写真コミュニティフォトパスTOP > ナビゲーターズ写真ブログ > 内田 正洋の写真ブログ みどりの海へ 〜The way of Ocean Green〜

『みどりの海へ』 The way of Ocean Green


vol.7 海洋緑化協会を立上げた

2009年03月13日 11:00 テーマ [ アウトドア ]

このブログのタイトルである「みどりの海へ」というのは、海洋緑化というコンセプトが背景にある。
今、地球は温暖化へと進んでおり、その原因は人類の活動にあると言われる。特に分かりやすいのが二酸化炭素排出量の問題だが、その二酸化炭素を吸収したり固定化するのは、陸上よりも海や海の植物だってことを言いたいがために、こんなタイトルにした。

地球温暖化抑制のために、植林運動が盛んになり始めているけど、日本の国土のほとんどは、いまだに森林だ。その陸の森林にも問題はあるようだけど、それより何より、海の森林が消えていることに危機感を抱いている人は少ない。いわゆる海中林というやつだ。海中林は、藻場ともいう。

僕はシーカヤックを漕ぎ続けているが、20年前に比べると藻場の量は確実に減っていると感じている。つまりは、海が砂漠化しているってことだ。一般的には磯焼けと呼ばれる現象だが、砂漠化と書いた方が危機感がある。

それでも、最近は海がきれいになったとも感じている。ところが、その海に生き物の匂いがしない。藻場が消え、生き物が住めない海になりつつあるのだ。こいつは相当にヤバイぞ、と思っている。

漁師さんが山に植林をしているという話を聞いたことがあるだろうか。宮城県の北端近く、気仙沼市の近くに住む畠山重篤さんが、その漁師さん。唐桑半島の小さな入江でカキの養殖業をやっておられる。森の養分が海を豊かにしていると気付いた畠山さんは、もう20年前から落葉広葉樹の植林活動をしていらっしゃる。「森は海の恋人」というキャッチフレーズで活動されているからご存知の人も多いはず。教科書にまで登場している。

【宮城県唐桑半島】
畠山さんの住む入江。森が海を育んでいる証のようなところ。カキやホタテの養殖をされている。海からの視点で森を考えた結果、気仙沼湾の上流の山に広葉樹を植林し始めた。科学はそれを後から追いかけている。漁師の経験則は、やっぱり正しい。

今や漁師さんの植林運動は全国規模になり、海に面したすべての県で漁師さんが山に木を植えるようになったという。何だか林業と漁業が融合し始めている感覚だ。

この広葉樹の植林運動は、海の森も育てるために行われているが、日本の山は、戦後ほとんどが針葉樹の森に植え替えられた。そのため海にとって大切な養分が、森から来なくなった。針葉樹では、養分になる腐葉土ができにくいからだ。

さらに、その養分が海まで行き着くには川が重要だけど、そこには護岸が施され通り道を遮断した。海沿いにあった森も、その途中に海岸道路が建設され、海とのつながりが遮断された。その結果、日本の森と日本の海は、関係を断ち切られている。

森の養分の中でも、特に鉄分が海の森を育てるのに重要だと気付いた学者さんたちがいる。その研究がかなり進んできた。畠山さんは、当初からその鉄分を理解して植林運動を続けてきた。それで昨年「鉄が地球温暖化を防ぐ」(文芸春秋刊)という本を書いた。

この本を読んで僕は衝撃を受け、突然彼に会いに行った。それで自分の人生を海洋緑化に捧げようと決心した。孔子曰くの、天命を知ったのは、五十路になって2年目だった。これこそが、シーカヤックを漕ぎ続けて来た理由だと、ようやく僕は分かった。

【山口県宇部市】
左は、畠山さんの本に登場する山口県宇部市の杉本幹生さん。杉本さんは仲間の漁師たちと一緒に、鉄と炭を混ぜたダンゴを作り海に設置した。鉄と炭が反応し、鉄分が海へ溶出する。すると数年で海が回復した。

天命に気付き決心した僕は、すぐに(社)海洋緑化協会というのを仲間たちと立上げた。英語名はOCEAN GREEN ASSOCIATIONである。だからこのブログの英語タイトルもオーシャングリーンなのである。

前回書いた、海に種を撒かなきゃならん、というのは、そういうことである。海の森林を甦らせるのだ。植物プランクトンも含め、海藻や海草の森を増やすのである。陸上に植林をするより、藻場を元通りにする方が、よっぽど二酸化炭素の吸収量が多いという。それには鉄分を海に供給する方法を模索しなければならないが、その模索も始まっている。

計算によると、日本の面積の1割程度の藻場があれば、日本が排出している二酸化炭素は、すべて吸収するらしい。さらにいうと、今のまま海を放っておくと、魚までもが40年後には消滅するというショッキングな話も聞いた。海の森は魚を育む森でもある。こりゃ、いよいよヤバイよ。

【山口県長門市】
長門市仙崎にある水産高校主催の講演会に畠山さんがやって来た。真ん中が畠山さん。そこに杉本さんもやってきた。水産高校の生徒たちは杉本さんのやり方で、藻場再生の研究を行なっている。僕の家はその水産高校の裏にあった。仙崎は僕が育った町。僕が遊んだ仙崎湾の藻場も、今や風前の灯。

(つづく)

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