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2007年08月 アーカイブ

2007年08月02日

機械時代の中を、どのように生きようか。

テーマ: かく撮りき

喫茶こもんのママを中心に、皆でパチリ!

照明部で、メイクの千江子さんのご主人和栗ちゃんも合流。芸予諸島の一つ、大三島の海岸にて。

砂浜には小さな花をつけた植物がびっしり。瑞瑞しいグリーンとピンクや黄色の花が、白い砂浜を鮮やかに彩っていた。

大三島ふるさと憩の家。ここは20年ほど前までは現役の小学校だった。廃校後、校舎をそのまま活し民宿として蘇った。コンクリートには無い、深さと温かさのある木造の校舎。

朝礼台もそのまま。

校舎をバックに、皆を…パチリ!

明日の《転校生》新旧ダブル上映会の前祝い。乾杯!!

上映会の当日、ホテルの窓から見た尾道の朝。

 新幹線に乗って弁当を使っていると、検札官がやって来た。少し年配の女性の車掌さんだ。
 ──あら、お食事中ですから、また後で戻って参ります、とにこにこ笑顔で通り過ぎていく。
 良いなあ! と思った。昔はこれが当り前だった。車掌さんは概ね年配の男の人で、その笑顔にはこちらも笑顔で応える。何だか嬉しくて、ああ旅とは良いものだなあと呟いてみたりもする。旅は、人と出会うものであった。
 昨今は世の中も忙しくなって、食事中だろうと歓談中であろうと検札はお構いなし。まあいちいち食べ終わるのを待っていたら仕事にもならぬだろうと諦めてはいるが、使っている弁当を一旦膝に置いて切符を取り出して検札を受けるというのは、なかなか煩雑なことではあります。楽しい会話も途切れて了う。
 だから「また後で戻って参ります」、のにこにこ笑顔は嬉しかった。ぼくは切符を胸のポケットに入れ、直ぐに取り出せるように準備はしていたのだが、ここは車掌さんの好意を素直に受ける。「ご苦労様、窓の外はもう夏ですねえ」、「はい、私も夏が大好きなんです」、などと一言、二言交せられればもっと楽しいね。

 尾道へ向かうので、新幹線を手前の福山駅で降りる。この駅は、実はぼくの自慢である。改札口が現在何処の駅でもそうであるように、いわゆる機械で被われているのではなく、ちゃんと駅員さんがそれぞれの通り口に立って、胸には自身の名を大きく標した名札まで付けて、送り迎えして下さるのである。
「行って来ます」、「行ってらっしゃい」。「お帰りなさい」、「ただいま!」、と名札の名を呼んで、これだけでうんと幸福な気分にもなりますよね。
 ぼくはともかく、あの機械仕掛けの中は通らないように努めております。あれを通ると自分までが無感動な機械人間になりそうで怖いからです。だからどこの駅でも一番端の、駅員さんの立っている所を通ります。
「お早うございます」、「行ってらっしゃい」、と笑顔で声を掛け合って切符にパチンと検印を押して貰うのです。年配の駅員さんだと、これでうまく旅立てます。ところがよく若い駅員さんからは、「あちらの機械を通して下さい」、と無愛想に切符を突っ返されることもありますよ。まあ、あちらも忙しい。ぼくのような人間と言葉を交わすのも面倒だ。機械は便利で速いのだからあっちを通りなさい。それが現代人というものでしょう!
 ところがその機械が年中故障するから、結局は各通路口に駅員さんが困った顔して立っている。なるほど「現代」だなあ、とこちらも苦笑せざるを得ないってことになりますな。機械を通さないと降りる時も、どんなに離れて遠くても、駅員さんの居るゲートを通らねばなりません。その不便を心配して機械を薦めようとされる若い駅員さんもいらっしゃる。「大丈夫ですよ。ぼくは必ず人の居る所を通りますから。いまもあなたと話せて良かった、ありがとう」、「はい、お気を付けて。ありがとうございます」、と互いににこにこ。これがやっぱり嬉しいなあ!
 でもね、確かに世の中、こんな余裕は無くなりました。映画もそうですねえ。映画とは穏やかで楽しい、人と人との会話があるものだった。例えば和田誠さんのご本などに、映画の中の名言を集めたものがある。それは殆ど会話の中の言葉です。映画の記憶は「言葉」の記憶だった。だから映画は楽しく、心が癒されもし、生きる勇気さえ貰えた。人間の温もりがありましたものね。ところがどうだろう? いまの映画の記憶は「映像」ですよね。アクションであって言葉じゃない。だからジェットコースターに乗っているようにスピード感やスリルは味わえるが、ゆっくり会話する楽しさが失われていく。これって、やっぱり真剣に考えてみなきゃならない事の一つじゃないのかなあ。で、ぼくもこんなことを書いてみるのです。

 尾道では25年前に尾道で作った《転校生》と、いま封切り公開中の、新しい信州・長野で撮影した《転校生ーさよならあなた》を二本立てで上映。この25年間の地方の小さな町の変化を見つめ、新しい時代を生きる子どもたちの未来に、どういう町を残し、伝えられるかというトークショウ。ぼくが卒業した尾道の小学校にいま通う小学生までが参加してくれましてね。
 五百席のホールに一日二回で千人。大盛況でした。「今生の思い出に、これが最後の《転校生》見物!」と頬笑んでくださった老婦人。その手に引かれた小さな男の子。さあ、君たちの時代が始まるぞ。そうそう、長野の娘さんまでが、尾道を訪ねて下さっていたりもした。
 しかし、この二本立ては、やっぱり「25年」の時の蓄積を受けて、本当に凄かった。一つ驚いたのは、25年昔の《転校生》は、若い俳優たちの言葉が実に美しい。きちっと相手に向って語り、応え、つまりはよく聞き取れるのです。現代はやっぱり「独り言」風のニュアンスが、発声法に沁みついていますね。これは演出家として、深く考えねばならない事です。
 東京へ帰るとそのまま《22才の別れ》の試写会会場へ。いよいよ大分ロードに続いて、8月18日から全国公開が始まります。これも伊勢正三さんの同名の歌から発想した映画。歌が生まれてから30年の日本の時の流れの中の恋物語。歌も、この時代の歌は「言葉」が美しかったです。歌の中にも人間の「会話」がありましたね。ですからゆったりした美しい物語の映画を作ることが出来た、と改めて幸福に思いました。あなたの誕生日に22本のローソクに火を点して、「17本目からは一緒に火を点けた。昨日のことのように、……」。お客様もみなさん、それぞれの心の思い出に小さな火を点し、幸福そうな笑顔でお帰りになりました。

