新藤兼人先輩の本のこと。
夏の空、
緑の大地、
新幹線に乗って、
走る、走る。……
尾道の山小屋から見る、村と海と空と雲。
尾道映画の大道具さん。大田さんと息子さんと。
沖をゆく船と船。
新聞社の伝ちゃんも。
別の船もやって来る。
では、恭子さんと一緒に。
世にも美しい本を読みました。
『新藤兼人 いのちのレッスン』(青草書房・刊)。
これ以上は、ぼくには書けません。
どうか、みなさん、読んで下さい。
美しい、ということは、汚してはならない、ということです。ぼくが何か文字を書くと、この本を汚して了いそうで、怖いのですね。
でも、書いてみます。もう少し。
一行、一行、読み進む度に、ぼくは慟哭しておりました。激しく打ち震える我が胸の思いを、抑えることが出来ませんでした。抑える必要などもありません。ぼくのわだかまった心は開放され、素直な自分にどんどん戻っていくのです。それは、とても幸福でした
──年を重ねるとともに、こうした人の愚直なまでの誠実さこそ、わたしは愛と叫びたい、と強く思う。命ある限り、わたしの感じた愛を描きたい。人間賛歌を歌いたい。
──煩悩を抱えるわたしではあるが、最後の最後まで素朴でありたいと思う。誠実でありたい、と願うのである。
こう書き結んで、この書物は終るのであります。
で、「帯」には、「95歳の『遺書』。夫婦は同時には死ねない。95歳、独り残った私は、今、20億円欲しい!」、と印刷されております。
この本の中からの、長い引用をお許し下さい。
新藤兼人さんは、こう語られています。
──わたしには果たせぬ念願がある。「ヒロシマ」という映画を作りたいと思っている。原爆が炸裂した瞬間、熱線がひらめき、広島の人間は虫けらのように焼かれた。その瞬間を映画にしたいのだ。広島を再現し、広島の人が「ピカ・ドン」と表現した、そのピカ・ドンを映すのだ。原爆の映画はわたし以外に何本も作られているが、誰もピカ・ドンを描いていない。
──シナリオも書いてある。企画書も書いた。広島市長の賛同も得た。しかし──。制作費が二十億円かかるのだ。現在、一本の映画が五億円かかるとして、その四倍である。ここでわたしの「ヒロシマ」は頓挫する。
そして、更にはこう書かれる。
──今こそ二十億円が欲しい。行政のムダ使いを見直せば、二十億円が捻出できるのではないか。しかし、わたしは現実を知っている。二十億円はどこからも出てこない。「ピカ・ドン」は映せないのだ。人間が作った地獄の一秒、二秒、三秒をわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったかを描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるのかを描きたい。
──人間が作った地獄の正体から、人間は目を背けてはならない。
「行政のムダなどに目を向けなくとも、今世界中で映画を作っている人間のうちほんの数人が、自分が作る映画の一本を止めれば、新藤さんの「ヒロシマ」は実現するのだ。なのにやはり、ぼくらは新藤先輩に「しかし、わたしは現実を知っている。二十億円はどこからも出てこない。『ピカ・ドン』は映せないのだ」、と語らせるままで何も成し得ないのか?
