写真コミュニティフォトパスTOP > ナビゲーターズ写真ブログ > 内田 正洋の写真ブログ みどりの海へ 〜The way of Ocean Green〜

『みどりの海へ』 The way of Ocean Green


vol.3 シーカヤックと日本人の出会い

2009年02月13日 11:00 テーマ [ アウトドア ]

アウトドアと海洋文化がつながったって話を前回書いたけど、それが日本の文化につながることに気付いたのは、シーカヤックのおかげだった。シーカヤックは、極北の民族が数千年に渡って培ってきたカヤック文化を現代に甦らせたものだ。そこには、極北ネイティブ文化の英知が詰まっている。

日本人は日本列島の先住民だと僕は思っているが、それが意識できたのは日本人にはシーカヤックが似合うじゃんと気付いたことだ。それが今回のテーマだが、その前にシーカヤックが生まれた背景を書こう。

シーカヤックは、アメリカのアウトドア文化から始まったものだ。
70年代あたりからアラスカのネイティブ文化である本来のカヤックが見直され、80年代になると強化プラスチック製のシーカヤックが数多く作られ始めた。シーカヤックという呼び方は、カナダのジョン・ダウドという人によって作られた造語だが、その頃のカヤックといえば、ヨーロッパで始まった川や静水での競技に使われるカヌー競技用のボートのことを大方は意味していた。

【ジョン・ダウド氏】
彼がジョン・ダウドさんである。シーカヤックという言葉を生み、世界初のシーカヤック専門店を作り、世界初のシーカヤック専門誌を立上げ、「シーカヤッキング」という教科書を書いた人。カヤックでもっとも長い旅をしたとギネスブックにも紹介された。時々日本にもやって来る。僕は彼の哲学に心底影響されたのだった。写真は伊豆半島にて。

もちろん本来のカヤックは、アラスカやグリーンランドのネイティブ文化が生んだものだけど、19世紀にカヤックを知ったイギリス人のジョン・ロブロイ・マグレガーという人がヨーロッパに紹介したという経緯があった。彼は、皮革舟ではなく、板張りにしたカヤックを作った。それがロブロイカヌーと呼ばれるようになり、カヌーとカヤックという言葉がごちゃまぜになってしまった。彼らはアメリカのネイティブの舟を、十把一絡げにしてカヌーと呼んでいた。

マグレガーは、そのロブロイカヌーでヨーロッパの運河を1000マイルに渡って旅しそれを本にした。するとそれがベストセラーになり、一気にヨーロッパでカヌー(ホントはカヤック)が認知され拡がっていった。

20世紀になり、ヨーロッパのカヌーは川や運河の旅だけじゃなく、川や静水でのカヌー競技として発展した。また、川旅用のボートとして、ファルトボートという折りたたみ式のボートがドイツで生まれた。ファルトボートは、本来のカヤックに近い構造で、皮革ではなくキャンバス地と木のフレームで作られた。まだ自動車が普及する前だったので、列車で運搬できるよう工夫されたものだ。

【バイダルカ】
これはアリューシャン列島のカヤックを復元したものだ。アリューシャンのカヤックは、ロシア語でバイダルカと呼ばれている。このバイダルカの外皮は、皮革ではなくキャンバスだが、オリジナルに極めて近い。日本人のカヤック職人である山口県の洲澤育範君の手によるもの。彼はエルコヨーテという屋号で伝統カヤックを作り続けている。日本の伝統カヤック作りは、すでに世界レベル。

とはいえ、ファルトボートで本格的に海を旅しようという連中はなかなか現われなかった。60年代の終わりから70年代になると、まずはイギリスで海の旅が始まった。彼らは強化プラスチック(FRP)でカヤックを作った。当初はシーカヌーと呼んでおり、イギリスでのシーカヌーは旅というより冒険航海に使うためのボートというニュアンスだった。まぁアルピニズムを生んだイギリスらしいとらえ方だった。

70年代はまだアウトドア黎明期だったが、自然と調和するための旅の手段としてバックパッキングが生まれ、その流れとして80年代になるとシーカヤックが生まれてくる。競技カヌーの一種であるカヤックと区別できるように、あえてシーカヤックという呼び方が始まったわけだ。

【日本人カヤッカー】
毎年、冬の瀬戸内海をシーカヤックで横断する「瀬戸内カヤック横断隊」のメンバー。みんな日本人。セピアにするとより雰囲気だな。一応僕(前列左)が隊長を務める。08年で6回目。7日間限定で300キロの海を旅する。これは07年、ゴールの祝島に到着した瞬間。海に鍛えられた日本人は、かつてのカヤック民族と同じ雰囲気の顔になっていく。似合うというのは相応しいということなのだ。

そして87年、僕はアメリカでシーカヤックと出会った。それはまさに海のバックパッキングだった。海のアウトドアだった。当然ながらアメリカでシーカヤックを始めた連中の多くは白人だった。ところが、シーカヤックには僕ら日本人の方が似合うのだ。それは、カヤック民族である極北民族に僕らが近いがためだ。つまり見た目が本物に近かったのである。そこに僕は気付いた。

(つづく)

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