 そのまた翌日は、空路松山へ。伊予銀行さんでの講演。空港へ着くやいなや、ファンの人たちに囲まれた。松山では《転校生ーさよならあなた》が8月4日から公開だとのこと! どこへ赴いても、映画、映画の日日です。映画でモノを考える。映画でコトを行なう。昔の映画から、学ばねばならぬのは、美しい人間の姿なんでしょうね。難しいけど大切なこと。一所懸命、ぼくもやります。
 今日は府中で教育関係の人たちのお集りで話させて戴く。夜はNHKの『クローズアップ現代』で「80歳の日本一周ーある老人の残したメッセージー」に出演。先輩の生き方から美しさを学ばせて戴こう。
 明日からは滋賀の『成安造形大学』で授業。若い人たちからも明日のことが学べるから嬉しい。一日一日、ぼくも大事に生きよう。

 あっ、福山駅もとうとう改札口は全部機械になってました。年配の駅員さんと一寸立ち話。「まあ、この時代ですからねえ」。駅員さんは敢えて無感動に語られたが、ぼくらはここから、ぼくらの明日をどう始めなければならないのだろう。ぼくらの「続き」を生きていく若い人のためにも。「余計なことだ」、とも言われそうだが、ぼくらはだからこそせっせと「会話」を続けなきゃならないんだろうなあ、と思うのです。
 機械は話してくれないもんなあ、人間に会いたいなあ、──とは今日のぼくの、細やかな「夢物語」でありました。

会場では新旧のパネル写真展もやっていました。

当時のスナップ写真も。短パンを履いて…僕も若いなあ!

関連書籍とDVDの販売コーナー。地元の本屋さんが販売に来てくれた。

午前の上映会には、親子で来てくださった方方がたくさんありました。

我が母校、土堂小学校の頼もしい後輩達も。

後輩達をパチリ。25年前と、現在の尾道をスクリーンで見て、どう思ってくれたかな。

午後の上映、会場内の様子。ほぼ満席!

尾道の方方がこんなにたくさん集まって下さった。本当に嬉しいなあ。

彫刻家の高橋秀幸さんと対談。街の姿や文化、人。25年という時の流れを映画で感じる。

今回いろいろとがんばってくれた『転校生』尾道上映実行委員会のスタッフの皆さん。どうもありがとう!

《転校生》が初めて公にプロデュース作品だった恭子さん。あれからもう25年、僕の作品をずっと手がけてくれている。

上映会にはなんと長野から来てくださった方が。25年の間に《転校生》は土地と土地、人と人とを繋ぐ作品となってくれました。

上映会は大盛況の内に幕を降ろすことができました。スタッフ皆に感謝!こもんでお疲れ会の様子。

帰京の日。夏の日差し。福山城をバックにタミちゃん、恭子さん、はずき嬢、幾ちゃん、横ちゃん。

東京駅からFMホールに直行。《22才の別れ》上映会の控室で、ダイアックスの鈴木さんと頼住さん。

今年ツアーで随分忙しい正やんと知ちゃん。

聖奈と美玲の久々の顔。女性らしくなりましたねえ。

角川・井上社長と筧君、美砂さん、寺尾君も集まり、試写会前にパチリ。

舞台挨拶の打ち合わせの様子。二人とも真剣な眼差しをこっそりパチリ。

いざ舞台挨拶へ。会場にはたくさんのお客様。女性が圧倒的に多かった。

マスコミ用写真撮影の為に中央に集まって。若者は皆緊張の面持ち。

松山へ向う飛行機内から上空をパチリ。雲の草原が広がる。空の青さが引立った。

伊予銀行の特別講演会へ。

伊予銀行の方方と時事通信の方とで最後にパチリ。

新居浜から松山に向う車中から。眩しい夕日と、山山の濃淡が美しい。

東京都市教育長会の講演。

NHKの生放送、スタジオにて。国谷キャスターとスタッフの皆さん、恭子さんと。80歳の原野さんから勇気と元気を戴きました。

2007年08月09日

ある、夏の話。

テーマ: かく撮りき

早朝出発して、今日から2泊で成安造形大学の集中講義。穏やかな成安の里山。

美しい馬蹄形の棚田。1000年の歴史を持つここ仰木には、このような美しい棚田が未だたくさん残っている。

青春時代からの友、小林はくどう先生とパチリ。

高峰剛監督とはくどう先生。

1日目の午後からは学生たちの発表が中心に行われる。授業がどんどん進み、終わったのは何と20時!

