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かく語りき アーカイブ

2007年03月15日

大林 宣彦 プロフィール

大林宣彦【映画作家】
1938年、広島県尾道市生まれ。
3歳のときに自宅で出合った活動写真機で、個人映画の製作を始める。
1964年頃からTVCMの制作に携わり、2,000本以上もの作品を生み出す。
1977年に公開された『HOUSE/ハウス』で劇場映画に進出。以後、『ねらわれた学園』(1981年)、『青春デンデケデケデケ』(1992年)、『理由』(2004年)をはじめとする数多くの作品をコンスタントに発表。なかでも、故郷で撮影された『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)は“尾道三部作”と称され、多くの映画ファンたちに愛され続けている。
2007年夏には、『22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語』と『転校生 さよならあなた』の劇場公開が控えている。
第21回日本文芸大賞・特別賞を受賞した『日日世は好日』など、著書も多数発表。2004年春の紫綬褒章受章。

2007年04月05日

美しい言葉と出合う悦び。

 家を出ようと玄関で靴を履いていたら、我が家の恭子さんがスウィッチを切る寸前のテレヴィの音が、耳に飛び込んで来た。
 ──能登の皆さんは本当にお気の毒ですけれど、「頑張って下さい」、と言うのもそぐわないし、心から「負けないで下さいね」、と申し上げたいです。  コメンテイターの方かも知れないが、街頭でのインタビューのような、日常の中の言葉に聞こえた。はきはきした、女性の声だった。
 その声に送られるように扉を開けると、表は桜が満開。一歩一歩と歩を進めながら、ぼくも心の中で、今能登の地で暮らしてらっしゃるお一人お一人に呼び掛けてみた。
 ──負けないで下さいね、負けないで下さいね。……

 懸命に頑張ってらっしゃる人たちに「頑張って下さい」、は気持ちにそぐわない。それを「負けないで下さいね」、と表した人の心を、ぼくは美しいと思った。その語感から、この人の優しさや心のまことが伝わってくる。
 数年前の米国アカデミー賞のテレヴィ放送で表彰されたポーランド生まれのアンジェイ・ワイダ監督が、「今日は私にとってとても大切な一日ですので、普段私が映画を作る時に考える母国語で話させて戴きます」、とスピーチを自国の言葉で行われた。通訳入りでゆっくりと。会場を占める英語圏の人たちやぼくなどにも分からない言葉だったが、その響きは真摯で穏やかで、美しかった。
 グローバルというのは、何でも英語で喋ればよいってものじゃあない。きちんと母国語でこそ話せる事だ、と深く感じたものだ。
 指揮者の小澤征爾さんが、世界から未来の音楽家を目指す若い人を集めて、リハーサルをしていらっしゃる。ある曲の演奏がどうしてもうまく運ばない。すると小澤さん、「この曲の作曲家と同じ国の生まれの人は居ませんか?」。一人の娘さんが手を挙げると、「では何かあなたの母国語で話して下さい」。彼女が誰にも理解出来ない自国の言葉で暫く話して終ると、「皆さん、この国の言葉はタタタタタ、タタタタタ、と頭にアクセントがありますね。ではこの曲もそのように演奏してみましょう」。こうやって小澤さんは、この曲の魂を捉えてみせたのです。
 これから日本の子供が、広く深く国際的に活躍するためには、まず自らの母国語、日本の言葉をこそしっかり学ばなければ、そして美しく自らを鍛えていかなければ、と思い直した事でした。
 テレヴィの中からは、時折こうして、美しい言葉が聞こえて来る。人は言葉で生きる生きものだ。「負けないで下さいね」、と語られた御婦人は、きっと自身の言葉を大切にされる方なんだろう。良い言葉と出合えれば、勇気が湧いて参ります。今日もテレヴィは辛い事象を伝え続けているが、ぼくらも一所懸命、「負けないで」生きて行きましょう。

 ぼくはブログというものは初めてだったので、様子が分からず、これまで一寸長く書き過ぎていたようです。今回は半分の量にしてみました。暫くは色色御意見に耳を傾け、自分でも考えながら書き進めてみます。宜しくね!

山桜、山桜、山桜、……今週も大分の山の中を走っております。

《22才の別れ》で「大分ウォーカーズ」特集。その取材で臼杵へ。

主演の鈴木聖奈さんや取材スタッフと記念撮影。

《なごり雪》のご縁で臼杵に作ったぼくらの店「クランクイン」にて。

先週大分で撮影したCMが完成したので、依頼を受けた方の会社に持参しました。

日差しの中でゆっくり一服。久々の、一分間の至福の休養を愉しんだ「クランクイン」前の椅子。

聖奈さんを連れて、大分サファリランドへ。自らが“餌”の主観でライオンを見る。

海辺のレストランで天然の魚貝の味を愉しむ。沁み沁み有難かった。

帰京。《転校生》ポスター撮り。主演の蓮佛美沙子さん、森田直幸さんらと。

2007年04月12日

顎を、下げましょう。

 ぼくも人並に携帯電話を持っているが、「へーえ! 大林さんも携帯持っているんですかあ!?」、とよく人に驚かれるから、余程旧式の人間だと思われているんだろう。
 ぼくの携帯は、妻君(と人並に言ってみたが、お馴染み恭子さんの事であります)が先年、旅先でマイコプラズマなる菌に冒されて臥せった折(「この菌には普通、若い人が冒されるんですが」、とお医者様が語られたと聞いた我が映画スタッフは、「いやそれはゲイコプラズマ菌ではないか」、「いやいや本当はヤリテババアプラズマ菌なのだ」、と俄かに喧しくなる。恭子さんが早く元気になって、「何よ、もう!」、と叱られるのを願っているからだ)、娘から「パパも少しは連絡取れるようにして置いてね」、と手渡されたもの。家を出たり、車や電車の中では自分独りの世界を愉しむぼくだから、普段は携帯電話の必要が無い。
 恭子さんが無事「何よ、もう」、とにこにこご帰還遊ばしてからは、ぼくの携帯電話は我が娘との「ラブマーク」入りの、用件を口実にしたメール交換(娘は忙しいだろうに、よく付き合ってくれてます!)以外には、日一日古里・尾道で『山陽日日新聞』なる、百余年の歴史を持つタブロイド版の地方紙の熱血記者、幾野 伝 君と短信を交わすだけ。ぼくの息子ほどの若い人だが、社用の原稿用紙に向かってエンピツを握り締め、アナログカメラのシャッターをカシャッ、カシャッと切って駆け廻る“温故知新”の新聞記者である。