この書物では、一人の青年が映画と出合い、人を愛し、多くの仲間を得て、しかも商業主義には流されず、独立プロを創設し、「一つカマの飯」を食いながら、「参加希望者だけにしぼった最小のスタッフによる合宿体制」で、「いかに食べ、いかに生きるか」の答えだけを求めて、映画を作って来られた、その記録が草されている。
──人間には心がある。その心が何かを思うはずだ。感じるはずだ。思ったことが、感じたことが夢につながる
映画は人間が見る夢である。新藤さんはこの世で最も美しい夢を願いつつ、映画を作っていらした。
この書物の表紙は、新藤さんが人生最良の映画のパートナー、乙羽信子さんと結婚された後の、信州・蓼科の別荘での、くつろいだお二人の姿で飾られている。ぼくは丁度いま、その頃の新藤先輩と同じ年になった。歳ばかりが同じで、映画の志も、映画に願う夢も、新藤さんの背はまだまだ遥かに遠い。
しかしそのことにわが身を打ちひしぐよりも、遥かなる映画の道に向って飛んでいく勇気をこそ、この本からは貰えるのである。
新藤さんが歩まれたと同じ道を、自分も歩いて行くのだと身が引き締まるのである。
だから同じこの道を往く若い人には、是非この本を読んで欲しいし、またより多くの人には、この書物により、映画とはこんなに美しいものなのだ、そして、人が生きるということも、と実感して欲しい。
なので、どうか、みなさん、読んで下さい。
『新藤兼人 いのちのレッスン』という本を。
お願い申し上げます。
尚、この書物は長瀬広子さんという方の、新藤さんへのインタビューから構成されたものだと知って、一層の驚きを禁じ得なかった。ここでは正しく、このお二人は見事に一体化していらっしゃる。
ぼくはこのことからも、新藤先輩の映画作りの幸福を思った。人が信頼し合って共に生きれば、自ずと互いに、美しく一体化するのであろう。長瀬さんにも、心から有難うございます、と。
ぼくはいま、恭子さんと二人、尾道の海の前にいる。
数年ぶりの古里の夏は、やはり美しい。
蝉がわんわん鳴いている。それを包み込んで、海は静かだ。
この海は、新藤さんの海でもある(ぼくは子供のころ、ご縁があって何度か“兼人お兄ちゃん”をお見掛けしたことがある、のだと思う)。
この海がいつまでも静かで穏やかであることを願って、ぼくもいま、新しい映画の想を練り始めているのである。
その同じ道の、ずっと先を歩いておられる新藤兼人さんや、多くの先輩たちに、心から感謝して、今日は一日を過そう。
幸福な、夏であります。
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コメント (7)
『白い町ヒロシマ』で、新藤先生が脚本で乙羽さんが出演されていましたが、『ピカ ドン』の瞬間は描けませんでしたものね……。子供の寝顔を見ていると,平和のありがたさを感じます。
2007年08月16日 21:17 投稿者 : 絢音ママちゃん
八百屋に魚屋、和菓子店、本屋に電器、洋装品。喫茶に中華、お好み焼き。おもちゃに蒲鉾、刀剣。仏具、毛糸に肉に寿司、瀬戸物、うば車まで。何でも揃う専門店街、尾道のアーケードには温かみと人情が通っているワン!と語るのは、とある1匹のワンコでした。
2007年08月17日 07:49 投稿者 : しげぞー
おはようございます。文中、紹介されています「命のレッスン」是非とも読んでみたいと思いました。
2007年08月19日 08:22 投稿者 : カーツ
新藤兼人さんのエッセイは大好きで、今までも読んできました。元気が頂け、生きるエネルギーが溜まります。「いのちのレッスン」今読みかけです。三浦友和さんが好きで、なごり雪そして22才の別れ見てきました。良かったですね。
2007年08月20日 15:52 投稿者 : ゆたかさん
昨日、《22才の別れ》を観てきました。
昨年の「星のふる里芦別映画学校」に続き、2回目になります。
映画館の帰りについつい焼き鳥屋さんに立ち寄ってしまいました。
泣くほどではなかったのですが、なかなか美味しかったですよ。
2007年08月21日 19:23 投稿者 : tomo1976
新藤先生の映画撮らせてあげたいですね。
「はだしのゲン」「黒い雨」原爆をテーマにした映画は他にも沢山撮られてますけどその瞬間、爆心地で何が起こったのか?!
各方面に出資金を募って実現できないものなんでしょうか?
2007年08月21日 22:00 投稿者 : ヒロカメラマン
映画人に限らず表現者にとって大事な事は、とにかく自分が撮りたいものを撮る、と云う事に尽きるのでしょう。
煩悩を抱えっぱなしの私には、新藤さんの最後の最後まで愚直なまでの誠実さを持ち続けたい、というお言葉が耳に痛いです。
2007年08月24日 21:10 投稿者 : KoーZ