写真表現はどう変化するのか



写真家・矢部國俊をナビゲーターに、一線で活躍するクリエイターをゲストに迎え、今後の写真表現に迫るコーナー。最終回のゲストは、フォトレタッチャーとしては日本有数の技術を誇る栗山和弥さん。常に最先端の表現を生み出してきた栗山さんと「色と表現と写真」をテーマに話を展開します。
取材・文 立古 和智
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画を描くのは人間の脳であって道具ではない

第6回 対談者
栗山 和弥
[Kazuya Kuriyama]
栗山 和弥
[Kazuya Kuriyama]
1969年生まれ。デザイナーとして活動した後、ハイエンド静止画処理ツール、グラフィックペイントボックスに魅了されて画像処理のノウハウを修得。1994年にPowerMac 8100が発売されたのを機に独立。1998年クリーチャー設立。広告業界のトップクリエイターから最も信頼されるクリエイティブなフォトレタッチャー。
【フォトショップとは】
アドビシステムが開発したデジタル画像編集ソフト。画像の作成・加工・特殊効果などの編集を行うことができる。プロ仕様の製品として広く利用されています。
【アルファチャンネルとは】
アルファチャンネルとは透明度を表現する領域(チャンネル)のことを指します。
コンピューターにおける画像データは、R(赤)・G(緑)・B(青)の三原色のデータ領域
の他に(CMYKモードの場合は4色)、アルファチャンネルを加え、これらの情報の組み
合わせで一つの点を表現します。
【ラチチュードとは】
フィルムが再現できる露光の範囲で寛容度とも言います。多少の露出オーバーもしくはアンダーでも、補正して再現が可能な範囲を指します。
- 矢部:
- 栗山さんは、長年広告の分野でご活躍ですが、元々はどういったところからキャリアをスタートされたのでしょうか。
- 栗山:
- 元々は映画関係のポスターで今のような仕事をやっていたのです。当時は画像専用処理機「ペイントボックス」という専用ハードを使っていました。
- 矢部:
- 高価な機械でしたよね。
- 栗山:
- 2億円くらい(笑)。ただ根本的な機能は現在のフォトショップと変わらない。アルファチャンネルがあって、コピー&ペースト機能があってと。当時、これを使ってやっていたことというと、意図せず写真に写ってしまった電線を消すといったことだったのです。あまりクリエイティブな作業ではなくて。
- 矢部:
- それは意外ですね。
- 栗山:
- そこで、これをクリエイティブな用途に使おうと思って、東宝や東映に売り込んだのがはじまりです。当時の映画のポスターは全部オプティカルでレタッチしていたのですが、そこにこういったツールを活用できると思ったんです。
- 矢部:
- Macで始められたのはいつ頃ですか?
- 栗山:
- 映画の仕事を4〜5年続けた頃にPower Mac 8100が発売されたんです。それを機に独立しました。当時はフォトショップも進化しつつあったし、それなら一般の人でもレタッチできてしまうので、「5年後にはこんな職業はなくなっているかも」と危機感を抱きましたよ(笑)。

- 矢部:
- けれども、実際には誰にでもできるものではなかった。
- 栗山:
- できなくはないのですが、突き詰めると最終的には人間の脳が作っているものですから。鉛筆があれば誰だって上手い絵が描けるわけではないのと同じです。
- 矢部:
- それはカメラも一緒ですよね。ヒューマニズムを抜きにしてクリエイティブな活動はあり得ませんよ。
- 栗山:
- ですよね。
- 矢部:
- 栗山さんが今のお仕事を始められた頃は、アナログで写真を受け渡しされていたと思うのですが、現在はデジタルが多くなっているのでしょうか。
- 栗山:
- うちの会社(クリーチャー)に関していうと、デジタルで入稿されるものは3〜4割程度ですね。他の同業者たちよりは割合は少ないと思います。
- 矢部:
- 意外ですね。
- 栗山:
- うちはネガが一番多くて5割くらい。残りがポジですね。
- 矢部:
- そこには何か理由があるのですか?
- 栗山:
- 僕がネガ好きなんです。ネガってラチチュードのレンジが広いから画像の調整がしやすいんです。デジカメの画像もレンジは広いのですが、たとえば大幅に画を暗くすると「明るかった画を暗くしたな」って画になるんです。
- 矢部:
- そうですよね。
- 栗山:
- ところがネガの場合はそうはならない。暗く調整した際でも、そう狙って撮影したかのような画になるんです。

