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2007年08月30日

映像と言葉。
 ──臼杵・ふるさと風の映画学校にて。

テーマ: かく撮りき

火曜日。「ダイノジ THE MOVIE」の収録でUSENへ。大分出身のお笑い芸人、ダイノジさんと。《HOUSE/ハウス》を始め、僕の作品ほとんどを観て下さってるそう!

水曜日。来日中のフランスの写真家Jerome De Perlinghiが来社、撮影をしてもらう。

写真集を手に、みんなで。

各国の映画人を撮り続けていらっしゃるJerome氏。"目力"を意識して撮影されているそう。仕上がりが楽しみ。

ジャズシンガー大橋美加さんのご息女、大谷瑠奈ちゃん出演のミュージカル『ココ・スマイル5』を鑑賞。弟の耀司君も。

ミュージカル鑑賞後3人で夕食へ。そこへなんと勝野洋君が来店! 現在お芝居で忙しいそう。

 写真を撮るときに大切なものは、言葉であります。
 何故なら、人間は言葉で考え、言葉で自分を表現する。猫が脚で押しても写真は写るけれど、人間が写した写真は、そこが違う。
 小学校四年生の男子が花を撮った。
「花が開いていて、綺麗だったから」。
 花は画面の中央にこちらを向いて大きく、どーんと映っていて、フォーカスはちょっと甘くも見えるが、しっかり開いて、「ほら、ぼくだよ」、と主張している。
 同じ四年生の女子も花を撮ったが、こちらは「可愛いかったから」。なるほどその花もまた画面の中央に大きく映っているのだが、まるで女子児童に肩に手をかけられたように、少し微笑んで「わたしです」、と身を傾けている。
 中学の生徒さんは、町角の家を撮った。ところが肝腎のこの家は明るい真昼なのに影になっていて真っ黒で、家の前の地面だけが日が良く当って広く真っ白に映っている。
「何だか臼杵っぽいと思ったから」、が写し手の彼の弁である。

 大分県の臼杵市で、小・中学生が中心になって、『ふるさと』をテーマに写真を撮った。夏休みの最後の土曜日、臼杵市のホールでの発表会。大勢の児童や生徒さんがそれぞれに自身が古里を撮った写真を手に集ってくれた。スクリーンに映し出された写真は、そっくりそのまま、この古里である。
 大分県臼杵市を中心にして、ぼくは二本の映画と一本のショートフィルムとCMを二作撮影した。この九年の間に、であり、そもそもはミレニアム2000の大分植樹祭の演出をお引受けして以来のご縁である。
 その臼杵市で、市民の皆さんが中心となって『ふるさと風の映画学校』が立ち上げられたのが去年のこと。ぼくは今年からその『校長先生』に就任。その最初の授業が、町の子供たちによる古里を写した写真教室。
「この町は、三十年前から何も変わっていないんですよ」、と六年前、臼杵の後藤國利 市長は胸を張って言われた。「昔のまんまの日差しや風が、わたしたちの暮しを守ってくれているんです」。その言葉から生まれた映画《なごり雪》は、だから三十年昔の機材を探し出し、若い俳優さんたちも三十年昔の映画の中にあった、美しい日本を話した。あの日本の高度経済成長期に、当時の行政が誘致した巨大なセメント工場を、市民全員が力を合わせて撃退した。こうして守り、残し、伝えられた日本の古里である。ぼくたちは臼杵発のこの映画を自ら持って全国を廻り、この影の多い古い日本の小さな町の姿は、多くの人に愛され、その町から生まれる人間の物語は多くの人の心を打ち、それが今年の《22才の別れ》に繋がって行った。そして昔変わらぬこの町の家を映して「臼杵っぽいと思ったから」、とこの里の未来を生きる子は『古里自慢』する。

 9月24日、ぼくは恭子さんと大分に向う。大分空港にはあの植樹祭でぼくを大分に引き合わせてくれ、その後はぼくの映画のプロデューサーを務めてくれている山ちゃんが迎えてくれるのはいつもの嬉しい情景で、植樹祭の時の心地良い緊張感が体内に蘇る。がそこに北海道の『星の降る星・芦別映画祭』の梅ちゃんとタダちゃんのコムビのにこにこ顔も見えるので、一瞬、「ここは何処?」という感覚に陥る。
 芦別の学校はその昔、芦別の当時15才の少年鈴木評司君が、ぼくの古里・尾道に映画《さびしんぼう》のロケ地巡りの旅をし、その時出合って一日中尾道を二人で歩いた尾道の「ボケじいちゃん」が忘れられず、「いつか自分も古里のボケじいちゃんとなって、我が古里を訪ねてくれる旅の若者と古里の道を歩きたい」、と願ったことから生まれた、市民中心の学校。途中でその評司君を若くして失いながら、芦別の人たちの手によって守られて育てられ、今年で15年目を迎える『映画学校』の先輩。ぼくはやはりここでも『校長先生』であり、で、今回も臼杵の兄妹校の出発にお祝いに駆け付けて下さった、というわけ。
 臼杵の映画学校では山ちゃんのお姉さんの奈緒美ちゃんが事務局長。あの『植樹祭』がご縁の県庁の偉い方だが、恭子さんが名付けた「県庁のヤクザのお兄ちゃん」のオノさんやら、芝生係のヤマモトさんやらが、わーっと集ってくれた臼杵のおじいちゃんや姉ちゃんらと皆の力でこの映画学校を支えて下さっているのが嬉しい。尾道から駆け付けてくれた『山陽日日新聞』の伝ちゃんが「この笑顔ですよねえ、大切なものは」、としきりと感嘆。

