コメント (2)

映画に興味の無い人には「なぜ、同じ映画を何度も見るの?ストーリもわかっているのに……。」と言われます。「でも、観る度に違う映画になるのですよー。」と答えています。言葉で伝えるのは、むつかしいです。

東京から週末尾道入り、一度きりの「転校生」新旧同時上映&トークショーに。(新作都合7回目。笑)平日昼間であの大盛況、2作品続けるとそれぞれの個性や特色が引き立ち新しい発見や感慨。(初回上映後、貴重なお時間をありがとうございました!)

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