 ──我が家の前の野川は、今日はお花見の賑わい。まあ大勢の人が、幸せ一杯の笑顔で集まって、犬や子供は水しぶきをあげて、川の中! こんな一日もあるんだなあ。ぼくは珍しく、久びさの窓辺。北海道『朝日新聞』連載の「北海道へ」という原稿を書いています。慣れないブログもね! (架橋問題でゆれている)鞆の町も、早く笑顔の町に戻ればいいですね。広陵(高校野球の廣島県代表校)、見せて貰いました。若い人は美しいですね。 4/1

 ──昨日は久びさ(四年ぶり)に、“野川ひとりマラソン”を再開! じっくり身体を戻そうと思います。今日は、ちょっと花冷え。季節が移る時って、昔からデリケートなものでしたよね。この頃ぼくら人間の方が、粗雑になっているのかも知れない。ブログはまだ、ペースが掴めませんよ(笑)。 4/2

 ──高校野球、決勝戦を見ています。送りバントをきちんとやっていくチーム対どんどん打たせていくチーム。勝つ事も大事だが、勝ち方も大事。チャンスを潰しても思いっきりバットを振らせよう。野球で勝つことを超えることは、生きる上でもっと何か役に立つはずだ。「高校野球って何だ?」、この監督さんはそう考えながら、指揮を執ってらっしゃるのかなあ。などと見ていると興味深い。(結局どんどんのびのびでそのチームが勝ったが、負けた方の生徒諸君も、「夢のような場所で野球が出来るんだから、今日はずっと笑っていよう」、と最後まで良い笑顔。「送りバントをしたいと思った時はありましたか?」、と聞かれた件の監督さんは、小さくにっこり「はい」)。ぼくはこれから歯医者さん。映画二本仕上げて、身体のメンテナンス。春、です(ははあ、ブログもこんな調子で書けば良いのかね?)。 4/3

 相手が新聞記者さんだから、ぼくはメールで「個人記事」を書く。年下の友と意見交換出来るのは、世界がよく見えて有難いものです。  これでもメールによる言葉の交流をテーマにしたフェスティバルに何度も参加させて貰ったし、最近はメールを媒体にした映像作品のフェスティバルもある。ぼくもついこの間、メール用に《転校生ムービーエッセイ》なる五分の作品を作ったばかり。新しいメディアは新しい文化を生んでもいくのだ。

 携帯といえば、一度写真家の荒木経惟さんに、「荒木さんは携帯のカメラで写真など撮られますか?」、とお聞きした事がある。と、我らがアラーキーさんは「あれも、カメラですからねえ」。そしてそれから、一寸嫌なお顔をされて、「でも、携帯で写真撮る時、皆、顎を上げてますねえ!」。  なるほど、流石は一流と言われる表現者は見事な言葉を持ってらっしゃる、とぼくは感銘を受けた事でありました。  人にカメラを向けて、これから写真を撮らせて戴こうと考える人間が、その相手に向かって顎を上げるとは、何とも不躾で、極めて不禮千万。そんな事じゃ、良い写真が撮れる訳がない。  それからぼくは、いま手にしているデジタルカメラで(新式だぞう!)写真を撮る時も、厳かに顎を下げてシャッターを切るよう、心掛けているのであります。

家の前の、野川の桜が咲いた。咲いた、咲いた。恋人や家族や犬たちが集まって来た。

恭子さんが窓辺に置いてくれたにんじん。小さな命を身近に、原稿を書く。

投票に行く。政治は人だから、人を選ぶ。壁の落書きに暫く見惚れる。

成城駅前。五十年前、学生時代に通った道も随分変った。変らぬ桜にカメラを向ける。

野川は今、花吹雪。その中に遅咲きの八重が、一所懸命の苔となって。

NHK「ゆうどきネットワーク」に出演。ゆうどきの立ち話のような、穏やかなひと時がいいなぁ!

事務所にて、《22才の別れ》《転校生》の宣伝原稿のチェック。デスクの永嶋はずき嬢。

連佛美沙子さんと恭子さん。《転校生》ムービーエッセイのために自作のメイキングから画面を引き出している恭子さんの日日。

いつになく(四年ぶりに)ゆっくりした日日の一週間でした。ムサシノの緑が綺麗だア!

2007年05月31日

雨の日に。

憲法九条も含めた平和講演会で大阪へ。ステージで歌を披露された野田淳子さんと。娘さんご夫婦はぼくの映画のファンだとかで記念撮影!

 きのうは一日だけ雨が降って、今朝はもう太陽がきらきら光っている。  きのうは一日、雨が不思議だった。思わず表に出て、雨の雫を掌に受け止めてみたりした。あ、水だ。冷たいぞ。掌が濡れたぞ!
 これって、不思議ですよね。ぼくが今こどもだったら、そう思ったはずです。
 だって、この頃、雨が降らない。雨が降らないのが、普通になっている。日本全国あちこちで、ダムの底が干涸びだしているそうです。今二つか三つの子だったら、雨は珍しい。見た記憶はあまりない。そこにいきなり空から水の雫が落ちて来たら、そりゃ不思議ですよね。きのうのぼくも、そんな気持でした。
 すると色んなことを考えます。

 ──ゴッホは、雨の絵を描いたっけ?……
 黄色い糸杉や麦畑。鴉に自画像、跳ね上る懸橋。でも、雨の記憶はありません。
 さっそく尾道の伝ちゃんにメールを打つ。新聞記者さんなら、何か情報を持っているだろう。

 ──尾道の美術館の学芸員に聞くと、日本の浮世絵を題材にした作品があると言います。調べてもらってます。
 ほほう。ゴッホは日本の雨を描いたか!

事務所のフィルム編集室の隣には、ちゃんとデジタル機器もありますよ。編集の天才・三本木久城君と。

 けど、画家が画布に雨を描くって、大変な作業ではないか? どう大変かはぼくは画家ではないから分からないけど。だって、キャンパス、濡れやしない? 雨に色があるのかなあ? 雨が降ると線になるのかしら? 雨を描いているゴッホさんは濡れないのかしら? 絵も、雨と同じくらい不思議です! ぼくがこどもならそう思う。大人は何でも当たり前で、だんだん不思議なことが少なくなるなあ。それは、つまんない。

演出家中村明君も来社。恭子さんはずき嬢も顔を揃えて、編集一休みのティータイム。

 あ、映画では、雨は黒いぞ。黒澤明監督は《羅生門》という映画の撮影をする時、雨が透明で画面に映らないので、雨に墨汁を混ぜて黒い雨を降らせたんだそうだ! 黒澤さんもスタッフも真黒になって、やっぱりびしょ濡れに濡れちゃったんじゃないか? 聞いた話だから分からないけど。白い鳩も鴉になったかな!?
 ──画面の中に風を吹かせて埃を巻き上げ、大雨など降らすとね、映画に力が出るんだ、とは実際に黒澤さんが話されるのを聞いた。
 うん! 黒澤さんの映画にはそういう場面が多いな。黒澤さんはゴッホも映画に登場させたけど、雨は降らなかったな。風も吹いていなかった。静謐で、色彩に溢れていて、明る過ぎて一寸怖かった。浮世絵の雨? なるほど浮世絵に雨は多いな。日本の四季ですね。穏やかだ。ゴッホはどんな気持で、日本の雨と向き合っていたのだろう?

