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Vol.01:カメラ創りへの冒険

拝啓 設計者より
Vol.01 カメラ創りへの冒険
オリンパス名前の由来
オリンパス名前の由来

商標としては、創業当時の「株式会社高千穂製作所」の時代から「オリンパス」を使っていた。
日本の神話では高千穂の峰に800万の神がいる高天原があるといわれており、それに対応する神々の山として、ギリシャ神話の十二神がいるといわれている「オリンポス(Olympus)山」を結びつけ商標とした。
また高天原の光が世界を照らすように、光を根源とするオリンパス光学機器製品が世界に行き渡るようにとの願いも込められている。

カメラ創りの夢

「カメラとしての姿かたちがないカメラ」記者たちから“カメラ創りのビジョンは?”と質問されると何時もそんな風に答えていた。

カメラとは写真を撮影するための道具の筈なのに、その道具となるカメラがない、姿かたちが何処にもない、そんなカメラを創る?何だか禅問答のようである。
先だって、バリダンス撮影のためインドネシアのバリ島に出かけた。伝統的な民族舞踊のバロンダンスやケチャックダンスなどは流派ごとに劇場というか、半分、小屋に近い舞台で演じられる。階段状の観客席は数百人くらい座れるであろうか、舞台横では重厚な金属製シロホンのサロンとか、お椀を伏せたようなボナンと呼ばれる打楽器を奏でる。そのガムラン音楽に合わせて、きらびやかな民族衣装をまとった踊り子が次々と舞台に上がり古典舞踊を繰り広げる。黒く隈取られた大きい目やピンと伸ばした指先の独特の動きが魅惑的であった。観客席からは遠くて、撮影場所も限定され上手く写せないが、目の動きに沿いながら指を反らせてポーズを決めたとき、この魅了するようなアップの写真を部屋に飾って眺めたい。

そう思った瞬間に、カメラも使わずに居間の壁にその狙いの写真が掛かっていれば気分は最高である。それはまさに“念写”の世界ということなのであろうが、もしそうなれば、これまでの概念のカメラはもう要らないことになる。たとえ夢の話とはいえ、その“カメラのないカメラ”こそが私のカメラ創りのビジョンであり、原点なのである。

それならと記者の質問は続く。「卒論は自動車だったそうだが、もし自動車を設計していたら、そのビジョンは?」「車のない車……孫悟空のきんと雲」と即座に答えたものだ。「それにしても小さいカメラばかり作るね」といわれるが、ビジョンに一歩でも近づけようと、その時代の技術をフルに活用し知恵を絞って設計した結果だったといえる。

しかし、競って売れ筋カメラを追いかける世の流れからは逸脱した、ユニークなカメラばかりとなってしまった。そして、その商品化はあまりにも冒険的なものとなり、企業としては大変な勇気と努力が必要であった。後々、その冒険が大きな潮流となって市場を牽引することに至るのだが、何故オリンパスがそれを成し得たのかを知るには、その歴史を少し紐解く必要がある。

セミオリンパスI型(1936)
セミオリンパスI型(1936)

オリンパスカメラの第1号機は、プラウド社から供給されたセミプラウドボディーに、開発されたばかりのズイコーレンズが組み込まれた。初任給75円の時代に、103円という価格の高級機だった。

オリンパスシックス(1940)
オリンパスシックス(1940)

新設計されたボディーに、最高速1/200秒という自社製コーホー(高峰)シャッターを搭載した6×6判、セミ判兼用機。シックス系カメラの基本形態を確立した。

カタログPDFデータ
オリンパス・カメラの始まり

顕微鏡の国産化を目指して大正8(1919)年に設立したオリンパスでは、昭和7(1932)年、アポクロマート対物レンズの開発に成功し、生物、金属とも低倍率から高倍率に至る顕微鏡のラインアップを完成した。

事業多角化からカメラを手がけることとなり、レンズメーカーらしく昭和9(1934)年に先ずは写真レンズの研究からスタートした。2年後の昭和11(1936)年、写真レンズの第1号となるズイコー75ミリF4.5を完成させ、そのレンズを付けたセミ・オリンパスがカメラの第1号として発売された。

ズイコーとは立派な日本語で、社内募集により当選したレンズ名称である。当時の電力事情から同じ敷地内にある瑞穂光学研究所を別会社として登録し、別枠の電力配分を受けることにしていた。その研究所の頭文字から“瑞”と“光”を取って、“瑞光”すなわち“ズイコー”となった。

顕微鏡の国産化で世話になっていた東大の研究室から桜井榮一(後の専務)を招聘し、昭和12(1937)年に夢のカメラ、幻のカメラと呼ばれるベスト版ライカのオリンパス・スタンダードを試作し発表する。

昭和15(1940)年にズイコー75ミリF3.5とF4.5付きのオリンパス・シックス 2機種を発売。以後、第2次大戦の臨戦態勢に突入し、諏訪工場は海軍、伊那工場は陸軍所管の軍需工場として光学兵器の生産に入る。

オリンパス35I(1948)
オリンパス35 I(1948)

国内初の35mm判カメラで、オリンパスがカメラに求める「小型、軽量」「速写性」という2つの目標を具現化した。簡単な3つの操作で、すばやく撮れるオリンパス35 Iは、絶大な人気を博し、V型まで進化を続けた。

オリンパスの歩み「カメラの歴史」
オリンパス・カメラの戦後の歩み

東京工場は戦災に遭ったが、諏訪工場に疎開しておいたオリンパス・シックスのカメラ部品を組み立てることから、戦後のカメラ生産は再開された。

昭和23(1948)年に戦後設計したオリンパス35 I型とオリンパス・クロームシックスII型を新発売。昭和27(1952)年に高級二眼レフのオリンパス・フレックス、昭和30(1955)年にオリンパス35S、オリンパス・ワイド、昭和33(1958)年にオリンパス・エース……等々と発売してゆく。更に、それぞれの機種に次々と改良が加えられ、2型、3型へと発展させながら数多くのカメラが発売されてきた。

いずれも時代に即応した機種であったが、中でも、オリンパス・スタンダードは、当時の粒子がまだ粗いフィルム事情から、35ミリ判(24×36ミリ)よりも画面サイズの大きいベスト判(40×50ミリ)フィルムを使ってのライカヘの挑戦であり、若き設計者桜井榮一の青春の夢のカメラであった。

オリンパス35 I型は35ミリ・フィルムを使うカメラとしては最も小型(横112×高さ74ミリ)であった。レバー式ではなく、巻上げ、巻戻しノブが大きく突出していて、それを含めた寸法である。ボディーだけなら非常に小さい。9年後に発売された超小型コンパクトカメラの代表とされるローライ35(横97×高さ68ミリ)と比べても、それほど遜色のない感じである。

オリンパス・ワイドは初めてのワイド専用機である。高価なワイド交換レンズ1本と同じ価格で、シャッターもボディーも付いたワイド・カメラが買える手軽さや、広角の醸し出す新しい視覚が時代感覚にマッチして、その後、ワイドブームを巻き起こしていった。

オリンパス・エースはレンズシャッター式コンパクトカメラなのにレンズ交換が出来る数少ないカメラである。

オリンパス・クロームシックスやオリンパス・フレックス、オリンパス35Sなど時代の流れの最先端をゆく、あらゆるタイプの精密で正統的カメラを作る高度な技術を持っていながら、尚且つ、冒険ともいえるユニークなカメラにも自由闊達に挑戦するだけの勇気をも持ち合わせるという体質が、オリンパスの底には潜んでいた。