授業後、校庭で行われた盆踊り大会に参加。学生達は皆、浴衣に身をまとう。色鮮やかな浴衣と囃子の音色が、仰木の里の夜を賑していた。

 風は強いが、真夏日である。ぼくの心は、少年に戻る。
 ――愛って、譲り合うものだよ、と学生さんたちと話をした。皆譲り合って、それで誰もが不幸になった。そういうお話なんだ。
 ぼくが二十三年前に作った映画《廃市》についての話である。夏休みが来るので尚美学園大学院の前期のリポート提出のために、同僚の先生がこの映画を院生たちに見せたのであります。
 ――だったら奪い合って、皆幸福になれば良いのに、が若い人の意見である。
 尤もな考えである。現実(ホント)の世界では、それが良いに決まっている。
 ――しかし文学や映画では、人間は一所懸命こういう物語を工夫して編み出した。愛というものの本質(マコト)を考察するために、ね。悲劇(ウソ)にはそういう力がある。

 《廃市》は福永武彦に依る純文学。ぼくはそれを少数のスタッフにより、九州・柳川にロケを行って、小型キャメラで極く低予算の純映画に仕上げた。
 近頃は学生さんでも低予算に小型カメラで簡単に映像作品を作るが、その多くは現実(ホント)の世界に根差した大衆娯楽の路線に添ったもの。これは映画より、むしろテレヴィのドラマが手本になっているからであろう。
 ぼくら古い映画人は、虚構(ウソ)を描くことで真実(マコト)を焙り出そうと試みるが、テレヴィでは何とか現実(ホント)に寄り添おうと努力する。もともとが映画は「物語装置」、テレヴィは「情報装置」との違いもあるからであろう。
 そんな訳で、ぼくのたった二十年余の昔の映画は、現代の学生さんたちにとっては、もうまるで古典でさえあるようだ。
 《転校生ーさよならあなた》もまた、きっとそのように見られたのだろうなあ、と思ってみる。製作配給をして下さった角川映画ではコミック本まで出版して現在の中・高校生の動員を望んだようだが、客席は見事に大人の観客ばかりでありました。
 伊勢正三さんや、さだまさしさん等のフォークコンサートに時どき招かれて行くが、ここで感銘を受けるのは、ファンもまたアーチストと共に歳を重ねていくものだ、という事実。昔の若者たちが、そのままおじさん、おばさんになって、幸福そうに席に集っていらっしゃる。
 それは映画だって、同じだろう。ぼくの映画のファンは、やはりぼくと一緒に大人になって来たのだね。その親となったファンの人たちが我が子に見せたくて映画館やテレヴィの前に座れば、子供の世代にも伝わって行く。ぼくの映画もそうやって歳を重ね、育って来たのでありましょう。
 《22才の別れ》も、そういうならばやはり、愛を互いに譲り合って生きていく登場人物たちのお話です。この物語が今を生きる若い人たちにどのように見られ、受け止められていくのだろう? 先日の試写会でも、会場は大人の人ばかり、沁み沁みとスクリーンに向い合っておられましたなあ。あ、若いお嬢さん連れのお母様もいらしたけれども。
 そんなこんなで新幹線に乗って、成安造形大学の前期最後の授業に趣く。琵琶湖の風が心地よく、この里の夏は爽やかで美しい。
 早朝から夜の十時過ぎまで、学生さんたちと彼らが作った映像作品を、二日間で五十本ばかり見て合評する。これが素晴しく愉しい。彼らの明日に向う才能が、みるみる育っていく。自然の山野の里の命の姿を見ているようだ。
 夜はそのまま居酒屋に繰り込んで深夜まで飲み喋る。皆を抱きしめてやりたいほど、彼らは美しい。
 《転校生》も《22才の別れ》も、彼らのじいちゃんが拵えた映画である。考え方の違いは映画の違いともなって表れているだろう。けれども人間の願いや考えを同じ映画史、伝統の中で、通り抜けて来た仲間同士である。分り合い、共感出来ることがまた楽しい。
 今夜はシナリオ教室の若い人を前に話をする。シナリオは映画の基本であり、人が生きていく筋道を辿る業である。こういう場所で若い人と触れ合うのは、緊張するし、愉しい。ぼくらの未来と語り合えるのですからね。
 『わたしの人生を変えた一冊』という取材で福永武彦の『草の花』を紹介してみた。『廃市』の作家の、若書きの書物であります。やはり愛を譲り合って、譲り合っていく美しく悲しい物語。お若く知的な美しさを漂わせた編集部のお嬢さんと話が弾み、しかもこの本はロングセラーとして、今も若い人たちに熱心に読み継がれているのだとその人は仰る。
 『草の花』を読んだのは遠い日の尾道の夏。ぼくは十六歳で、「さびしんぼう」でありました。
 京都の高林陽一さんから新作のDVDが届いた。高林さんは七十五歳におなりだ。「昔大林さんと8ミリ映画を撮っていた。そんなことばかりを思い出しながら、今も映画を作っておりますよ」。そう仰る高林さんの声も、完成した映画もまことに若若しく力強い。《涯てへの旅》というこの映画、高林さんは現代の学生諸君と同じミニDVで撮り上げられたのだ。
 ぼくら映画の道を涯てへまで、歩いて歩いて、歩き続けて参りましょう。
 この夏は、久びさに古里・尾道の山小屋で、新しい映画の脚本を二本、書く予定でおります。ぼくの心は、少年に戻る。

2日目。授業前にパチリ!

今日も20時過ぎまで授業。元気な学生達をパチリ!前期の授業は本日で終了です。

みんな、またね。よい夏休みを!

帰り道、新幹線の中から浜名湖をパチリ!

美術の竹内さんと悦子さん夫妻、そして悦子さんの同窓生、高橋政彦君が来社。彼は《彼のオートバイ、彼女の島》で一日スタッフとしても参加してくれていた。なんと20年ぶり。

大分植樹祭からの付き合い、山ちゃんと小椋さんも合流してみんなでイタリアン。映画と良き仲間達に、乾杯!

NHK「私のこだわり人物伝」の収録でスタジオに。

今年春に亡くなられた植木等さん。僕の映画《あした》では役者として出てくださった。品のある、最後の正統派喜劇人でした。

打合せの様子を、恭子さんがこっそりパチリ!