事務所では昼間は取材が色いろ。ぼくはグラビアの被写体を務める。映画公開を控えると何かと被写体となる仕事が多い。

メイクの千江子さんが立ち寄って、お昼。人の出入りも賑やか。

 ゴッホの生涯を舞台で描かないか、という話がある。ああ“ゴーギャンのともだち”か! とぼくは思う。“オレキエッテ”はさてどうだ! 戯れに、その舞台の題名を思っているのである。そんな“戯れ”から物語を手繰り寄せていくのは、ぼくの癖であるらしい。“オレキエッテ”と正確に発音したかどうか、これは“ゴッホの耳たぶ”の意だと聞いた。今はその名も流布しているのかも知れないが、ぼくがそれを聞いたのはローマ市中に1400年代からある石造りの建物の中にある古いレストランで出されたパスタの名だった。これがとびきり、うまかった! フェリーニのお気に入りの店でヴィスコンティの助監督さんが案内してくれた。イタリア貴族ばかりが集る店で一見の客は入れないのだとか。ぼくはその時ソフィア・ローレンのCMを撮っていた。“ラッタッタ”という、あれです。で、“ゴッホの耳たぶ”の話ですが、説明は要らないよね! ゴッホ自身が削ぎ落とした耳たぶをパスタに茹でて食するというんだから、流石イタリア、流石貴族、流石ゴッホ、流石芸術! さすが、を流石と書くのは、サスガ日本!

 ──歌川広重の名所江戸百景を手本に「雨の大橋(1887)」など数点あるようです、と伝ちゃんからの返信。
 画家が絵を手本に絵を描くとはどういうことだろう? その時ゴッホの心は雨に濡れていたんだろうか? ゴッホの人生にとって、雨って何だったんだろう?

 ぼくは、雨の日でも撮影します。天候でスケジュールは変えない、が原則。人生いつだって雨は降る。映画の中だって! 運動会なんて雨の中の方がドラマチックな画面になるよ。濡れるというだけで、新しいストーリーが生まれます。キャメラもライトもメイクも音響もみんな濡れて大変だけど、お客様は映画館の中で濡れてないもんなあ。お客様のために我慢する、これも原則!

千茱萸さんが編集中の《転校生ーさよならあなた》のパンフレットの表紙デザインが色いろ。

主演の蓮佛美沙子くんのモデル写真つき!読みもの満載の楽しいパンフが出来そう。

この間、筧利夫くんの舞台を見に行った。若々しくダンスを踊ってみせる。口跡が美しい。鍛え抜かれてキレの良い座長芝居。でも野球の選手ならそろそろ引退の年齢だぞ。楽屋を訪ねると疲れた様子は一切無く「《22才の別れ》の九州上映の旅、お疲れ様でした」、と明るくこちらを労ってくれる。その顔がゴッホのように見えた。《22才の別れ》ではハンフリー・ボガードだったけど。楽屋を出る所でこの舞台に筧くんの“恋人”役で出ている黒木メイサくんを見掛ける。十八歳! 素晴らしい“舞台女優”さんの登場! ぼくは身も心も奪われましたよ。恭子さんとにこにこと渋谷で食事をしている所へ娘の千茱萸さんが。事務所のはずき嬢も合流してライブハウスへ。《転校生》に主題歌を提供して下さった寺尾沙穂さんのピアノの弾き語り。その主題歌『さよならの歌』の名唱! 心はしっとり!
 帰りがけに三軒茶屋の馴染みのお店で皆で食事していると勝野洋くんが。色色な人と会えて語らって、今日も生きていることが愉しい。

 テレヴィの画面の中で松坂投手のレッドソックス軍が試合開始を待っている。おや、アメリカは今、雨です! 観客席は誰も帰らず、びしょ濡れの少年が『MATSUZAKA』と描かれたボードを持ってじっと待っている。この少年は未来を信じているんだろうね。ぼくが少年だった頃は、日本はアメリカと戦争をしておりました。
 ああ、ゴッホが画布を抱えて、雨の中を歩いている。“雨の日のゴッホ”ってのはどうだ! 平穏な一日の中のゴッホ……。

 熊井啓さんが亡くなった。合掌。

取材の人たちと成城の町を歩く。後輩の成城大学の諸君と笑顔を交しながら。

町角でパチリ!写されるのもいいが、ぼくはやっぱり写す側の方がいいな。

偶には身内で細やかに食事。とんかつににごり酒でお疲れさま!

恭子さん、パチリ!

千茱萸さん、パチリ!

ぼく、パチリ!

スタジオで恭子さんと福ちゃん、プロデューサー同士。

携帯で配信する「ムービーエッセイ《転校生》シリーズ3本目の編集。

窓の外は、今日は雨でした。

2007年06月07日

走れ、走れ!

広島・建築家の皆さんのお集まりで講演。21世紀型の家とは、などという話をする。

 わが家の窓辺の机に向って原稿を書く、ってのは、家に居る限りぼくが楽しみにしている日課であるのですが(今もそうしてます!)、この所その状況と気分が煮詰まるだけ煮詰まっております。『《転校生》本』(仮題)という本を出すことになり、その本のための原稿を少しの間も盗んで書き続けているからです。つまり、日課の原稿は、原稿用紙に十枚からせいぜい二、三十枚の、雑誌や新聞の依頼原稿ですから、例えばちょっと言葉の森へ散歩に出かけようかというようなもの。所が『《転校生》本』のように丸丸一冊の本ともなると、散歩どころかもうフルマラソンを走り続けているようなものです。
 普通はホテルか和風の宿の一室に籠って十日ぐらいで書き上げる。ぼくは書くのは速い方のようで、映画の脚本だと三日もあれば充分。机に坐るとわーっとペンを走らせて書き上げて了います。考えて書くということはまるでなく、書きながら考える、ペンが勝手に走っていくってタイプなんですね、きっと。

尾道で25年前の《転校生》と今回の《転校生》を同時上映。町の未来を考えるという討論会などの企画で、いつもの尾道メムバーが広島まで。

 これは映画の撮影の現場でもそうで、ともかく年中動き廻っている。誰かとお喋りし、では撮影、となるともうテストからキャメラを廻し出す。技術陣は必要なテストはさっと済ませて置きますが、役者のテストはやりたくない。「人生にテストもリテイクもない、一回限りの本番で」が好きなのです。ぼくは劇映画を作る人間ですが、「虚構で仕組んでドキュメンタリィで撮る」、ですかねえ。講演でも演題は知らないまま出向く(先方の方に決めておいて戴きます)、テレヴィやラジオもぶっつけ本番。準備や打合せは、これまで生きて経験して来たことに懸ける。そうやって自分を試しながら生き続けてみる、のが好きなんでしょう。
 ほらほら、もうペンが勝手に走っている。『《転校生》本』の話ですよね。今度6月23日から全国公開される《転校生 さよならあなた》という映画、25年昔のぼく自身の《転校生》の再映画化なので、そんなことの中に存在する色いろな歴史を一冊の本に纏めてみないか、というお話があって。……

