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2007年08月16日

新藤兼人先輩の本のこと。

テーマ: かく撮りき

夏の空、

緑の大地、

新幹線に乗って、

走る、走る。……

尾道の山小屋から見る、村と海と空と雲。

尾道映画の大道具さん。大田さんと息子さんと。

沖をゆく船と船。

新聞社の伝ちゃんも。

別の船もやって来る。

では、恭子さんと一緒に。

 世にも美しい本を読みました。
『新藤兼人 いのちのレッスン』(青草書房・刊)。
 これ以上は、ぼくには書けません。
 どうか、みなさん、読んで下さい。

 美しい、ということは、汚してはならない、ということです。ぼくが何か文字を書くと、この本を汚して了いそうで、怖いのですね。
 でも、書いてみます。もう少し。
 一行、一行、読み進む度に、ぼくは慟哭しておりました。激しく打ち震える我が胸の思いを、抑えることが出来ませんでした。抑える必要などもありません。ぼくのわだかまった心は開放され、素直な自分にどんどん戻っていくのです。それは、とても幸福でした

 ──年を重ねるとともに、こうした人の愚直なまでの誠実さこそ、わたしは愛と叫びたい、と強く思う。命ある限り、わたしの感じた愛を描きたい。人間賛歌を歌いたい。
 ──煩悩を抱えるわたしではあるが、最後の最後まで素朴でありたいと思う。誠実でありたい、と願うのである。
 こう書き結んで、この書物は終るのであります。
 で、「帯」には、「95歳の『遺書』。夫婦は同時には死ねない。95歳、独り残った私は、今、20億円欲しい!」、と印刷されております。

 この本の中からの、長い引用をお許し下さい。
 新藤兼人さんは、こう語られています。
 ──わたしには果たせぬ念願がある。「ヒロシマ」という映画を作りたいと思っている。原爆が炸裂した瞬間、熱線がひらめき、広島の人間は虫けらのように焼かれた。その瞬間を映画にしたいのだ。広島を再現し、広島の人が「ピカ・ドン」と表現した、そのピカ・ドンを映すのだ。原爆の映画はわたし以外に何本も作られているが、誰もピカ・ドンを描いていない。
 ──シナリオも書いてある。企画書も書いた。広島市長の賛同も得た。しかし──。制作費が二十億円かかるのだ。現在、一本の映画が五億円かかるとして、その四倍である。ここでわたしの「ヒロシマ」は頓挫する。
 そして、更にはこう書かれる。
 ──今こそ二十億円が欲しい。行政のムダ使いを見直せば、二十億円が捻出できるのではないか。しかし、わたしは現実を知っている。二十億円はどこからも出てこない。「ピカ・ドン」は映せないのだ。人間が作った地獄の一秒、二秒、三秒をわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったかを描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるのかを描きたい。
  ──人間が作った地獄の正体から、人間は目を背けてはならない。

 「行政のムダなどに目を向けなくとも、今世界中で映画を作っている人間のうちほんの数人が、自分が作る映画の一本を止めれば、新藤さんの「ヒロシマ」は実現するのだ。なのにやはり、ぼくらは新藤先輩に「しかし、わたしは現実を知っている。二十億円はどこからも出てこない。『ピカ・ドン』は映せないのだ」、と語らせるままで何も成し得ないのか?

 この書物では、一人の青年が映画と出合い、人を愛し、多くの仲間を得て、しかも商業主義には流されず、独立プロを創設し、「一つカマの飯」を食いながら、「参加希望者だけにしぼった最小のスタッフによる合宿体制」で、「いかに食べ、いかに生きるか」の答えだけを求めて、映画を作って来られた、その記録が草されている。
 ──人間には心がある。その心が何かを思うはずだ。感じるはずだ。思ったことが、感じたことが夢につながる

 映画は人間が見る夢である。新藤さんはこの世で最も美しい夢を願いつつ、映画を作っていらした。
 この書物の表紙は、新藤さんが人生最良の映画のパートナー、乙羽信子さんと結婚された後の、信州・蓼科の別荘での、くつろいだお二人の姿で飾られている。ぼくは丁度いま、その頃の新藤先輩と同じ年になった。歳ばかりが同じで、映画の志も、映画に願う夢も、新藤さんの背はまだまだ遥かに遠い。
 しかしそのことにわが身を打ちひしぐよりも、遥かなる映画の道に向って飛んでいく勇気をこそ、この本からは貰えるのである。
 新藤さんが歩まれたと同じ道を、自分も歩いて行くのだと身が引き締まるのである。

 だから同じこの道を往く若い人には、是非この本を読んで欲しいし、またより多くの人には、この書物により、映画とはこんなに美しいものなのだ、そして、人が生きるということも、と実感して欲しい。
 なので、どうか、みなさん、読んで下さい。
『新藤兼人 いのちのレッスン』という本を。
 お願い申し上げます。