- 矢部:
- 追従性がいいですよね。
- 栗山:
- 海外の力が入っている広告写真やファッションフォトでは、まだ半分以上でネガが使われていると思うんです。色の見た目でなんとなくわかるんですよね。もちろんデジタルのほうが適しているケースもあるのですが、個人的にはネガのほうが階調性が豊かで暖かい感じがして好きですね。
- 矢部:
- ネガは自社でスキャンしているのですか?
- 栗山:
- そうですね。プリントで写真を提供された場合は、ネガもお借りして、それをスキャニングしてからプリントの色に近づけていくんです。するとプリントでは失われていた色情報まで再現される。つまりフォトグラファーが意図していた画が再現できるんです。すると彼らも2回目以降は自らネガを提供してくれるんです。
- 矢部:
- それは見事ですね。なかなかそういった要求に応えてくれる方はいないので、フォトグラファーにとっては嬉しいですね
人間のアナログ的な感覚の範囲内で、新しい表現を模索する
- 矢部:
- 今回のテーマは「色と表現と写真」なのですが、栗山さんの元に入稿されてくる写真は、時代によって変化していると感じますか? たとえば品質、要求、色など。
- 栗山:
- どうでしょうね。僕自身が依頼される仕事のサイズが大きくなったせいかもしれませんが、入稿されてくる写真自体の質はレベルアップしているように感じます。例えばライティングをしっかり考えて撮影された写真とか。
- 矢部:
- ここ10年でデジタルワークの割合が増えたことによって、色のあり方や要求に変化は感じませんか?
- 栗山:
- 以前はネガで撮影したら現像所がプリントで色を作っていたわけですが、そこには一定のレンジがあった。ところが僕らの仕事が生まれてきたことによって、その幅は広がりましたよね。それはいいことでもあるけれど、なんでもできるから従来のレンジを大幅に越えて処理する人も増えましたよね。
- 矢部:
- 多いですよね。それがあまりにもチープなことも多いのですが、そういった画自体はあまり見たことがないから、刺激的に思えてしまう。
- 栗山:
- そうなんです。そういった画は、僕らのような仕事に携わっている人にはチープに見えてしまう。やはり人間のアナログ的な感覚の範囲内で、見たことがないものを探さないと。そういった模索を続けることによって、見たことがないけど格好良い表現が生まれるのだと思います。
それに少し前までは、はやりの色があったんです。誰が見ても「ああ、格好いいね」といえるような色。それは誰でもまねできるようになってしまった。だから、今は色を煮詰める際は、画毎に最適の色を探すようにしています。だからといって一見して奇をてらっていると感じさせてはダメですし、全く奇をてらっていないものもダメ。そこの間でのせめぎ合いですね。

- 矢部:
- これは難しい質問かもしれませんが、未体験の味を探す場合もあれば、一方で普遍的に良いとされる味も存在しますよね。
- 栗山:
- ありますね。
- 矢部:
- 絵画の世界を例にするなら、幹として残っていくナントカ派。しかしデジタルの世界は流行の移りゆきが速い。それでも受け手が人間である以上は、本質的に求められる表現って必ず存在する気がするんです。
- 栗山:
- 僕はファッションと同じようにループするような印象があったのですが、今は移りゆきが速すぎてしまって渾然一体、玉石混合のような状態。いろんな表現が出尽くした感もありますね。
- 矢部:
- その混沌とした中でも、海外で作られた画をサンプルに「こんなトーンにしたい」と依頼されることは多かったですよね。そういったレベルからは、一歩抜けた感もありますよね?
- 栗山:
- 抜けた感もありますが引きずっている部分もあります。僕自身も海外で作られたものによく練られている画が多いとは感じますし、参考にしたくなる気持ちも理解できますよ。
デジタル表現の一般化にともない、表現はより個の内面に向かっていく
- 矢部:
- これからの10年間はアート表現はどう変化していくと思いますか?
- 栗山:
- 制作環境はどんどん進歩して、より便利になっていくと思います。ただし最終的には画を生み出すのは人間なわけですし、普遍的なものしか残らないような気もします。まあ「10年後」といっても、そんなに「10年後」っぽいものが登場するとは思えませんよね。
- 矢部:
- やはりベーシックな部分しか残っていかないのでしょうね。そう考えると、長い写真の歴史の中でここ10年ぐらいが、デジタルが一般化したりして例外だったのかもしれません。
- 栗山:
- そうですね。ただ便利さに関しては今後はもっと便利になると思います。遠隔操作ソフト「Timbuktu」などがもっと進化すれば、国境を越えて仕事ができるようになるのかもしれない。

