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Vol.02:カメラ礼賛

拝啓 設計者より
Vol.02 カメラ礼賛
オリンパスのロゴ 1
オリンパスのロゴ 1

大正10年(1921年)2月からブランド名として「オリンパス」が使われはじめた。カメラのカタログや広告にもこのロゴが使われていた。

オリンパスのロゴ 2
オリンパスのロゴ 2

また、「TOKYO」のかわりに「OIC」が使用されている時期もありました。
OICは、オリンパス光学工業株式会社の「光学工業株式会社」を表す「OPTICAL INDUSTRIAL COMPANY」の頭文字。

カメラには妙に魅力を感じさせるところがある。いや、それはもう魔力といったようがよいのかもしれない。いつまで眺めていても飽きないし、つい手が出て、ためつすがめつ眺めながら、持ったときのずっしりと手に伝わる金属感がまた心地よい。ファインダーを覗いて見たり、シャッターや絞りや巻上げなど操作できるところを次々と動かしたくなってくる。各部のしっとりとしたスムーズな動き、その中にコチッと止まるクリック、それも空き缶を叩いたような音ではなく金属の魂が響くクリック音など、否応なしに精密感が指に伝わってくる。その操作の感触やシャッターを切ったときの作動音がいつまでも耳の底に残り、巧まずして生じた精密機械の感触を肌で感じるのは何にも代えがたく楽しいものである。

カメラには写真を写す以前に、精密機械独特の人の心の機微をくすぐる何物かが内在しているように思える。

カメラだけではない。ハーレー・ダビッドソンなどの躍動的な大型バイクにも相通ずるところがある。男性特有の感覚かもしれないが、ダイナミックで精密感あふれる機器に触れることに、そして思いのままに操ることに無限の喜びを感じるものである。

最近のプラスチック製品や電子機器類にはそれがない。何とか出そうと意図的に錘を付けて重量を増したり、作動音を擬似音などで付加させようとしているがなんだか虚しい。金属で出来たカメラは百年経ってもその輝きを失わないが、プラスチックは金属の持つ冷徹な冷たさがない上、紫外線や環境状況で風化し、素材が経年変化で次第に脆くなっていくことを肌で感じ取っているのかもしれない。

オリンパスフレックスI型(1952)
オリンパスフレックスI型(1952)

戦後はじまった二眼レフの大ブーム。このブームに合わせてオリンパス二眼レフの初代機オリンパスフレックスI型は開発された。ローライフレックスをモデルにしながらも、より高い性能を求め、多くのオリンパス独自の機能が盛り込まれている。発売価格は47,000円。当時の初任給7,000円の6ヶ月分以上という高価なカメラだった。

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カメラのデザイン

カメラが醸し出す魔力にはスタイリング・デザインもその一翼を担っている。

北欧デザインの粋ハッセルブラッドやドイツのローライフレックス。気品あふれる直線的なデザインのコンタックス、ボディーの丸みが手になじむライカなどが代表的な存在として心の中の奥深くに巣くっていた。いずれ劣らぬ名機揃いで、機能が優れているだけでなくデザインも素晴らしい。いつかは使ってみたいと思ってはいたが、高価なカメラばかりで、おいそれとはいかない。

これらの名機も一日で成った訳ではない。最初のライカA型が発表されたのは1925年で、25年後の1950年にIIIf型が発売されている。

ライカに対抗して作ったコンタックスⅠ型の発売は1932年で、これも18年後の1950年にIIa型が発売された。

ローライフレックスもスタンダード型は1928年の発売だが、3.5F型は30年後の1958年の発売である。

どのカメラも20年、30年の長い年月をかけて性能的にもデザイン的にも改良が加えられ、名機へと完成度を高めていったといえる。

これは手に取る物だけでなく建築物などのデザインにも通ずるところがある。モダンで立派な近代建造物の教会に入ったとき、インテリアもそれなりに素晴らしく近代的な感覚で仕上がっている。しかし、永い年月をかけて作り上げられてきた由緒ある教会の、ドアを開けて入っただけで、身が引き締まるような心に響く尊厳さはそこにない。やはり永い年月をかけ、多くの人の手を経て生まれてくるものだと思った。

オリンパスクロームシックスI(1948)
オリンパスクロームシックスI(1948)

終戦、そしてカメラ生産の再開。オリンパスシックスの改良型となるクロームシックスは精度、強度の飛躍的な向上を図るためにダイキャストボディを採用。上下の飾板に梨地クロームメッキをほどこした美しいボディは、見る人々を魅了した。この頃からはじまったカメラの普及が追い風となり、クロームシックスは大人気商品となった。

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オリンパスの歩み「カメラの歴史」
デザイン先行

1950年代にはいって第二次大戦後の混乱から日本もやっと立ち直り始めた。四畳半メーカーと呼ばれた群小メーカーも次第に整理され、軍需産業からカメラ産業への転進も順調に進んできた。ちょうどその頃、オメガ(腕時計)、パーカー(万年筆)、ロンソン(ライター)が最初の三種の神器として登場し、そしてカメラといえば先進国ドイツのライカ、ローライフレックスが高嶺の花として鎮座していて、改めて、先進国ヨーロッパの文化が輝いて見えた。

アルス社の写真雑誌「カメラ」の月例写真選評について、1950年1月号から掲載の始まった木村伊兵衛氏、土門拳氏の対談は写真の本質をついた論評で強く心が揺さぶられた。写真の持つ力や表現方法を教えられて、写真の世界にのめりこんでいった。

学生時代は家にあったライカⅢfを使って撮りまくり、カメラ誌の月例やメーカー・フォトコンテストに応募していた。副賞で貰った二眼レフや引伸機なども手元にあったが、もっぱらライカを使っていた。

オリンパスに入社しカメラ設計部に配属されたが、入社早々の新人にすぐカメラ設計ができる訳がないし、任されるはずもない。しかし、将来カメラが設計できるようになったら、魔力を求めるのは無理としても、せめて、愛用のライカIIIfと併用しても恥ずかしくないデザインにはしたい。操作するときも違和感なく使えるカメラを設計したいと思っていた。当時はドイツのカメラに追いつくのが精一杯で、絞りやシャッターや巻上げなどメカニズムの設計が先行し、技術優先で進められていた。設計がほぼ完成したところでデザインを最後のお化粧的に扱っていた。そんな設計の実態も知らずに、新人特有の無鉄砲ぶりからデザインを先行させ、操作感を先行させ、全ては魅力優先でカメラの設計を進めたいものだと考えていた。