写真コミュニティフォトパスTOP > ナビゲーターズ写真ブログ > 内田 正洋の写真ブログ みどりの海へ 〜The way of Ocean Green〜

『みどりの海へ』 The way of Ocean Green


vol.4 日本列島人とカヤック

2009年02月20日 11:00 テーマ [ アウトドア ]

シーカヤックが日本人に似合うと気付いた僕は、日本人もカヤック民族かもしれないと思うようになっていた。それで日本の海洋文化について学び始めた。ところが、太古の日本列島の舟に関する資料はほとんどないのである。でも、日本を記録した最初の文献である古事記や日本書紀には、なぜか舟に関する記述が多いことも知った。それ以前は文字がなかったので仕方がないのだが、考古学の世界でも舟に関する研究はほとんどない。つまり研究が抜けている。

カヌーというのは丸木舟のことだ。学術的には刳舟という。カヌーは本来は「カノー」という発音だ。あのコロンブスがヨーロッパに伝えた言葉で、それが後にヨーロッパ語になった。つまりカヌーは、アメリカのネイティブの言葉だった。特にコロンブスが出会ったカリブ海の人たちが丸木舟を指してそう呼んでいた。

ところが、日本語にも舟のことをカノーと呼んでいた形跡がある。それが古事記や日本書紀に書かれてある「軽野」とか「枯野」だ。漢字で当て字されているけど、読みは「カノ」である。伊豆半島で作られた舟のことだと書いてある。記紀はコロンブスより800年も前の文献。
もちろん当時の日本の舟は丸木舟か、丸木舟をベースにした構造の舟だった。しかも「軽野」の大きさは、十丈もあった。30メートルほどの大型カヌーである。

【帆漕サバニ“たうてぃ”】
日本には今も丸木舟の系譜が残っている。これは沖縄の伝統漁船であるフーカキ(帆掛け)サバニだけど、構造は丸木舟からの進化形。昨年末、僕らはこのカヌーを沖縄の座間味島から神奈川の葉山に持ってきた。“たうてぃ”という船名で、宮古島の隣、池間島の方言で「乾杯」という意味。40年ぶりに甦ったフーカキサバニだ。実に操船が難しく、いまだ訓練中。

日本では世界最古のカヌー建造用工具である石斧が出土している。鹿児島の栫ノ原遺跡ってところからだ。カヌーによる航海の形跡は、縄文前期にあたる6000年ほど前からはハッキリと確認できる。世界でも、もっとも古い時代からカヌーで海を移動していた人々が住んでいたのが日本列島である。最古のカヌー民族、それが日本列島人だと僕は思っている。まだ日本という国ができる前の話である。最古のカヌー民族は、太平洋に乗りだし、ついにはハワイを始めとするポリネシアの島々へと到達した。そんな考古学的なシナリオも近年生まれている。

07年にハワイから日本まで航海したカヌー「ホクレア号」。航海計器を一切使わず自然の動きだけを読み取る伝統航海術を駆使した航海だった。人類の太平洋拡散の謎を解き明かしたカヌーである。「ホクレア号」が日本にやって来たのは、6000年ぶりの帰郷だったのかもしれない。そんな思いが僕にはある。

僕は「ホクレア号」日本航海のサポートクルーを務めた。日本の沿岸は非常に難しい海だからだ。シーカヤックの経験がそこに活かせたが、日本人がカヌー民族であったことは間違いない。そう確信した日々だった。

【横浜港のホクレア号】
横浜港に到着したホクレア号。この大きさが大体30メートル。「軽野」もこのぐらいだったのか。人類がいかにして太平洋中に拡散していったかを解明したカヌー。30年以上に渡り、ポリネシアの海域を航海してきた。双胴のカヌーで、航海カヌーと呼ばれるが、ポリネシア語には「カヌー」という言葉はない。カヌーは「ワカ」などと呼ぶ。

ではカヤックはどうなのか。カヌーは割と南方の舟であるが、北海道までは充分にカヌー文化圏に入る。歴史的にもそれは解明されている。だから日本列島はカヌーの島々でカヤック文化圏には入らない、そう思っていた。

ところが最近ロシア側の資料が出てくるようになり、ひょっとしたら、と思うようになった。それは知床半島から連なる千島列島。いまだ国境問題でロシアともめている北方四島だが、その先にもカムチャツカ半島まで連なる列島がある。かつては千島列島のすべてが日本領土だった。

千島列島に暮らしていた人々は千島アイヌと呼ばれていたが、ロシア側ではクリル人だった。彼らは海洋狩猟民族で、アリューシャン列島のアリュート人に近い感じの人々だった。彼らも実は皮革舟を使っていた。
皮革舟にはカヤックの他にウミアックと呼ばれる大型の舟があるのだが、クリル人が使っていた舟がカヤックかウミアックかは分からない。でも確かに皮革舟なのだ。

クリル人の運命は近世のロシアと日本という国家によってズタズタにされたのだが、千島アイヌと呼ばれるように北海道との関連も深い。アイヌの祖先ともいわれるエゾと呼ばれた人々には唐子エゾ、日の本エゾ、渡党と呼ばれる人々がいたらしいが、彼らの一部がクリル人になっていった可能性だってある。つまりは、日本列島人が皮革舟を作り始めたということも考えられるじゃん。

【海用ファルトボートと千島】
今やファルトボートの中にもシーカヤックと呼べるものがある。これはアルフェックのエルズミア480というモデルで、日本製だ。沖合に見える島影は国後島である。千島列島の南端部にある島。いまだロシアに実効支配されている。つまりこの写真は、知床半島先端近くの浜で撮ったのですよ。

(つづく)

コメント(1)

カヌーの語源が日本列島とも繋がっていたこと、そして日本列島に住んでいた民族が最初の海洋航海民族だった可能性があることなど、驚きの連続でした。日本の周りにも未だ解明されていない歴史がたくさん残っているのですね。

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