- 矢部:
- 昔に比べると、現在の日本の映像は世界に通用するレベルですよね。
- 栗山:
- まったく問題ないと思います。レベルに関しては世界中で拮抗しているように感じます。ただ、その中で誰が一番よく練れているかの違いがあるくらい。
- 矢部:
- 僕はヨーロッパの広告などを見ていると、バックボーンが若干違うのかなと感じます。しっかりとした土台があってその上に表現があるような印象。
- 栗山:
- 強力なアートディレクターと表現に対して理解のあるクライアントが日本よりも多いのかもしれませんね。
- 矢部:
- これからも模索は続くわけでしょうけど、スタンダードな模索が続くのでしょうか。
- 栗山:
- そうですね。昔はあまりバレなかったのですが、今は少しでも合成感があるとバレる(笑)。みんな目が肥えてきていますからね。それに今やあまりにも色んな表現が出揃ってしまいましたからね。
- 矢部:
- その過程で、写真そのものの強さが薄れたような気もしませんか。
- 栗山:
- カメラで撮る旧来からの写真は写真の一部であって、今ではデジタル表現であっても写真。写真が指すものが全体を包括する言葉になってきたように感じますね。
- 矢部:
- そう。その過程で写真そのもののパワーが昔よりも縮まった。
- 栗山:
- そうですね。デジタルによって表現のバリエーションが広がったせいで、どんな写真でも普通に見えてしまう。どんな表現を試みてもあまり目立たなくなってきていますよ。そこを打破するための努力を続けていきたい。普遍的な範囲でどう普遍的でなくするか。幹ではなく枝葉の部分で。

- 矢部:
- うん。枝葉なのにすごく良くて、でもちゃんと本質を抑えている表現なんでしょうね。よりごまかしが効かない世界というか。
- 栗山:
- そう。以前は、アナログ一発で表現するのが本物で、デジタルを使うのは偽物という風潮がありましたよね。撮影して焼きの過程で、フォトグラファーが見た情景や思いを印画紙に込めるわけですが、アナログだと思いを入れられる幅は印画紙の幅でしかない。しかし頭の中のイメージや内面を、より意のままに表現するためにデジタルが存在する、というのが僕の考え方なんです。
- 矢部:
- 同感です。
- 栗山:
- だからアナログ一発でしか表現の本質は捉えられないというフォトグラファーの方々には異を唱えたいですね。デジタルが軽く見られてしまうのは、何でもできてしまうからであって本当は使う人の問題なのです。
- 矢部:
- 総括すると、表現することがより難しい世界に突入するのでしょうね。ある意味本質というか。
- 栗山:
- そう。もっと個の世界に入っていくでしょうね。フォトグラファー1人1人の世界。
- 矢部:
- より内面的な世界。デジタルという人間らしさとは遠い方向に向かったことによって、「人間」が強くなるって面白いですよね。
- 栗山:
- いずれにしても人間をより強調するためにデジタルを使っていきましょう、ということですかね。表現の幅の広がる新しい印画紙。そんな感じなのだと思います。
- 矢部:
- 本日はありがとうございました。
この企画を振り返って