今年二回目の民放連盟賞の合評会の様子。今回も、楽しく学べる番組が多く、審査は難航。

シナリオ作家協会主催の公開講座の様子。毎年行われるこの講座には、地方から参加される方も多いとか。

管理人さんが飼っている鯉。事務所のマンション屋上には何十種類もの金魚や鯉が飼われており、管理人さんは飼育のスペシャリストなのです。

2007年08月16日

新藤兼人先輩の本のこと。

テーマ: かく撮りき

夏の空、

緑の大地、

新幹線に乗って、

走る、走る。……

尾道の山小屋から見る、村と海と空と雲。

尾道映画の大道具さん。大田さんと息子さんと。

沖をゆく船と船。

新聞社の伝ちゃんも。

別の船もやって来る。

では、恭子さんと一緒に。

 世にも美しい本を読みました。
『新藤兼人 いのちのレッスン』(青草書房・刊)。
 これ以上は、ぼくには書けません。
 どうか、みなさん、読んで下さい。

 美しい、ということは、汚してはならない、ということです。ぼくが何か文字を書くと、この本を汚して了いそうで、怖いのですね。
 でも、書いてみます。もう少し。
 一行、一行、読み進む度に、ぼくは慟哭しておりました。激しく打ち震える我が胸の思いを、抑えることが出来ませんでした。抑える必要などもありません。ぼくのわだかまった心は開放され、素直な自分にどんどん戻っていくのです。それは、とても幸福でした

 ──年を重ねるとともに、こうした人の愚直なまでの誠実さこそ、わたしは愛と叫びたい、と強く思う。命ある限り、わたしの感じた愛を描きたい。人間賛歌を歌いたい。
 ──煩悩を抱えるわたしではあるが、最後の最後まで素朴でありたいと思う。誠実でありたい、と願うのである。
 こう書き結んで、この書物は終るのであります。
 で、「帯」には、「95歳の『遺書』。夫婦は同時には死ねない。95歳、独り残った私は、今、20億円欲しい!」、と印刷されております。

 この本の中からの、長い引用をお許し下さい。
 新藤兼人さんは、こう語られています。
 ──わたしには果たせぬ念願がある。「ヒロシマ」という映画を作りたいと思っている。原爆が炸裂した瞬間、熱線がひらめき、広島の人間は虫けらのように焼かれた。その瞬間を映画にしたいのだ。広島を再現し、広島の人が「ピカ・ドン」と表現した、そのピカ・ドンを映すのだ。原爆の映画はわたし以外に何本も作られているが、誰もピカ・ドンを描いていない。
 ──シナリオも書いてある。企画書も書いた。広島市長の賛同も得た。しかし──。制作費が二十億円かかるのだ。現在、一本の映画が五億円かかるとして、その四倍である。ここでわたしの「ヒロシマ」は頓挫する。
 そして、更にはこう書かれる。
 ──今こそ二十億円が欲しい。行政のムダ使いを見直せば、二十億円が捻出できるのではないか。しかし、わたしは現実を知っている。二十億円はどこからも出てこない。「ピカ・ドン」は映せないのだ。人間が作った地獄の一秒、二秒、三秒をわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったかを描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるのかを描きたい。
  ──人間が作った地獄の正体から、人間は目を背けてはならない。

 「行政のムダなどに目を向けなくとも、今世界中で映画を作っている人間のうちほんの数人が、自分が作る映画の一本を止めれば、新藤さんの「ヒロシマ」は実現するのだ。なのにやはり、ぼくらは新藤先輩に「しかし、わたしは現実を知っている。二十億円はどこからも出てこない。『ピカ・ドン』は映せないのだ」、と語らせるままで何も成し得ないのか?

 この書物では、一人の青年が映画と出合い、人を愛し、多くの仲間を得て、しかも商業主義には流されず、独立プロを創設し、「一つカマの飯」を食いながら、「参加希望者だけにしぼった最小のスタッフによる合宿体制」で、「いかに食べ、いかに生きるか」の答えだけを求めて、映画を作って来られた、その記録が草されている。
 ──人間には心がある。その心が何かを思うはずだ。感じるはずだ。思ったことが、感じたことが夢につながる

 映画は人間が見る夢である。新藤さんはこの世で最も美しい夢を願いつつ、映画を作っていらした。
 この書物の表紙は、新藤さんが人生最良の映画のパートナー、乙羽信子さんと結婚された後の、信州・蓼科の別荘での、くつろいだお二人の姿で飾られている。ぼくは丁度いま、その頃の新藤先輩と同じ年になった。歳ばかりが同じで、映画の志も、映画に願う夢も、新藤さんの背はまだまだ遥かに遠い。
 しかしそのことにわが身を打ちひしぐよりも、遥かなる映画の道に向って飛んでいく勇気をこそ、この本からは貰えるのである。
 新藤さんが歩まれたと同じ道を、自分も歩いて行くのだと身が引き締まるのである。

 だから同じこの道を往く若い人には、是非この本を読んで欲しいし、またより多くの人には、この書物により、映画とはこんなに美しいものなのだ、そして、人が生きるということも、と実感して欲しい。
 なので、どうか、みなさん、読んで下さい。
『新藤兼人 いのちのレッスン』という本を。
 お願い申し上げます。

 尚、この書物は長瀬広子さんという方の、新藤さんへのインタビューから構成されたものだと知って、一層の驚きを禁じ得なかった。ここでは正しく、このお二人は見事に一体化していらっしゃる。
 ぼくはこのことからも、新藤先輩の映画作りの幸福を思った。人が信頼し合って共に生きれば、自ずと互いに、美しく一体化するのであろう。長瀬さんにも、心から有難うございます、と。

 ぼくはいま、恭子さんと二人、尾道の海の前にいる。
 数年ぶりの古里の夏は、やはり美しい。
 蝉がわんわん鳴いている。それを包み込んで、海は静かだ。
 この海は、新藤さんの海でもある(ぼくは子供のころ、ご縁があって何度か“兼人お兄ちゃん”をお見掛けしたことがある、のだと思う)。
 この海がいつまでも静かで穏やかであることを願って、ぼくもいま、新しい映画の想を練り始めているのである。
 その同じ道の、ずっと先を歩いておられる新藤兼人さんや、多くの先輩たちに、心から感謝して、今日は一日を過そう。
 幸福な、夏であります。

