早朝出発して、今日から2泊で成安造形大学の集中講義。穏やかな成安の里山。
美しい馬蹄形の棚田。1000年の歴史を持つここ仰木には、このような美しい棚田が未だたくさん残っている。
青春時代からの友、小林はくどう先生とパチリ。
高峰剛監督とはくどう先生。
1日目の午後からは学生たちの発表が中心に行われる。授業がどんどん進み、終わったのは何と20時!
授業後、校庭で行われた盆踊り大会に参加。学生達は皆、浴衣に身をまとう。色鮮やかな浴衣と囃子の音色が、仰木の里の夜を賑していた。
風は強いが、真夏日である。ぼくの心は、少年に戻る。
――愛って、譲り合うものだよ、と学生さんたちと話をした。皆譲り合って、それで誰もが不幸になった。そういうお話なんだ。
ぼくが二十三年前に作った映画《廃市》についての話である。夏休みが来るので尚美学園大学院の前期のリポート提出のために、同僚の先生がこの映画を院生たちに見せたのであります。
――だったら奪い合って、皆幸福になれば良いのに、が若い人の意見である。
尤もな考えである。現実(ホント)の世界では、それが良いに決まっている。
――しかし文学や映画では、人間は一所懸命こういう物語を工夫して編み出した。愛というものの本質(マコト)を考察するために、ね。悲劇(ウソ)にはそういう力がある。
《廃市》は福永武彦に依る純文学。ぼくはそれを少数のスタッフにより、九州・柳川にロケを行って、小型キャメラで極く低予算の純映画に仕上げた。
近頃は学生さんでも低予算に小型カメラで簡単に映像作品を作るが、その多くは現実(ホント)の世界に根差した大衆娯楽の路線に添ったもの。これは映画より、むしろテレヴィのドラマが手本になっているからであろう。
ぼくら古い映画人は、虚構(ウソ)を描くことで真実(マコト)を焙り出そうと試みるが、テレヴィでは何とか現実(ホント)に寄り添おうと努力する。もともとが映画は「物語装置」、テレヴィは「情報装置」との違いもあるからであろう。
そんな訳で、ぼくのたった二十年余の昔の映画は、現代の学生さんたちにとっては、もうまるで古典でさえあるようだ。
《転校生ーさよならあなた》もまた、きっとそのように見られたのだろうなあ、と思ってみる。製作配給をして下さった角川映画ではコミック本まで出版して現在の中・高校生の動員を望んだようだが、客席は見事に大人の観客ばかりでありました。
伊勢正三さんや、さだまさしさん等のフォークコンサートに時どき招かれて行くが、ここで感銘を受けるのは、ファンもまたアーチストと共に歳を重ねていくものだ、という事実。昔の若者たちが、そのままおじさん、おばさんになって、幸福そうに席に集っていらっしゃる。
それは映画だって、同じだろう。ぼくの映画のファンは、やはりぼくと一緒に大人になって来たのだね。その親となったファンの人たちが我が子に見せたくて映画館やテレヴィの前に座れば、子供の世代にも伝わって行く。ぼくの映画もそうやって歳を重ね、育って来たのでありましょう。
《22才の別れ》も、そういうならばやはり、愛を互いに譲り合って生きていく登場人物たちのお話です。この物語が今を生きる若い人たちにどのように見られ、受け止められていくのだろう? 先日の試写会でも、会場は大人の人ばかり、沁み沁みとスクリーンに向い合っておられましたなあ。あ、若いお嬢さん連れのお母様もいらしたけれども。
そんなこんなで新幹線に乗って、成安造形大学の前期最後の授業に趣く。琵琶湖の風が心地よく、この里の夏は爽やかで美しい。
早朝から夜の十時過ぎまで、学生さんたちと彼らが作った映像作品を、二日間で五十本ばかり見て合評する。これが素晴しく愉しい。彼らの明日に向う才能が、みるみる育っていく。自然の山野の里の命の姿を見ているようだ。
夜はそのまま居酒屋に繰り込んで深夜まで飲み喋る。皆を抱きしめてやりたいほど、彼らは美しい。
《転校生》も《22才の別れ》も、彼らのじいちゃんが拵えた映画である。考え方の違いは映画の違いともなって表れているだろう。けれども人間の願いや考えを同じ映画史、伝統の中で、通り抜けて来た仲間同士である。分り合い、共感出来ることがまた楽しい。