 9月25日、開校式には《22才の別れ》チームのダイアックス社長ヨリちゃん、主演の鈴木聖奈に寺尾由布樹、俳優事務所社長横ちゃんに恭子さんの事務所PSCのはずき嬢も参加。聖奈は11月の臼杵『竹宵』には般若姫役で里帰りするし、宇佐神官では映画に因んだコンサートを行なう予定。昔からの大の映画ファンであるヨリちゃんとは映画談義に花が咲く。製作会社社長ヨリちゃんこと頼住さんとこういう話に興じられるのが楽しい。別府温泉で親孝行したい、などともね。
 夜は臼杵や旅の人たちとパーティ。この里の皆さんの心づくしの手作り料理が何よりのご馳走。とびきりの笑顔の味が幸福です。
 9月26日は、皆で黒島へ向う。オランダ船リーフデ号日本漂着、西欧文化との邂逅の地でもあり、《なごり雪》の撮影の地でもある。黒島の住民の方の心づくしの魚貝類を囲んで、出席者全員の自己紹介から授業開始。
 実はきのうから驚いていたのだが、この臼杵の映画学校には、大分全県の人は勿論、全国からの参加者が多数。お一人お一人のスピーチの中から、ぼくの映画との出合いや日本の古里との出合いの歴史が切切と語られていく。映画とのこうしたそれぞれの人の大切な出合いがあったからこそ、ぼくらはいまこうしてここに集っている。親、子、兄弟、友人、そしてまた独りで。映画が無くても人は生きていけるが、映画があればこそ、こうした幸福な一日が持てるのです。
 映画を一本拵えれば色いろなことがあって、辛い悲しいことも実は一杯あるであろう恭子さんも、きょうはそういう人の温もりに触れて素直に感謝の涙を。次の映画への勇気を皆から貰うことができました。ぼくはお禮の気持ちをこめて、黒澤明さんや本多猪四郎さんなど、ぼくらの先輩の映画人の話をしました。あの方たちの映画の画面には、しっかり人間の言葉が映されていましたねえ。だから単なるアクションやムードだけではない、人間の映画になっておりました。ぼくもそういう映画の学校から学んで、いまも映画を作り続けています。

 臼杵の映画学校では《22才の別れ》がまたまた二回も上映されました。芦別の映画学校でも去年上映され、臼杵からも沢山の人が芦別を訪ねました。今年の秋は、また臼杵から芦別へ。今年は《転校生》を上映。こうして古里同士も仲間になっていくのです。
《22才の別れ》、東京では二週目。テアトル新宿では大勢のみなさんが、既に多くのリピーターも含め駆け付けて下さり、いま全国的に大きなうねりとなって広がっています。いわゆるトレンディーな芸能界風の映画ではありませんが、ここからは多くの古里びとの言葉が語りかけてくる、生きた暮しの夢の言葉が聞こえてきます。その言葉を受けて自分も色いろものを思ったり、考えたり、願ったりする。それが映画の愉しみである筈ですよね。
 あなたはいま、どんな言葉をお持ちですか? どうか、応援して下さいね。

木曜日。書籍再版に向けての打合せと、・・・・・・

《転校生・本》出版に向けての打合せがありました。

金曜日。明日の"ふるさと風の映画学校"の為大分へ。まずは別府入り。

山ちゃん、DIAX頼住社長、聖奈、そして北海道・芦別の梅田さんと多田さんとでまずはお昼。

食事後ツーリズムおおいたの桑野和泉さんに取材を受ける。彼女は旅館・玉の湯さんの社長さんでもあります。

みんなで、パチリ!

実行委員長の辛島奈緒美さんと実行委員の山本定幸さん、戸次清一郎さんとで、明日からの映画学校の打合せ。

夕食。20歳になった聖奈は恭子さんが見守る中、お酒に挑戦!

宇佐神官音楽祭のスタッフさんも打合せにいらっしゃった。食後にみんなで。

土曜日。一行は臼杵へ移動。東京から寺尾君、横田さん、はずき嬢も参加して、いよいよ“ふるさと風の映画学校”の開校です!

まずは聖奈と寺尾君のご挨拶。

辛島実行委員長より、校長就任の委任状を頂く。

最初の授業は、小・中学生による「瞳の中のふるさと発見塾」。大人顔負けの作品の数々に審査員達も脱帽。

生徒代表の少年へ、聖奈から記念品の贈呈。

最後は皆で写真撮影。その後「ふるさと風の映画学校ヴィデオ上映会」、パネルディスカッションと授業は進む。

一日目は無事終了。これからウェルカムパーティーの会場へ。移動の車から《22才の別れ》の看板をパチリ。

臼杵の方方の温かい御持て成しを受ける。聖奈と寺尾君、はずき嬢、おいしいご馳走をパクリ!