船たちも集って、

恭子さんが作ったガンボスープに伝ちゃん嬉しそう。

遠い船に瀬戸の島。

山小屋の上の雲が綺麗。

瀬戸は夕暮れ。

ゴミを運んで伝ちゃん帰る。

翌朝も快晴。下に見えるのは《転校生》の海。

大きな船もゆくぞ。

マナブくんの美容室で、タミちゃんと恭子さんも綺麗。

子供の頃から馴染みの日山の肉屋さん。

すき焼きのお肉を買いました。

《転校生》《時をかける少女》《さびしんぼう》を作った頃のティールーム「TOM」の看板が今もあります。

尾道のお店へ。

母が大好きだった天狗のすし。いつもいつもおいしい古里の味。

お店まわりで楽しいな。

カサリンガ ドゥ ターブルでイタリアンを食べよう。

町で出会った若い人たちと、尾道も若々しくなりました。

レストランのオーナーたちと。

夜はマージャン名人が揃いました。

村の朝。海には大きな船が、今日も。

船がゆく。

船がゆく。

ああ、船がゆく。

高校時代からの同人雑誌の友、村上禎一郎さんと。

禎さんはこの島で小説を書いている。

タミちゃんがお買物して。

おお、夕焼け雲。

みんなで、

食事。マージャン名人。笠井さんも。

今日も快晴。しかし、入道雲がいなくなりました。

今日も船は働いている。

禎さんの妹さん、靖子さんも。

こもんの大谷さんがワインを持って。

友が集り、楽しい。

ぼくは毎日『転校生・本』を書いておりました。

古里の海は、沁み沁み美しい、です。

2007年08月23日

《22才の別れ》、全国公開、初日のこと。

テーマ: かく撮りき

今日は夏らしい入道雲が浮いていました。

ここから35年も静かな瀬戸内を見下ろしている僕の山小屋。

今日も大きな船が。

尾道スタッフとディナー。

なかた美術館のオーナー、フミさんを囲んで。

東京に戻る朝。家の前の砂浜で仲良し三人組。

夏空の下を福山駅に向う。

《転校生》にも出て来た福山城。

 《22才の別れーLycoris 葉見ず花見ず物語》の全国公開が始まりました。
 8月18日、東京テアトル新宿の初日にて舞台挨拶。これが久びさに、大いに愉しかったなあ。今年はコンサートを月に8本平均こなしているという超多忙の正やん(こと、伊勢正三さん)もいの一番に駆けつけてくれて、「三十年以上も昔、まだ22才前のぼくが一所懸命背伸びして作ったこの歌が、50歳をちょっと過ぎたいまになって映画になるなんて」、と舞台の上でご挨拶。『なごり雪』と『22才の別れ』は、九州・大分県の津久見市という小さな海辺の町で生まれた正やんが、上り列車に何十時間も乗って東京へ出て、そこで続けて作った二つの歌。それが三十余年も日本の人に愛されて、唄い継がれている。ぼくは六年前の《なごり雪》に続いて、今度《22才の別れ》を映画化したのだが、ここではこの三十年の、日本の激動の歴史の中を、一所懸命生きて来たぼくら日本人の暮しの様を、映画の物語に託して描こうとした。

 ──あなたに「さようなら」って言えるのは今日だけ、……
 ──あなたの誕生日に22本のローソクを立て、「一つ一つがみんな君の人生だね」って言って、17本目からは一緒に火を点けた、昨日のことのように。……

 高度経済成長、バブル時代の崩壊、失われた十年、そして21世紀へ。物と金に溢れた黄金の60年代から、再び心の時代を迎えようとする日本のいま。その間、人は生き、人と出会い、人を恋し、そしていくつもの別れがあった。辛くても悲しくても、そこには喜びもまたあり、誰もが一所懸命に。
 安保闘争に息子を奪われた母から、日本の経済成長に一生をかけた団塊の世代の人たち。そのパワーの下、安定した世の中で白けざるを得なかった四十代。ノストラダムスの世界崩壊予言の中で明日を信じられぬ時代を生き、我が子を生むべきか否かに悩む三十代。そしてその混沌の中からもう一度、恋の思いに互いに寄り添い合おうと傷つき、傷つきながら「あなた」を手繰り寄せていく20代のふたり。共に同じこの歌を唄いながら。

 筧利夫、清水美砂、峰岸徹、村田雄浩、根岸季衣、窪塚俊介、細山田隆人、寺尾由布樹、河原さぶ、三浦影虎、そしてこの映画でデビューした鈴木聖奈と中村美玲、それから特別出演の立川志らく師匠。勿論、我らが正やん、……こういう人たちが舞台に勢揃い! よく気の合った仲間たちだから、それはそれは愉しい同窓会。場内満席のお客様と一緒に、二度も舞台挨拶を。そしてお客様も一緒に、筧君の音頭で公開初日記念の一本締めまで!