今夜はシナリオ教室の若い人を前に話をする。シナリオは映画の基本であり、人が生きていく筋道を辿る業である。こういう場所で若い人と触れ合うのは、緊張するし、愉しい。ぼくらの未来と語り合えるのですからね。
『わたしの人生を変えた一冊』という取材で福永武彦の『草の花』を紹介してみた。『廃市』の作家の、若書きの書物であります。やはり愛を譲り合って、譲り合っていく美しく悲しい物語。お若く知的な美しさを漂わせた編集部のお嬢さんと話が弾み、しかもこの本はロングセラーとして、今も若い人たちに熱心に読み継がれているのだとその人は仰る。
『草の花』を読んだのは遠い日の尾道の夏。ぼくは十六歳で、「さびしんぼう」でありました。
京都の高林陽一さんから新作のDVDが届いた。高林さんは七十五歳におなりだ。「昔大林さんと8ミリ映画を撮っていた。そんなことばかりを思い出しながら、今も映画を作っておりますよ」。そう仰る高林さんの声も、完成した映画もまことに若若しく力強い。《涯てへの旅》というこの映画、高林さんは現代の学生諸君と同じミニDVで撮り上げられたのだ。
ぼくら映画の道を涯てへまで、歩いて歩いて、歩き続けて参りましょう。
この夏は、久びさに古里・尾道の山小屋で、新しい映画の脚本を二本、書く予定でおります。ぼくの心は、少年に戻る。
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コメント (8)
映画「なごり雪」の中で、
雪子の両親は登場して来ません。
でも僕の頭の中では、
父親役は若い頃の植木等さんがやってます。
母親役は、なかなか思いつきませんけど。。
2007年08月09日 18:54 投稿者 : ガッツ
うそから真実を見出す。まだその領域まで理解はできませんが、映画はうその世界で私を異空間に連れ出してくれます。SFXなどが好きです。観ている間、正に非現実的な夢の中に浸って入れます。映画はうそにより私に心地よさを与えてくれます。
2007年08月09日 23:35 投稿者 : kat
奪った幸せと譲った不幸。幸せは自分の心が決めることだから、譲ったことで不幸になってもその純粋な気持ちをもてたことに幸せを感じることができたら素晴らしいと思います。学生の頃の春休み、フェリーと普通列車で行った雨の尾道を思い出しました。
2007年08月10日 06:57 投稿者 : ニングル
今は誰でも『キレイな映像』は撮れます。機械が良いですものね。しかし、何度も観たい『映画』は撮れないと思います。ロールチェンジの待ち時間や、現像所から上がって来るまでの、ワクワクした気持ちは良かったな。
2007年08月10日 08:46 投稿者 : 絢音ママちゃん
リアリティとリアルは違いますよね。良く出来たフィクションは99%の虚構の中に1%の現実を感じさせるものだと思います。
チャップリン本人が彼の「そっくりさんコンテスト」に出場して、優勝できなかったというエピソードを思い出しました。
2007年08月11日 00:51 投稿者 : KoーZ
オリンパスさんからのメールで、このブログを知りました。すかさず長野まで転校生を見に行ってきました。前作は、はたちそこそこで、おもしろいとしか思わなかったものが、今回、映像と言葉の持つ物語に胸を強く締め付けられる思いにかられました。
2007年08月13日 07:45 投稿者 : 海月
昔を懐かしがるのは好きではありませんが、自分の原点に戻ることで、今の生活を見直すことができる気がします。DVDでなく映画館で見たいと思っています。
2007年08月13日 21:41 投稿者 : 横浜のパン屋
なごり雪・・しんみりしました。監督の映画は歳を重ねても青春時代の自分に戻してくれます。22歳の別れ、上映楽しみにしてます。
2007年08月14日 08:09 投稿者 : さびしんぼう