《22才の別れ》の全国公開用ポスターを持って宣伝部の小林さんが事務所へ。《転校生》パンフレットの仕上りが近い千茱萸 さんも。

 「映画は辻褄の合った夢」、とぼくは言いますが、一本の映画が出来るには色いろな人やモノとの出会いがランダムに様ざまにあり、その「偶然」の集積がつまりは一本の映画となって結実する。出来上がってみれば、総ては「必然」となっている。で、普段は映画は「必然」の側から語られる。筋道が通って分かり易いしね。ぼくの日課の方の原稿だとそうなります。
 けれども一方で「偶然」の方から語り出すと、これはこれで面白い。どうなるやら誰にも分からない「夢」が夫ぞれに様ざまにとっちらかっていて、まるでオモチャ箱をひっくり返したように乱雑極まりない。その夢の破片を叮嚀にひとつずつ拾い上げて一つの物語を紡いで映画に結んでいく。──それが今度の本の目指す所! こちらはだから大長編になって了うわけです。
 所で今はホテルに籠るなんて余裕は全くナシ。公開を控えてのキャンペーンの旅に取材、取材、取材! それに講演の仕事に学校の授業。どれもが愉しくて面白くて本を作る愉しさだけに身を委ねてはいられない。というよりぼくは一つのことだけに閉じ籠ってちゃ駄目な人間なんでしょうね。全部が夫ぞれに面白くなきゃ、刺激が無くなってペンが止まって了う。沈思黙考って柄じゃない、とっちらかして生きているみたい。駆けて駆けて駆けて、走り続けて生きて来たなあ。やれ、やれ!

週刊誌「親子のかたち」対談で千茱萸 さんと二人取材を受ける。昔からの親子の映画史を語って愉しい一刻。

事務所のキッチンで寸暇を割いて皿洗いしているはずき嬢を千茱萸 さんがパチリ。

何故か事務所に傘が届いて、恭子さんと千茱萸 さんをパチリ。

三人揃えばミュージカル!でパチリ。

 そんな中での『《転校生》本』です。どんな本になるのやら書いてる自分にも分かりませんが、とっちらかすだけとっちらかしてみよう、って魂胆。それが皆さんにとって面白きゃバンザイですが、ま、全編戯事と言うならまさしくタワゴト。自分じゃこれを「映画談義」と呼んでおりますがね。ただ書いていて沁み沁み思ったのは、ぼくが若い頃は映画談義は愉しかった。皆でわいわい徹夜して喋った。映画は「共通語」だったんですね。どの映画もみんなが知っている。知らないまだ日本では見られない映画も共通。見られない見たい夢として同じ思いで語られる。もちろん考え方は夫ぞれに違うけれど、その違いがまた互いに面白く、寄り添い合えていく。そんな時代でありました。
 でも今では、映画を語ればジェネレーションギャップが生まれる。皆見ている映画が違って情熱が異なり、対話が生まれ難い。考えや好みの違う人とは語りたがらない。自分だけの世界に閉じ籠って独りで好みの映画をみていればよい。今はそういう談義にならぬ時代なんですね。
 で、だからぼくは敢えて「談義」をやってみる。そんな勇気をぼくに与えてくれたのは、ぼくが今通っている大学の学生諸君です。彼らも最初は「談義」嫌いのように見えたが、なになに喋り出せば乗って来る、乗って来る。熱い、熱い!
 だってスポーツ界、見てごらんなさい。彼らは世界にまで飛び出した! 本来の若い人の姿はあれが自然なんだとぼくは思う。映画好きな人たちもね。引き籠り閉じ籠りは、そういう社会を大人たちが作っちゃったから。つまり元凶はぼくらなんですね。だからぼくもまた立ち止まってはならない。走れ、走れ。
 ぼくが家の前の野川の辺りを走っていると、軽やかにぼくの横を追い抜いていく子供たちが、しばらくぼくの横で一緒に足踏みして行く。すなわち、ぼくは全力で走っているつもりなんですが、彼らにとってはそれは足踏み! うーん、未来へ向って走るのは若い人に任せ、ぼくはせいぜい邪魔しないように、道を譲って道の端を走ろう。でも老人が頑張っている姿だって、それなりの魅力はある筈です。
 ぼくが子供だった頃、そんなおじいちゃんがいたなあ。あのおじいちゃんとあるとき一緒に走りながら話をした。愉しかったなあ。ぼくもこんなおじいちゃんになるまで一所懸命走ろう! と思った。あの頃のおじいちゃんはチャーミングだった。今の老人のぼくは果たしてどうか? 考えるとゾッといたしますな。

 あ、『《転校生》本』の話でした。この本も、ゾッとする本にしないように、ともかく走り続けてみよう。
 今日は子供の頃の夏の日のような一日です。走れ、走れ!

我が家の地下の書庫で取材。四十代の頃のぼくの人形とエテ公がお出迎え。25年前の《転校生》を撮った頃のぼくですね!

昔のレコードはあの頃の映画音楽にモダンジャズ。その前にフレッド・アステアとジョン・ウェインが立っているぞ!

そのままアップにしたら、石田ひかりくん《ふたり》でのデビュー時のぼくとのツーショットも!

福永武彦と手塚治虫さんが揃ってる。十代から二十代の頃一心に集めました。人生の書庫でもありますな。

山中恒さんや赤川次郎さん芦原すなおさん、高橋克彦さんの後ろは映画関係の本がずらり。戦前からの貴重なものも!

取材の記者さんは成城大学の後輩でした。今日は江戸川乱歩に絡ませて手塚治虫や福永武彦、ヒッチコックの話。母形作家に対して妹形作家は空想に遊ぶと。

大きな荷物を持って取材のお二人はお帰りに。お疲れ様!

恭子さんがお見送り。

制作部若ちゃんと奥様が長男を連れて事務所へ。

何と可愛い!

ぼくもおじいちゃまに!

彼とゆっくり話をする。大きな手と小さな手も使って。

若山光樹くんは未来を見つめている。平和な未来にしなくちゃね。

何を思ったか、はずき嬢が、足もぱちり!

窓辺の机からちょっとお別れ。明日からは長野への旅です。

2007年06月21日

松井がホームランを打つときに。

長野善光寺《転校生》上映会の写真を整理して森ちゃんが来社。

雨の中、最後まで鑑賞して下さったみなさんの姿に感動!