 会場にはいつものぼくの映画の如く、年配のお客様が多い。昔映画を愛した人たちが、映画らしい映画を求めて集って下さったのでしょう。それに今回は、正やんと共に歳月を重ねて来た人たちも。かつてこの世に存在した良い映画、良い歌をいまに伝え、明日に残していくのが、ぼくらの仕事ですものね。そして若者たちが、その親たちの背を見ながら、ついて来てくれればいい。

 舞台挨拶が終った後は、関係者全員で近くの中国料理店でお疲れ様の食事会。話が弾んでまたまた同窓会! 映画の中では抑えた演技で静かだった筧君に村田君、峰岸君に河原さぶちゃんら、中高年組が次つぎに賑やかで愉しい司会役で喋りまくる。北海道のロケ先から駆けつけてくれた美砂ちゃんや季衣くんも乗せられて、笑い声が断えぬ。窪塚君はアメリカでの演技訓練の体験を披露して感銘を与え、《なごり雪》では最年少だった細山田君はもう年長者となって余裕の笑顔。由布樹君の名は撮影地の大分の名山由布岳の由布だし、影虎君は正やんの古里津久見の隣町、佐伯の生まれが縁で出会った人たちだ。新人の美玲も聖奈も撮影から一年と半年。大分での上映の旅の経験も踏まえて大きく美しく成長してくれた。
 最後に聖奈は仲間たちの前でご挨拶。溢れる涙にくれて一言も話せない。でも一所懸命、自分の言葉を自分の心の中から探し出して語ろうと努める。「羨ましいわ」、とは季衣ちゃんがふと漏らした一言。そう、この聖奈の一所懸命こそが、表現の基本。どんなに大人になり、ヴェテランになっても、この初心を心に保っていれば、人間は美しくもあり続けることができるのです。聖奈よ、いま、君は君を見つけたんだ。いつまでも君は君自身でありなさいね。

 《22才の別れ》は、全国いろいろな所で、順次上映されていきます。大きな宣伝などしておりませんから、心の中の大切なものを探し出すように、どうかこの映画を見つけて下さいね。心ある映画人が集って作りあげた映画です。必ずおもてなしいたしますから。

 会の最後には、新藤兼人さんのご本『いのちのレッスン』の話をして、お別れしました。先週みなさんにお話した本のことです。また会う日を約束してね。

 三浦影虎君は新藤さんの体験を新藤組の若き山本保博さんが初監督した《陸に上った軍艦》に出演している。根岸季衣さんはこれから新藤組の撮影で尾道に行きます、と嬉しそうに語っている。新藤組の俳優さんが二人もここに居る。誇らしいことです。

 ぼくはこれから秋に向って、次の映画の準備を始めます。愛する人たちと、また会えるために。今日も良い天気。夏の空の下です。

タミちゃんと幾ちゃん、ありがとう!

東京に着くや否や、花火大会観覧のお誘いを受けてお友達のご自宅へ。

出張鮨屋さん。握りたての鮨は美味い!

恭子さんと同郷の、秋田美人安井香奈子さんと阪本美貴子さん。

撮影監督の高間賢治さんと、早稲田大学教授安藤紘平さん。

みんな揃って。都会の花火の夜をバックに。……

《22才の別れ》初日の前日、聖奈とたくさんの取材を受ける。

聖奈と聖奈パパ。

聖奈と恭子さんも。

ダイアックス社同級生コムビ。

帰り道。首都高速とビルの隙間に、ほんのり淡い夕空が顔を出した。

《22才の別れ》初日の朝、舞台裏の控え室で正やん、聖奈と。

大林映画常連組の根岸季衣さんと村田雄浩君も応援に駆けつけてくれた。

出演者の一人、立川志らく師匠も!

二作連続出演の窪塚俊介君。後ろには村田君と正やんが。

正やん夫人知ちゃんと、筧君も応援に!

一回目と二回目の舞台挨拶の間は、志らく師匠とのトークショウ。

総勢15人!豪華な舞台挨拶となりました。

北海道から駆けつけた美砂さん。

舞台挨拶後のランチ。最多出演の峰岸徹さんを囲んで。

河原さぶちゃんも応援に来てくれた!

若手俳優陣に混ざって千茱萸 さんと森ちゃんと横田さん。

乾杯のビールが美味い!

大脚本家、南柱根君を囲んで。

筧君と美砂君のリードで、若手俳優陣のご挨拶。

新人聖奈、旅立ちの挨拶。

パンフレット担当の千茱萸さんも、お祝いの挨拶。

ラブラブの正やんと知ちゃんご夫妻。

書斎の窓に映る夕日。

ほっとくつろぐ。夕暮れのひと時。

2007年08月30日

映像と言葉。
 ──臼杵・ふるさと風の映画学校にて。

テーマ: かく撮りき

火曜日。「ダイノジ THE MOVIE」の収録でUSENへ。大分出身のお笑い芸人、ダイノジさんと。《HOUSE/ハウス》を始め、僕の作品ほとんどを観て下さってるそう!

水曜日。来日中のフランスの写真家Jerome De Perlinghiが来社、撮影をしてもらう。

写真集を手に、みんなで。

各国の映画人を撮り続けていらっしゃるJerome氏。"目力"を意識して撮影されているそう。仕上がりが楽しみ。

ジャズシンガー大橋美加さんのご息女、大谷瑠奈ちゃん出演のミュージカル『ココ・スマイル5』を鑑賞。弟の耀司君も。

ミュージカル鑑賞後3人で夕食へ。そこへなんと勝野洋君が来店! 現在お芝居で忙しいそう。

 写真を撮るときに大切なものは、言葉であります。
 何故なら、人間は言葉で考え、言葉で自分を表現する。猫が脚で押しても写真は写るけれど、人間が写した写真は、そこが違う。
 小学校四年生の男子が花を撮った。
「花が開いていて、綺麗だったから」。
 花は画面の中央にこちらを向いて大きく、どーんと映っていて、フォーカスはちょっと甘くも見えるが、しっかり開いて、「ほら、ぼくだよ」、と主張している。
 同じ四年生の女子も花を撮ったが、こちらは「可愛いかったから」。なるほどその花もまた画面の中央に大きく映っているのだが、まるで女子児童に肩に手をかけられたように、少し微笑んで「わたしです」、と身を傾けている。
 中学の生徒さんは、町角の家を撮った。ところが肝腎のこの家は明るい真昼なのに影になっていて真っ黒で、家の前の地面だけが日が良く当って広く真っ白に映っている。
「何だか臼杵っぽいと思ったから」、が写し手の彼の弁である。