臼杵の後藤市長と久しぶりにゆっくり御喋り。おいしいお料理を頂きながら。・・・・・・

大勢の方方が、この映画学校に参加してくださいました。

《なごり雪》からのお付き合いの後藤市長。行政に携わる一人 として、臼杵に住む一人として、映画を愛してくださる一人として、温かい励ましのお言葉を頂く。

映画学校として先輩、"星の降る里・芦別映画学校"の梅田実行委員長と多田さんのご挨拶。映画が人と人、土地と土地とを結ぶ。

臼杵の医師、大塚先生のお嬢様によるチェロの演奏もありました。「22才の別れ」など3曲。

パーティー後は《なごり雪》で撮影もした"国宝臼杵石仏火まつり"へ。《なごり雪》のときは実際の火の3倍を灯しました。

揺らめく火の光に、皆夢見心地な表情。

喫茶【クランク・イン!】に戻り、鹿児島から6時間もかけて駆けつけてくださった橋口さんによるマッサージのひととき。あまりの腕前に思わずニコリ。

心知れる仲間達と酒を交わす。飲んだ後はスタッフにも人気の【のんきや】さんのおでん。【フレンド】のステーキなど、腹に染み渡る味。尾道の伝ちゃんも。

2階では田中さん親子によるフォーク演奏。なんとも、いつかの歌声喫茶のよう。皆思い思いのひとときを過していた。

【ぷくぷく】の川野恵美さんと、「県庁のヤクザのお兄さん」こと小野恒芳さん。

楽しい集いは、夜が深まるまで続いた。・・・・・・

宿に戻って。寺尾君はお稽古のため明日朝に帰京。ありがとう!

日曜日。清清しいお天気の中、授業二日目は《なごり雪》ロケ地の黒島にて野外授業。今から船に乗り込みます。

黒島に到着。今回の映画学校は大分を始め、北海道、神奈川、岐阜、福岡、広島、鹿児島などなど、・・・・・・

全国からたくさんの方方が参加してくださった。まずは一人ずつ自己紹介。

その後スタッフによって、大分で獲れたホタテやサザエなど食材が準備されていく。

黒島の美しい海と、・・・・・・

美しい空の下でこれからバーベキューが始まります。

新鮮な海の幸がたくさん!

関アジを、贅沢に焼いて頂きました。身がプリプリ。

皆で楽しく、そして、大切に噛締めながら味わいました。

北海道のお二人も、今日は南の地で獲れた新鮮な食材に舌鼓を打っておりました。

北海道から差し入れのとうもろこしや大分産のベーコンも。

後藤市長と奥様もいらっしゃいました。手作りプリンの差し入れに、聖奈ニッコリ。

植樹祭芝生係からのお付き合いの山本さんは、今回一家で参加。

スタッフの中村さんは「(今回の映画学校を通して、)おばあちゃんのことを想った」。と写真を持ってきてくれた。古里への愛は、家族への愛であるのです 。

フォーク演奏をしてくれた田中さん親子も。

《22才の別れ》から大分スタッフとして参加してくれている戸次君。これからもよろしくお願いします!

小野さんも植樹祭からのお付き合い。今日までの9年分の想いが、思わず込上げる。

海をバックに、皆で記念撮影。

楽しかった黒島の看板前で聖奈がポーズ。

皆に見送られて出航。ありがとう。またね。

楽しい3日間となりました。

コメント (6)

今は、どこへ行っても駅前は同じ景色。映画を観ると『古里』の良さを改めて感じます。恭子さんは座椅子に座られていますね。母と同じように、膝がお悪いのでしょうか?ご自愛ください。

「22才のわかれ」二人の新人が、初々しくって印象に残りました。なごり雪もそうでしたが、古里に帰ったような気がして、50代半ばの私は、じっと見入っておりました。ありがとうございました。

素朴でいい感じの「ふるさと風の映画学校」。
いつか参加してみたいです。
「22才の別れーLycoris 葉見ず花見ず物語」見ました。
三部作といわず、あと五、六本は、
かの地で映画が生まれそうな印象を受けました。
楽しみにして待ちます。

臼杵には一度だけ行ったことがあります。なごり雪に出てきた臼杵の石仏を見に行きました。初めて来た町なのになぜか懐かしい感じがして自分の故郷のような気持ちになりました。近代化が進む日本ですが残しておかないといけない物もたくさんありますよね。

「22才の別れ」をみてきました。懐かしいような、でもとても新鮮なような不思議な感覚の映画で、この夏に繰り返しみて熱狂した「転校生さよならあなた」の続編、いや前編?のような素晴らしい映画でした。大林監督の次回作品が待ち遠しいです。

残念ながらテレパシーの使えない我々人類は、「思い」を「言葉」に変換しなければ相手に伝える事ができません。
「絵にも描けない」風景同様に「言葉に出来ない」感情もあるとは思いますが、言葉にする「努力」が大切なのだと思います。

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