機械時代の中を、どのように生きようか。
喫茶こもんのママを中心に、皆でパチリ!
照明部で、メイクの千江子さんのご主人和栗ちゃんも合流。芸予諸島の一つ、大三島の海岸にて。
砂浜には小さな花をつけた植物がびっしり。瑞瑞しいグリーンとピンクや黄色の花が、白い砂浜を鮮やかに彩っていた。
大三島ふるさと憩の家。ここは20年ほど前までは現役の小学校だった。廃校後、校舎をそのまま活し民宿として蘇った。コンクリートには無い、深さと温かさのある木造の校舎。
朝礼台もそのまま。
校舎をバックに、皆を…パチリ!
明日の《転校生》新旧ダブル上映会の前祝い。乾杯!!
上映会の当日、ホテルの窓から見た尾道の朝。
新幹線に乗って弁当を使っていると、検札官がやって来た。少し年配の女性の車掌さんだ。
──あら、お食事中ですから、また後で戻って参ります、とにこにこ笑顔で通り過ぎていく。
良いなあ! と思った。昔はこれが当り前だった。車掌さんは概ね年配の男の人で、その笑顔にはこちらも笑顔で応える。何だか嬉しくて、ああ旅とは良いものだなあと呟いてみたりもする。旅は、人と出会うものであった。
昨今は世の中も忙しくなって、食事中だろうと歓談中であろうと検札はお構いなし。まあいちいち食べ終わるのを待っていたら仕事にもならぬだろうと諦めてはいるが、使っている弁当を一旦膝に置いて切符を取り出して検札を受けるというのは、なかなか煩雑なことではあります。楽しい会話も途切れて了う。
だから「また後で戻って参ります」、のにこにこ笑顔は嬉しかった。ぼくは切符を胸のポケットに入れ、直ぐに取り出せるように準備はしていたのだが、ここは車掌さんの好意を素直に受ける。「ご苦労様、窓の外はもう夏ですねえ」、「はい、私も夏が大好きなんです」、などと一言、二言交せられればもっと楽しいね。
尾道へ向かうので、新幹線を手前の福山駅で降りる。この駅は、実はぼくの自慢である。改札口が現在何処の駅でもそうであるように、いわゆる機械で被われているのではなく、ちゃんと駅員さんがそれぞれの通り口に立って、胸には自身の名を大きく標した名札まで付けて、送り迎えして下さるのである。
「行って来ます」、「行ってらっしゃい」。「お帰りなさい」、「ただいま!」、と名札の名を呼んで、これだけでうんと幸福な気分にもなりますよね。
ぼくはともかく、あの機械仕掛けの中は通らないように努めております。あれを通ると自分までが無感動な機械人間になりそうで怖いからです。だからどこの駅でも一番端の、駅員さんの立っている所を通ります。
「お早うございます」、「行ってらっしゃい」、と笑顔で声を掛け合って切符にパチンと検印を押して貰うのです。年配の駅員さんだと、これでうまく旅立てます。ところがよく若い駅員さんからは、「あちらの機械を通して下さい」、と無愛想に切符を突っ返されることもありますよ。まあ、あちらも忙しい。ぼくのような人間と言葉を交わすのも面倒だ。機械は便利で速いのだからあっちを通りなさい。それが現代人というものでしょう!
ところがその機械が年中故障するから、結局は各通路口に駅員さんが困った顔して立っている。なるほど「現代」だなあ、とこちらも苦笑せざるを得ないってことになりますな。機械を通さないと降りる時も、どんなに離れて遠くても、駅員さんの居るゲートを通らねばなりません。その不便を心配して機械を薦めようとされる若い駅員さんもいらっしゃる。「大丈夫ですよ。ぼくは必ず人の居る所を通りますから。いまもあなたと話せて良かった、ありがとう」、「はい、お気を付けて。ありがとうございます」、と互いににこにこ。これがやっぱり嬉しいなあ!