 尚、この書物は長瀬広子さんという方の、新藤さんへのインタビューから構成されたものだと知って、一層の驚きを禁じ得なかった。ここでは正しく、このお二人は見事に一体化していらっしゃる。
 ぼくはこのことからも、新藤先輩の映画作りの幸福を思った。人が信頼し合って共に生きれば、自ずと互いに、美しく一体化するのであろう。長瀬さんにも、心から有難うございます、と。

 ぼくはいま、恭子さんと二人、尾道の海の前にいる。
 数年ぶりの古里の夏は、やはり美しい。
 蝉がわんわん鳴いている。それを包み込んで、海は静かだ。
 この海は、新藤さんの海でもある(ぼくは子供のころ、ご縁があって何度か“兼人お兄ちゃん”をお見掛けしたことがある、のだと思う)。
 この海がいつまでも静かで穏やかであることを願って、ぼくもいま、新しい映画の想を練り始めているのである。
 その同じ道の、ずっと先を歩いておられる新藤兼人さんや、多くの先輩たちに、心から感謝して、今日は一日を過そう。
 幸福な、夏であります。

船たちも集って、

恭子さんが作ったガンボスープに伝ちゃん嬉しそう。

遠い船に瀬戸の島。

山小屋の上の雲が綺麗。

瀬戸は夕暮れ。

ゴミを運んで伝ちゃん帰る。

翌朝も快晴。下に見えるのは《転校生》の海。

大きな船もゆくぞ。

マナブくんの美容室で、タミちゃんと恭子さんも綺麗。

子供の頃から馴染みの日山の肉屋さん。

すき焼きのお肉を買いました。

《転校生》《時をかける少女》《さびしんぼう》を作った頃のティールーム「TOM」の看板が今もあります。

尾道のお店へ。

母が大好きだった天狗のすし。いつもいつもおいしい古里の味。

お店まわりで楽しいな。

カサリンガ ドゥ ターブルでイタリアンを食べよう。

町で出会った若い人たちと、尾道も若々しくなりました。

レストランのオーナーたちと。

夜はマージャン名人が揃いました。

村の朝。海には大きな船が、今日も。

船がゆく。

船がゆく。

ああ、船がゆく。

高校時代からの同人雑誌の友、村上禎一郎さんと。

禎さんはこの島で小説を書いている。

タミちゃんがお買物して。

おお、夕焼け雲。

みんなで、

食事。マージャン名人。笠井さんも。

今日も快晴。しかし、入道雲がいなくなりました。

今日も船は働いている。

禎さんの妹さん、靖子さんも。

こもんの大谷さんがワインを持って。

友が集り、楽しい。

ぼくは毎日『転校生・本』を書いておりました。

古里の海は、沁み沁み美しい、です。

コメント (7)

『白い町ヒロシマ』で、新藤先生が脚本で乙羽さんが出演されていましたが、『ピカ ドン』の瞬間は描けませんでしたものね……。子供の寝顔を見ていると,平和のありがたさを感じます。

八百屋に魚屋、和菓子店、本屋に電器、洋装品。喫茶に中華、お好み焼き。おもちゃに蒲鉾、刀剣。仏具、毛糸に肉に寿司、瀬戸物、うば車まで。何でも揃う専門店街、尾道のアーケードには温かみと人情が通っているワン!と語るのは、とある1匹のワンコでした。

おはようございます。文中、紹介されています「命のレッスン」是非とも読んでみたいと思いました。

コメント画像

新藤兼人さんのエッセイは大好きで、今までも読んできました。元気が頂け、生きるエネルギーが溜まります。「いのちのレッスン」今読みかけです。三浦友和さんが好きで、なごり雪そして22才の別れ見てきました。良かったですね。

昨日、《22才の別れ》を観てきました。
昨年の「星のふる里芦別映画学校」に続き、2回目になります。
映画館の帰りについつい焼き鳥屋さんに立ち寄ってしまいました。
泣くほどではなかったのですが、なかなか美味しかったですよ。

新藤先生の映画撮らせてあげたいですね。
「はだしのゲン」「黒い雨」原爆をテーマにした映画は他にも沢山撮られてますけどその瞬間、爆心地で何が起こったのか?!

各方面に出資金を募って実現できないものなんでしょうか?

映画人に限らず表現者にとって大事な事は、とにかく自分が撮りたいものを撮る、と云う事に尽きるのでしょう。
煩悩を抱えっぱなしの私には、新藤さんの最後の最後まで愚直なまでの誠実さを持ち続けたい、というお言葉が耳に痛いです。

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