びしょ濡れの地面に坐りこんだ方もいらした。.

ジャズシンガー大橋美加、瑠奈、耀司の御一家が遊びに。瑠奈ちゃんのミュージカル『ココ・スマイル』も間近か。

瑠奈ちゃんのお友達のお父さんが作った季節の和菓子。綺麗で美味しそう。

突然また大分へ。山ちゃんの同級生さんのお店で昼食。

お店の前でお母様も一緒にパチリ!

 松井選手がバッターボックスに立っている。夢のようだ。ヤンキース軍の一員としてであります。
 ヤンキースといえば、かつての野球少年であったぼくなどには、夢の夢のまた夢の大舞台だ。《くたばれヤンキース》という映画や舞台劇があったように、強くて強くて強くて負けを知らない世界一のチーム。そのチームの中で、いま日本の松井秀喜がプレーしているのであります。

 しかしぼくが子供であった頃には、日本はアメリカと戦争していたのだ。このヤンキース軍は敵国アメリカのチームだったのだ。日本でも野球をしていたが、「ヨシッ」、「ハズレ」。これは「ストライク」、「ボール」のこと。敵の言語であるから英語は使わなかったのですね。
 近頃では日本がアメリカと戦争をしていたなんてことも知らない子供たちも多いという。それを嘆く大人もいるが、歴史の勉強は別として、「戦争を知らない子供たち」が増えるのはいい事だ。人間の歴史から戦争の文字が消えちまえば一番良い。
 世界中の人間が、ある日突然手にしていた銃を一斉に捨て始める。銃が無くなった、平和だ、平和が来たぞ、と皆で銃を持たぬ大手を振って喜び合う、──これはぼくらの大先輩 黒澤明監督が夢見た映画の一場面。実現はしなかったけれども。
 それは《こんな夢を見た》、──という映画の脚本の中の一場面。当時だって合成をすればこういう映像を生み出すことは可能だった。しかし黒澤さんは、これを現実に世界中をロケして、実写の画面で実現したかった。御自身は既に高齢で世界ロケは難しかっただろうが、それでも世界各国の映画人に頼んで撮影して貰う。映画が世界を結び、共に平和を願う。セカイのクロサワと呼ばれた大先輩に相応しい映画作りの夢であったと思う。
 しかし《夢》という題名となって完成したこの映画の中に、その場面は無かった。平和だ、平和だ、の喜びに満ち溢れた場面は、一映画作家の夢に止まり、実現はしなかった。

 松井選手がヒットを打って出塁し、ヤンキースの仲間たちが大きな声援拍手を送る。テレヴィの画面が臨時ニュースに替わると、今日も世界は戦争のニュース。多くの人命が失われ、人びとの悲しみは終らない。
 止むに止まれぬ事情があって戦争は起きるのであろうが、止むに止まれぬ思いが平和を生むことは無いのであろうか。戦争を起こすのも人間なら、平和を創造し得るのも人間ではないのだろうか? 黒澤明監督が願う世界の平和は、一映画作家の「夢」に終って了うのでありましょうか。
 《夢》という映画の中に、青年画家の「私」に扮した寺尾聰さんが、ゴッホに出会う場面があった。それもゴッホが自ら描いた絵の中で。
 その合成場面の撮影は、主に黒澤さんの僚友本多猪四郎監督がハイビジョンカメラの前に陣取って担当されていた。あの《ゴジラ》の本多監督であります。黒澤さんは時どき本多さんの後ろに立って、「イノさん、面白いねえ」、と友の苦労を労っていらしたが、肝心の寺尾さんがゴッホの絵の中に入って行く場面だけは、御殿場に巨大なゴッホの絵のセットをこしらえ、巨大な額縁を立てて、寺尾さんが実際にその額縁を踏み越えて絵の中に入って行くという画面を撮影しようとなさっていらした。  けれどもこの試みは上手くはいかず、黒澤さんは潔くこの画面を諦められた。この映画の合成シーンを担当していたジョージ・ルーカスのスタッフが、こういう場面こそ合成でやれば容易に作れますよと勧めたが、黒澤さんはにっこりと微笑まれて、「合成は、汗を掻かんからねえ!」。  巨匠の映画は、いつも汗を掻いていたなあ、一所懸命の汗を。その汗と努力が観客を感動させ、映画の夢へと導いて行ったのだった。それが映画の美しさと力であった。合成では映像は作れるけど、映画にはなるのか、ならぬのか? そこの所が現代の映画人であるぼくらに、深く問われる所であろう。

 ぼくが去年作った二本の映画は、一方の《22才の別れ》は全体の8割がCG合成。もう一方の《転校生》は全編合成無しが狙いで作られた。この二本揃えて、ぼくの2006年の「映画作り」の試みである。
《22才の別れ》の方では、普通に撮っても撮れる映画で、敢えて合成作業を試みた。「合成すれば容易に手に入れることが出来る」というカットが欲しいのではなく、「合成することで汗を掻く」カットが狙いだったのですね。時間のひどく掛る大作となったが「合成画面」という現代の時代性を画面上に醸造したかった。殆どの人がこれを「合成画面だと思わず映画を見てくれる」という風に映画は仕上ったので良かったと思う。これは本来「CG合成」などを必要としない映画であったのですね。
《転校生》の方は色いろ合成した方がロケも楽だし映画も面白くなるという企画だったので、敢えて全編実写で通した。スタッフも俳優たちも、だから死ぬほどぶっ倒れるほど汗を流した。出来上った映画を見た人が「どういう合成をしたんですか?」と問うのに、「いや、ただ実際にやって写しただけ」。それがむしろ異様なほどの映画的興奮を呼び覚ますことに繋がった。
 ぼくは現場にいる時、いつも容易な方法と容易ではない方法があるとすれば、ためらわず容易ではない方法を選ぶ。それがお客様をもてなす唯一の方法であるから。  世の中のことはみんなそうじゃないのかなあ。容易に事を片付けようとすれば戦争になるし、平和を願うなら容易ではない事を色いろと、汗と努力で以って解決してゆかねばならないでしょうからね。
 映画を作るって、つまりはそういうことを色いろ考えることなんですよね。難しい問題は一杯あるけれど、それを喜怒哀楽の中から考える。そこに映画の面白さと役割りとがあるんだろうと。ぼくが映画を作る以上に、映画がぼくを作ってくれているんだと、沁み沁み有難いことだと思われるんですね。

 あ、松井のホームラン! スリーランで、ヤンキース軍の勝ち! 野球の勝ち負けは愉しいね。汗が飛び散っている! 陰の努力が滲んでいる! だからぼくらも嬉しくって手を叩く。映画も世界も。そうでありたいですよね!