でもね、確かに世の中、こんな余裕は無くなりました。映画もそうですねえ。映画とは穏やかで楽しい、人と人との会話があるものだった。例えば和田誠さんのご本などに、映画の中の名言を集めたものがある。それは殆ど会話の中の言葉です。映画の記憶は「言葉」の記憶だった。だから映画は楽しく、心が癒されもし、生きる勇気さえ貰えた。人間の温もりがありましたものね。ところがどうだろう? いまの映画の記憶は「映像」ですよね。アクションであって言葉じゃない。だからジェットコースターに乗っているようにスピード感やスリルは味わえるが、ゆっくり会話する楽しさが失われていく。これって、やっぱり真剣に考えてみなきゃならない事の一つじゃないのかなあ。で、ぼくもこんなことを書いてみるのです。
尾道では25年前に尾道で作った《転校生》と、いま封切り公開中の、新しい信州・長野で撮影した《転校生ーさよならあなた》を二本立てで上映。この25年間の地方の小さな町の変化を見つめ、新しい時代を生きる子どもたちの未来に、どういう町を残し、伝えられるかというトークショウ。ぼくが卒業した尾道の小学校にいま通う小学生までが参加してくれましてね。
五百席のホールに一日二回で千人。大盛況でした。「今生の思い出に、これが最後の《転校生》見物!」と頬笑んでくださった老婦人。その手に引かれた小さな男の子。さあ、君たちの時代が始まるぞ。そうそう、長野の娘さんまでが、尾道を訪ねて下さっていたりもした。
しかし、この二本立ては、やっぱり「25年」の時の蓄積を受けて、本当に凄かった。一つ驚いたのは、25年昔の《転校生》は、若い俳優たちの言葉が実に美しい。きちっと相手に向って語り、応え、つまりはよく聞き取れるのです。現代はやっぱり「独り言」風のニュアンスが、発声法に沁みついていますね。これは演出家として、深く考えねばならない事です。
東京へ帰るとそのまま《22才の別れ》の試写会会場へ。いよいよ大分ロードに続いて、8月18日から全国公開が始まります。これも伊勢正三さんの同名の歌から発想した映画。歌が生まれてから30年の日本の時の流れの中の恋物語。歌も、この時代の歌は「言葉」が美しかったです。歌の中にも人間の「会話」がありましたね。ですからゆったりした美しい物語の映画を作ることが出来た、と改めて幸福に思いました。あなたの誕生日に22本のローソクに火を点して、「17本目からは一緒に火を点けた。昨日のことのように、……」。お客様もみなさん、それぞれの心の思い出に小さな火を点し、幸福そうな笑顔でお帰りになりました。
そのまた翌日は、空路松山へ。伊予銀行さんでの講演。空港へ着くやいなや、ファンの人たちに囲まれた。松山では《転校生ーさよならあなた》が8月4日から公開だとのこと! どこへ赴いても、映画、映画の日日です。映画でモノを考える。映画でコトを行なう。昔の映画から、学ばねばならぬのは、美しい人間の姿なんでしょうね。難しいけど大切なこと。一所懸命、ぼくもやります。
今日は府中で教育関係の人たちのお集りで話させて戴く。夜はNHKの『クローズアップ現代』で「80歳の日本一周ーある老人の残したメッセージー」に出演。先輩の生き方から美しさを学ばせて戴こう。
明日からは滋賀の『成安造形大学』で授業。若い人たちからも明日のことが学べるから嬉しい。一日一日、ぼくも大事に生きよう。
あっ、福山駅もとうとう改札口は全部機械になってました。年配の駅員さんと一寸立ち話。「まあ、この時代ですからねえ」。駅員さんは敢えて無感動に語られたが、ぼくらはここから、ぼくらの明日をどう始めなければならないのだろう。ぼくらの「続き」を生きていく若い人のためにも。「余計なことだ」、とも言われそうだが、ぼくらはだからこそせっせと「会話」を続けなきゃならないんだろうなあ、と思うのです。
機械は話してくれないもんなあ、人間に会いたいなあ、──とは今日のぼくの、細やかな「夢物語」でありました。
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