 大分県の臼杵市で、小・中学生が中心になって、『ふるさと』をテーマに写真を撮った。夏休みの最後の土曜日、臼杵市のホールでの発表会。大勢の児童や生徒さんがそれぞれに自身が古里を撮った写真を手に集ってくれた。スクリーンに映し出された写真は、そっくりそのまま、この古里である。
 大分県臼杵市を中心にして、ぼくは二本の映画と一本のショートフィルムとCMを二作撮影した。この九年の間に、であり、そもそもはミレニアム2000の大分植樹祭の演出をお引受けして以来のご縁である。
 その臼杵市で、市民の皆さんが中心となって『ふるさと風の映画学校』が立ち上げられたのが去年のこと。ぼくは今年からその『校長先生』に就任。その最初の授業が、町の子供たちによる古里を写した写真教室。
「この町は、三十年前から何も変わっていないんですよ」、と六年前、臼杵の後藤國利 市長は胸を張って言われた。「昔のまんまの日差しや風が、わたしたちの暮しを守ってくれているんです」。その言葉から生まれた映画《なごり雪》は、だから三十年昔の機材を探し出し、若い俳優さんたちも三十年昔の映画の中にあった、美しい日本を話した。あの日本の高度経済成長期に、当時の行政が誘致した巨大なセメント工場を、市民全員が力を合わせて撃退した。こうして守り、残し、伝えられた日本の古里である。ぼくたちは臼杵発のこの映画を自ら持って全国を廻り、この影の多い古い日本の小さな町の姿は、多くの人に愛され、その町から生まれる人間の物語は多くの人の心を打ち、それが今年の《22才の別れ》に繋がって行った。そして昔変わらぬこの町の家を映して「臼杵っぽいと思ったから」、とこの里の未来を生きる子は『古里自慢』する。

 9月24日、ぼくは恭子さんと大分に向う。大分空港にはあの植樹祭でぼくを大分に引き合わせてくれ、その後はぼくの映画のプロデューサーを務めてくれている山ちゃんが迎えてくれるのはいつもの嬉しい情景で、植樹祭の時の心地良い緊張感が体内に蘇る。がそこに北海道の『星の降る星・芦別映画祭』の梅ちゃんとタダちゃんのコムビのにこにこ顔も見えるので、一瞬、「ここは何処?」という感覚に陥る。
 芦別の学校はその昔、芦別の当時15才の少年鈴木評司君が、ぼくの古里・尾道に映画《さびしんぼう》のロケ地巡りの旅をし、その時出合って一日中尾道を二人で歩いた尾道の「ボケじいちゃん」が忘れられず、「いつか自分も古里のボケじいちゃんとなって、我が古里を訪ねてくれる旅の若者と古里の道を歩きたい」、と願ったことから生まれた、市民中心の学校。途中でその評司君を若くして失いながら、芦別の人たちの手によって守られて育てられ、今年で15年目を迎える『映画学校』の先輩。ぼくはやはりここでも『校長先生』であり、で、今回も臼杵の兄妹校の出発にお祝いに駆け付けて下さった、というわけ。
 臼杵の映画学校では山ちゃんのお姉さんの奈緒美ちゃんが事務局長。あの『植樹祭』がご縁の県庁の偉い方だが、恭子さんが名付けた「県庁のヤクザのお兄ちゃん」のオノさんやら、芝生係のヤマモトさんやらが、わーっと集ってくれた臼杵のおじいちゃんや姉ちゃんらと皆の力でこの映画学校を支えて下さっているのが嬉しい。尾道から駆け付けてくれた『山陽日日新聞』の伝ちゃんが「この笑顔ですよねえ、大切なものは」、としきりと感嘆。

 9月25日、開校式には《22才の別れ》チームのダイアックス社長ヨリちゃん、主演の鈴木聖奈に寺尾由布樹、俳優事務所社長横ちゃんに恭子さんの事務所PSCのはずき嬢も参加。聖奈は11月の臼杵『竹宵』には般若姫役で里帰りするし、宇佐神官では映画に因んだコンサートを行なう予定。昔からの大の映画ファンであるヨリちゃんとは映画談義に花が咲く。製作会社社長ヨリちゃんこと頼住さんとこういう話に興じられるのが楽しい。別府温泉で親孝行したい、などともね。
 夜は臼杵や旅の人たちとパーティ。この里の皆さんの心づくしの手作り料理が何よりのご馳走。とびきりの笑顔の味が幸福です。
 9月26日は、皆で黒島へ向う。オランダ船リーフデ号日本漂着、西欧文化との邂逅の地でもあり、《なごり雪》の撮影の地でもある。黒島の住民の方の心づくしの魚貝類を囲んで、出席者全員の自己紹介から授業開始。
 実はきのうから驚いていたのだが、この臼杵の映画学校には、大分全県の人は勿論、全国からの参加者が多数。お一人お一人のスピーチの中から、ぼくの映画との出合いや日本の古里との出合いの歴史が切切と語られていく。映画とのこうしたそれぞれの人の大切な出合いがあったからこそ、ぼくらはいまこうしてここに集っている。親、子、兄弟、友人、そしてまた独りで。映画が無くても人は生きていけるが、映画があればこそ、こうした幸福な一日が持てるのです。
 映画を一本拵えれば色いろなことがあって、辛い悲しいことも実は一杯あるであろう恭子さんも、きょうはそういう人の温もりに触れて素直に感謝の涙を。次の映画への勇気を皆から貰うことができました。ぼくはお禮の気持ちをこめて、黒澤明さんや本多猪四郎さんなど、ぼくらの先輩の映画人の話をしました。あの方たちの映画の画面には、しっかり人間の言葉が映されていましたねえ。だから単なるアクションやムードだけではない、人間の映画になっておりました。ぼくもそういう映画の学校から学んで、いまも映画を作り続けています。