大分信用金庫主催の一年に一度の「信金の日」で講演。

映画で集う人たちや映画女優さんの人と暮しの話などする。

恭子さんの古里 秋田在住カメラマン大野源二郎さんの写真集から作った短編映画《まほろば》も上映された。

大分信用金庫の山上さんと記念撮影。

その夜は8年前の「全国植樹祭」の仲間たちと共に。

もう十年越しの友人たちであります。

大分の朝。すっかり見慣れた情景。恭子さんはこの町に住みたいと言い続けている。

ホテルで飛び入り取材。大分の劇場は《22才の別れ》から《転校生》へとバトンタッチ。

山ちゃんのお知り合いのフレンチレストランで昼食。

由布院の宿でおはぐろとんぼの群れと出合う。

赤い茱萸の実の飾られた食卓。

久びさの湯の宿で。

恭子さんはお料理をパチリ!

ぼくは緑の中で原稿書き。『転校生・本』です。

ヴェランダで恭子さんが読んでいるのは重松清さんの『その日のまえに』。どういう映画になるのかなあ。

恭子さんはお花をパチリ!

パチリ!で、午後は東京へ。

旅のラストは朝食をパチリ!

2007年07月19日

死んだ人ともまた逢える。
 ──お盆には、映画参りもまた良いな。

早朝、J-WAVEのスタジオへ向う。《転校生》公開三週目なのに、まだラジオキャンペーンが続いている。町なかの小学校を遥か見降す。

J-WAVE谷崎裕美ディレクターと角川宣伝部の三浦君と。なんとなく《転校生》を語りたいんだね、みんな。

収録が始まるぞ。ラジオは普段着で楽しいね!

《転校生》、《22才の別れ》の資料を前に別所哲也さんと谷崎ディレクター。谷崎ディレクターには千茱萸さんも御世話になっていると。

J-WAVEのスタジオ風景。

終って別所さんと。彼が始めた“ショートショートフィルムフェスティバル”は若い人の未来を切り開きましたね。

 「匂いの出る映画」というものが研究されたことがある。ぼくがまだ子供だった頃の、夢のような話だが、ひょっとして今でも誰かがどこかで研究を続けているのかも知れぬ。つまりは映画から匂いを出すという技術は、未だに完成されてはおらぬのであります。
 匂いを出すことには成功したが、という話を若い頃耳にした記憶はあるけれど、一度出した匂いをさっと消し去ることが出来ないから、次に出した匂いと交り合って何ともひどいことになったという失敗談だった。そりゃそうだろうなあ、とつい笑っちまったが予定外の悪臭の中を鼻をつまんで目を白黒させながら駆け廻っている博士たちの姿を想像して、気の毒なようなおかしいような思いを致しましたね。いや人間とは、一所懸命でかわいいものでアリマス。
 人間は好奇心が旺盛な生きものだから色んなことを考える。自家用車の中にトイレがあればと真剣に考えられた時代があるが、あれはバブル最盛期で車が渋滞で動かず、トイレの我慢に耐え切れなくて困り果てた、我が働く同胞たちの切実な願いでもありましたね。確か小型の携帯トイレなるものが研究開発されたのじゃなかったかしら? 便利が良いのは有難いことでありますが、こんな塩梅で世が進めば「シャワー付き自家用車」なんてものも出て来るかも知れない。通勤途中や仕事帰りのデートの前に、目的地に着くまでに一風呂ならぬシャワーを浴びられれば、これはこれで便利で快適でもあるでしょうが、だけどねえ! まさかこんな阿呆らしい研究をされてる方はありますまいが、これに似た何が有難いのやらって感じの製品もまた、世の中には沢山ありますわな。尤も隣を走っている車のドライバーさんが可愛い娘さんであるなら、シャワー付き車なんてものとも出遭ってみたいものではありますわな!
 ああ、面白い発明品に出合ったことがありますぞ。ライターの横に金属性の爪楊枝が付いている。そして宣う。「これでマッチに勝った!」。おかしいよね、こういうの。

 写真も、それが連続して映る活動写真、即ち映画も、また発明品であります。だからそれまでの絵画や彫刻や音楽や詩文など、他の芸術とはちょっと違います。人間の想像力だけではなく、機器の開発や技術の進化もまた表現に結びついて来る。つまりは文明が生んだ芸術なんですよね。なので匂いまで欲しくなるのは当然の欲求である訳ですが、宮澤賢治という人はもうとっくの昔に「映画には匂いがある」、と語っております。
 それは昔の映画ファンが懐かしそうによく語る、トレイの匂いであったり、フィルムが熱しられて発する焦げ臭い匂いであったり、時にはボウッと炎も吹き出しましたよね。何しろ場内は大勢の人でごった返しておりましたから、その人の匂いであったり。もちろん賢治さんは詩人でもあるわけですから、その精神が映画の中から読み取った匂いでもあったのです。昔映画が未だモノクロオムであった頃、我が家のおばあちゃんはそれを全部カラーで見ておりましたぞ。あの夕焼けは綺麗だったとか、あの草原の緑が風に揺れてたとか。きっと実際にそこにある色彩よりもっと綺麗にね。想像力とは人間が持つ美しい能力。我が家のおばあちゃんはお餅が焼かれるシーンではお鼻をひくひく動かしておりましたから、きっとおいしそうな匂いまでも感じながら映画を鑑賞して居りましたのでしょう。まあ、それは素敵で幸福な映画だったことだろうね!
 賢治は「映画では、死んだ人でも何度も蘇る」、とも申しております。何度も繰り返して見ればね、一度死んだ人もまた生き返って元気に動き出す。昔は映画は何度でも繰り返して見たものです。ラストシーンで「お母さん!」、と涙で見送ったお母さんが、もう一度最初から見れば、若返って元気に働いてくれている。嬉しいものです。そしてだんだん、やがて自分より先に死んでいく母の人生を理解していくことが出来る。何度目かのときには、母の死の悲しみは「お母さん、ありがとう」、にも変化していく。映画と共に人は育ってもいくのです。ありがたいものですね。
 ぼくらはよく、映画を途中から見ました。終ったところでさっと席を取るという理由もあったのだけれども、途中から見る映画というものが何とも不思議で面白かった。突然、スクリーンの中に誰かがいる。何かをしている、生きている。この人はだーれ? 何してるの? 幸せ? それとも今は不幸なんですか? ──あのね、この人生の中で、ぼくらはいつも誰かの人生の、途中から出会って知り合ってゆくのです。この人はどんな人? と一所懸命想像し、理解し合いながらね。それが人の絆を生む力ともなった。そういう力を学ぶことが出来るのも映画だった。映画を頭からラストまできちっと一回見てそれで終わりでは、何だか映画もその中で生きて暮らして死んでいく人の人生も他人ごと。それはさびしいよね。
 賢治はまた、「映画の中では、いつも雨が降っていた」、と語っています。古いフィルムに付いた傷が、スクリーンの上で淡い悲しい雨模様になる。大事に大事に何度も何度も人の手で上映され、人びとに見続けられて来た映画の雨は、だから切なくも愛おしい。人が生きていくって、一所懸命は嬉しいなと勇気だって元気だって貰えるぞ!
 ぼくはそういうことを大切にしながら映画を作ります。この頃では映画もまた「シャワー付き自家用車」のように開発されて来た。「爪楊枝付きライター」は面白いけど、これを実際に愛用する人がどれだけいるんだろう? 文明は人間社会を便利にするべく開発されますが、その文明が生み出した芸術・文化である映画は、どうやら不便な方が面白い。ここに文明と文化とのそれぞれの役割りがあるんでしょうね。

 《転校生》の全国上映のスケジュールが終わります。見て下さった方は何度も何度も。もう繰り返し映画館に通って下さる方も多く、熱いお手紙も戴きます。でも見ない、知らない人もまた多いという、ぼくには不思議な上映です。映画館の前に看板が無い。並んでいる人も無い。インターネットで調べて時間通りに映画館に行く。元もとがぼくの映画は有名タレントやアイドルさんなど出ない、匂いが無いのに匂いを感じたり、死んだ人が何度も生き返ったり、懐かしい雨がいつも降っているような映画ですから、トレンディーで人がわっと群がるようなものではありません。映画館にお一人お一人、わざわざ旅して来て下さったお客様を、ゆっくり温かくおもてなしいたしましょう。ぼくには、映画とはそのような温もりのあるものであって欲しいのです。
 《転校生》の上映がまだまだ続く所もあれば、すぐ続いて《22才の別れ》の上映も始まります。映画館の暗闇の中でまた嬉しく元気に、お会い出来れば良いですね! ぼくは新しいデジタルカメラを手に、夏の旅に出ます。
 皆さんに、暑中お見舞い申し上げます。

本ブログの運営スタッフたちが事務所にオリンパスのカメラを持って来て下さる。嬉しいですね。

これがその新兵器!μ730とE-410!

パチリ!

パノラマ写真も!

行定勲監督が来社。ぴあの取材で女優論を。

取材の轟夕起夫さんと三人で。

台風が近付いている。

ワインを飲みながら。

不思議色の空をパチリ!

USENで昭和ちゃんねるの収録。高橋ディレクターに、湯浅さん!

昭和の音楽を中心に、《転校生》《22才の別れ》の話をして四時間。今日も楽しかったです!

2007年09月13日

とうとう、今日になりました。

『キネマ旬報』で石上三登志さんと西部劇対談。

前野裕一副編集長、岡崎優子さん、増當竜也さんに恭子さんが加わって。

『婦人画報』の取材で野川の辺りへ。取材スタッフの皆さんと。

恭子さんと千茱萸さんとの2ショット。

通りすがりの少年達を。

取材のみなさんとお疲れ様!

名古屋のマイルストーンの伊藤さんと前田さん。愛知博を一緒にやったお二人だが、「名古屋で映画を作りたいんです」と。

韓国ドラマ《海神》の広告取材。文藝春秋のスタッフさんと、《海神》関連のスタッフさん。

NHK石川アナウンサーがラジオ収録にいらした。「今、残したい日本映画監督の言葉」の特集番組。

『ハミングパーク』の取材。テーマは「子供と親」。

《22才の別れ》《転校生》のポスターの前で。「I LOVE YOU」!

 ──花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ。……たしか、こんな風に言い残して、先に逝って了った人がいる。別ればかりを反芻しながら、それ故に一所懸命生きてきた人の、悲しくも美しい言葉である。ぼくも中・高校生時代の文学少年だった頃、こんな言葉に憧れ、年中自分でも唱えていたっけな。
 同じこの人の言葉に、「待つ身が辛いか、待たせるのが辛いか」、というのがあります。これには、うーむ、と唸りましたね。拠所ない事態が生じて、親友を置き去りにしたような形で待たせて了う。死ぬ程永い時間を、である。数日経って漸く生還したのだったか、或いは放っぽり置かれたまんまだったかの親友に、「こんなに人を待たせて、酷いじゃあないか」、と詰られて返した言葉である。普段のぼくらの暮しの中では、待たせた方が悪い。悪いから謝らねばならぬ。しかし人生、心ならずも待たせて了う事態もまま生じる。それでもやはり謝らねばならぬ。ならば待ってるだけの方が、むしろ辛くはないんじゃなかろうか。辛さや痛みは、おあいこじゃあないか。それからぼくは、待たされている時も、「ごめんね。ごめんね」、と待たしている人に謝りつつ待つことにした。それは何だか心嬉しく、待たされる辛さも失われていった。文学に憧れる、とは、そういうことでもありましたね。

 お別れの時が、参りました。半年の間、オリンパスさんからご縁を戴いて、皆さんとブログという形でお話して来ました。写真もいっぱいお届け致しました。ブログもデジタルカメラ、ぼくには生まれて初めての経験でしたから、ぼく自身も大いに戸惑い、皆さんにも色いろご迷惑をお掛けしたことだろうと思い、身が竦みます。
 でも、楽しかったなあ。この半年、デジタルカメラを片手に、あちらこちら旅ばっかりの日日の中を、パチパチ写真を撮って暮らしておりました。ぼくの親しい人や景色が、いっぱいいっぱい、その写真の中で笑っています。待たせて了った人もいっぱいいらっしゃるでしょう。待たせたぼくが、やっぱり悪いのです。ごめんなさい、ごめんなさいね。これから妻や娘や事務所のはずき嬢と一緒に、写真の山を前にして、きちんと整理して、皆さんにお送り致します。またお待たせしますけど。写真はやっぱり焼き増しして、封書に入れてお届けしなきゃあ、伝わりません。情が届きません。パチリ、の後が、写真になるのだという気が致します。心が届くのです。

 最後の週は、嵐も来ました。嵐が去ると、夏が戻って来ました。ぼくは「ジョン・ウェインの映画を作るんだ」、と決めて、十八歳で父親の小さな8ミリキャメラ一台を貰って、古里の尾道から上京して来た人間です。そのジョン・ウェインが今年、生誕百年になるので、『ムービー』という雑誌でインタビューを受けたり、『キネマ旬報』で仲間の石上三登志さんと長編連載対談をやったり、先日は鎌倉で《捜索者》を上映して、トークショウを行って参りました。その一週間前にはこの同じ場所で、ぼくの昔の《転校生》が上映されたのでしたね。あの時も今回も、会場には昔ながらの熱い映画ファンの方がたがいっぱいで、皆さんにこにこ笑ってらっしゃいました。《転校生》はジョン・ウェインの《赤い河》がヒントとなった映画作りでしたし、今上映中の《22才の別れ》のラストは《捜索者》のナタリー・ウッドがジョン・ウェインに抱き上げられた時のポーズですよ、なんて内緒噺も致しました。映画のラストのローリングの後のワンカットですから、「ちゃんとお客様は見て下さるかしら」、とこの場面を演じた鈴木聖奈くんは心配していましたが、シナリオにも無くぼくの願いだけで撮影して了ったこの場面が好きだという聖奈くんは、ぼくの映画の心を愛してくれる素敵な“恋人”です。大きな女優に、ゆっくり育って下さいね。10月にはぼくの『転校生・本』が漸く出版されるでしょう。これもまた、ジョン・ウェイン本でもあります。楽しみにして下さいね。