 臼杵の映画学校では《22才の別れ》がまたまた二回も上映されました。芦別の映画学校でも去年上映され、臼杵からも沢山の人が芦別を訪ねました。今年の秋は、また臼杵から芦別へ。今年は《転校生》を上映。こうして古里同士も仲間になっていくのです。
《22才の別れ》、東京では二週目。テアトル新宿では大勢のみなさんが、既に多くのリピーターも含め駆け付けて下さり、いま全国的に大きなうねりとなって広がっています。いわゆるトレンディーな芸能界風の映画ではありませんが、ここからは多くの古里びとの言葉が語りかけてくる、生きた暮しの夢の言葉が聞こえてきます。その言葉を受けて自分も色いろものを思ったり、考えたり、願ったりする。それが映画の愉しみである筈ですよね。
 あなたはいま、どんな言葉をお持ちですか? どうか、応援して下さいね。

木曜日。書籍再版に向けての打合せと、・・・・・・

《転校生・本》出版に向けての打合せがありました。

金曜日。明日の"ふるさと風の映画学校"の為大分へ。まずは別府入り。

山ちゃん、DIAX頼住社長、聖奈、そして北海道・芦別の梅田さんと多田さんとでまずはお昼。

食事後ツーリズムおおいたの桑野和泉さんに取材を受ける。彼女は旅館・玉の湯さんの社長さんでもあります。

みんなで、パチリ!

実行委員長の辛島奈緒美さんと実行委員の山本定幸さん、戸次清一郎さんとで、明日からの映画学校の打合せ。

夕食。20歳になった聖奈は恭子さんが見守る中、お酒に挑戦!

宇佐神官音楽祭のスタッフさんも打合せにいらっしゃった。食後にみんなで。

土曜日。一行は臼杵へ移動。東京から寺尾君、横田さん、はずき嬢も参加して、いよいよ“ふるさと風の映画学校”の開校です!

まずは聖奈と寺尾君のご挨拶。

辛島実行委員長より、校長就任の委任状を頂く。

最初の授業は、小・中学生による「瞳の中のふるさと発見塾」。大人顔負けの作品の数々に審査員達も脱帽。

生徒代表の少年へ、聖奈から記念品の贈呈。

最後は皆で写真撮影。その後「ふるさと風の映画学校ヴィデオ上映会」、パネルディスカッションと授業は進む。

一日目は無事終了。これからウェルカムパーティーの会場へ。移動の車から《22才の別れ》の看板をパチリ。

臼杵の方方の温かい御持て成しを受ける。聖奈と寺尾君、はずき嬢、おいしいご馳走をパクリ!

臼杵の後藤市長と久しぶりにゆっくり御喋り。おいしいお料理を頂きながら。・・・・・・

大勢の方方が、この映画学校に参加してくださいました。

《なごり雪》からのお付き合いの後藤市長。行政に携わる一人 として、臼杵に住む一人として、映画を愛してくださる一人として、温かい励ましのお言葉を頂く。

映画学校として先輩、"星の降る里・芦別映画学校"の梅田実行委員長と多田さんのご挨拶。映画が人と人、土地と土地とを結ぶ。

臼杵の医師、大塚先生のお嬢様によるチェロの演奏もありました。「22才の別れ」など3曲。

パーティー後は《なごり雪》で撮影もした"国宝臼杵石仏火まつり"へ。《なごり雪》のときは実際の火の3倍を灯しました。

揺らめく火の光に、皆夢見心地な表情。

喫茶【クランク・イン!】に戻り、鹿児島から6時間もかけて駆けつけてくださった橋口さんによるマッサージのひととき。あまりの腕前に思わずニコリ。

心知れる仲間達と酒を交わす。飲んだ後はスタッフにも人気の【のんきや】さんのおでん。【フレンド】のステーキなど、腹に染み渡る味。尾道の伝ちゃんも。

2階では田中さん親子によるフォーク演奏。なんとも、いつかの歌声喫茶のよう。皆思い思いのひとときを過していた。

【ぷくぷく】の川野恵美さんと、「県庁のヤクザのお兄さん」こと小野恒芳さん。

楽しい集いは、夜が深まるまで続いた。・・・・・・

宿に戻って。寺尾君はお稽古のため明日朝に帰京。ありがとう!

日曜日。清清しいお天気の中、授業二日目は《なごり雪》ロケ地の黒島にて野外授業。今から船に乗り込みます。

黒島に到着。今回の映画学校は大分を始め、北海道、神奈川、岐阜、福岡、広島、鹿児島などなど、・・・・・・

全国からたくさんの方方が参加してくださった。まずは一人ずつ自己紹介。

その後スタッフによって、大分で獲れたホタテやサザエなど食材が準備されていく。

黒島の美しい海と、・・・・・・

美しい空の下でこれからバーベキューが始まります。

新鮮な海の幸がたくさん!

関アジを、贅沢に焼いて頂きました。身がプリプリ。

皆で楽しく、そして、大切に噛締めながら味わいました。

北海道のお二人も、今日は南の地で獲れた新鮮な食材に舌鼓を打っておりました。

北海道から差し入れのとうもろこしや大分産のベーコンも。

後藤市長と奥様もいらっしゃいました。手作りプリンの差し入れに、聖奈ニッコリ。

植樹祭芝生係からのお付き合いの山本さんは、今回一家で参加。

スタッフの中村さんは「(今回の映画学校を通して、)おばあちゃんのことを想った」。と写真を持ってきてくれた。古里への愛は、家族への愛であるのです 。

フォーク演奏をしてくれた田中さん親子も。

《22才の別れ》から大分スタッフとして参加してくれている戸次君。これからもよろしくお願いします!

小野さんも植樹祭からのお付き合い。今日までの9年分の想いが、思わず込上げる。

海をバックに、皆で記念撮影。

楽しかった黒島の看板前で聖奈がポーズ。

皆に見送られて出航。ありがとう。またね。

楽しい3日間となりました。

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