 金沢へ行って来ました。新しい素敵な美術館で、アイドルについての考察とテーマで相田冬二さんとの対談です。ぼくの《ねらわれた学園》と《時をかける少女》も上映されました。薬師丸ひろ子くん、原田知世くん、斉藤由貴くんの特集上映なのです。つまりはこの人たちはいわゆるアイドルではなく、女優として生み出されたのだという検証がなされました。
 相田冬二さんは我が家の千茱萸さんと同年齢で、ぼくの息子のような若い方が、映画史女優史に誠実に立ち向かわれている姿が頼もしく、嬉しかったのです。豊かな何ものかが伝わっていくのは大切なことですよね。その伝承の輪の中の、ぼくも一人なんですから。
 偶然、本当に嬉しい偶然ですが、この美術館の直ぐ近くの映画館で、新しい《転校生》が上映されておりました。館主さんやそのスタッフが是非に、と《転校生》を金沢に呼んで下さったのです。会場の、やはりにこにこ笑顔の年配の映画ファンの方たちを前に、飛び入りの舞台挨拶を致しました。この映画館のスタッフの皆さんは、二年前に昔の《転校生》をこの金沢で上映して下さったのだとお聞きしました。《転校生》も《22才の別れ》も、こうしてこれから若い人たちに、ゆっくり伝わっていくのでしょう。お父さんやお母さんが好きだった映画が、若い人たちに受け継がれていく。これが映画の喜びなんですね。そうそう、去年アニメーションで《時をかける少女》を作った細田守監督は、この金沢大学の学生時代、何と「大林宣彦ピアノコンサート」なるものを企画して、それがご縁で映画の世界に入って了ったのだということでしたね。

 あ、こうしてぼくの映画を纏めて見ていると、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「さようなら」。この三つの言葉が芯になっていることに気が付きます。ぼくは一所懸命、映画に託して人の生きる道筋を物語る努力をして参りましたが、ではそろそろ皆さんとも、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「さようなら」、のときが来たのですね。このブログを皆さんにお届けするために一所懸命だった(ぼくが知らないうちに尾道にまで行って下さっていた!)、スタッフの皆さんにも、そしてぼくの人生にたくさんの出逢いを作って下さったオリンパスさんにも、心からの感謝を。
 はずき嬢によると、いまぼくの事務所では六本の映画の企画が進行中だそうです。そのうち何本の夢が実現するのでしょう。お若い人がぼくと組みたがって下さるのが、この頃、本当に嬉しいです。恭子さんも、千茱萸さんも、もう色いろ動き出しています。さあ、新しい映画が始まるぞ。お別れするのはさびしいけれど、ぼくはこれからも一所懸命、映画を拵えて生きてゆきます。皆さまも、お元気で! またお会いできることを願いつつ。愛を込めて。……

台風通過後の野川。普段は水鳥が戯れているほど穏やかなこの川も、さすがに増水していました。

ジョン・ウェイン生誕100周年のイベントで再び鎌倉へ。斎藤誠さんと。

『わが心のジョン・ウェイン』をテーマに講演中の様子。

当日は僕の講演会の他、ジョン・フォード監督作品の《駅馬車》と《捜索者》も上映していました。

講演終了後、来てくださったお客様にサインを。

最後は“鎌倉と映画とともに歩む会”スタッフのみなさんとパチリ!

久しぶりに熱い太陽がお目見えした、台風一過の土曜日。恭子さんの大学時代からのお友達、佳子さんと富子さんが来宅。

日曜日、金沢へ向う飛行機から。秋を感じさせる見事な雲。その雲に覆われたものは・・・。

なんと富士山でした! 山頂だけが、ぽっかり顔を出しています。

雲の中を泳いでいるみたい。

金沢シネモンドさんで《転校生》の舞台挨拶。お客様は、行列を作って待っていてくださいました。

支配人の上野克さん。静岡から越してきたそう。今は金沢の魅力にはまってしまっているとか。お若いながらも見識のある立派な支配人さんでした。

舞台挨拶の様子を袖からはずき嬢がパチリ。

ここは金沢唯一のミニシアターだそう。シネコンではかからない、よい作品が今後も目白押しです。スタッフの皆さん、これからもがんばってくださいね!

次の会場までの間に、町を流れる素敵な用水路がありました。

「80年代、アイドル映画の極意」と題されたイベントへ参加。金沢21世紀美術館の館長、落合博晃さんと今日の対談のお相手ライターの相田冬二さん。

「もうすぐオーケストラも始まるんです!」と、美術館スタッフさんのお誘いを受け中庭へ。

日曜日の午後のひと時を、みなさん、オーケストラの音色でゆったりと過されていました。うーん、気持いいなぁ!

落合さんの始まりのご挨拶。いよいよ、こちらのイベントもスタートです。

会場にはお客様がギッシリ。やはり、40代50代の“アイドル”ブーム世代の方々が圧倒的。

相田さんとはアイドル映画の、より深めたお話をいろいろとできました。2時間の対談だったにも関わらず、終わった後の控室で更に1時間も話が弾みました!

会場前には、今回上映される映画のパンフレットやビデオが展示されていました。

僕の《ねらわれた学園》《時をかける少女》も。

市内にある、ひがし茶屋街を散策。懐かしい香りのする美容室を発見。

江戸時代から茶屋街として栄えてきたこの町。石畳の道の両脇には格子戸が連なっている。

こちらもどこか懐かしい香り。散策中、赤い看板を付けた小さな駄菓子屋さんが顔を見せた。

緑を綺麗に飾っていたお家も。

情緒あるランプも、こういうお家にはぴったり。

おいしそうな定食屋さん。今日は時間が無く食べれなかったけれども、次回こそは必ず!

ひがし茶屋街周辺のお家の門にはとうもろこしがよくお供えされていた。今はなかなか無い光景だそう。

そうそう! 21世紀美術館の窓は、全体が朝顔の蔓で覆われていた。アートプロジェクトの一種なのだそうだが、目的は断熱。すだれの効果があるようだ。

帰りに乗った加賀友禅で内装されたタクシー。日本に一台しかないという、貴重なタクシーに乗車! 記念にパチリ!

火曜日、先日インタビューでいらしたNHK石川アナウンサーが再度来社。ブログでは最後のお客様となりました。

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