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Vol.03:カメラ設計の段取り

拝啓 設計者より
Vol.03 カメラ設計の段取り
オリンパス35 S-3.5(1955)
オリンパス35 S-3.5(1955)

オリンパス35 S-3.5は、昭和30年(1955年)、オリンパス35の高級機として登場。国産レンズシャッターカメラでは初となるレバー式フィルム巻き上げ機構、セルフコッキング機構(フィルム巻き上げと同時にシャッターがチャージされる機構)、さらに連動距離計までも搭載し、斬新なアイディアが随所に盛り込まれた。この後、F2.8のレンズや、さらには35mmレンズシャッターカメラとしては日本初となるF1.9大口径レンズを装備した製品も発売された。

第2次大戦後、経済復興の一翼を担いカメラは外貨を稼ぐ輸出品の花形であった。時代の窮児ともいえるカメラも、その内情は歴史あるドイツのカメラを追いかけるのに必死となっていた。輸入カメラの三分の一の価格で入手できるところから、高価な名機をそっくり真似て作った和製ライカや和製ローライフレックスがもてはやされ結構人気があった。1ドル360円固定為替レート時代で、当時の日本の経済力、技術力では模倣もやむを得なかったのかもしれない。また明治以来、先進の欧米文化を吸収して急速に近代国家に仲間入りをしようとする日本の風潮によるのかもしれない。いずれにしろ、早くドイツに追いつこうとするあまりの勇み足だったといえよう。程なく模倣が国際間題となり模倣カメラは姿を消していった。

1950年代におけるドイツのカメラの進歩はめざましいものがあり、新製品が発表されるたびに溜息が出たものだ。新しく組み込まれた先進のスペックに驚嘆したり、そのメカニズムに感銘したり、勉強させられることが多かった。中でも、1954年に発表されたライカM3の出現は、これまで手本としてきたカメラの脱皮だっただけに、その革新的な発展に多大な衝撃を受けることになった。戦後、急速に進歩し続けてきた日本のカメラもやっとドイツの技術に近づいたと、そんな思いが去来し始めた矢先の出来事であり、日本のカメラ産業に与えたショックは大きかった。

オリンパスワイド(1955)
オリンパスワイド(1955)

昭和30年(1955年)発売のオリンパスワイドは、オリンパス35V型に35mmのワイドレンズを装着した、ワイドレンズ専用機。フレーミングしやすい採光式のブライトフレームファインダーを搭載し、レンズ交換式の高級カメラでしか撮ることのできなかったワイド写真が、手軽に美しく撮影できるとあって、オリンパスワイドは爆発的な人気を集め、その後のワイドカメラブームの先駆者となった。

カメラ開発の段取り

順調に進み始めていた日本の経済復興も、1953年の朝鮮動乱終結によって景気は一気に低迷し不況に見舞われた。ご多聞にもれず、カメラ産業にも波は押し寄せ苦しんでいるところへ、ライカM3の出現とあって、各社ともその対策に追われ新製品の開発に全力を投入していた。

オリンパス・シックスやフレックスなどが好調だったオリンパスは、6×6判カメラが主力になっていた。ライカM3を軸に時代は35ミリ判へと大きく振れたので、6×6判から主力を35ミリ判へと移行させることが急務となっていた。カメラ設計部内では「ノーモアシックス」を合言葉にして、オリンパス35Sとか、オリンパス・ワイド、オリンパス・エース、8ミリムービーや映写機などの開発で、各設計チームとも日に夜を継ぐ忙しさであった。

そんな最中の入社なので、配属された新入社員の面倒など誰も見ている暇がない。新しく配属された新人もまだ先輩たちの手伝いをする実力はないし、むしろ足手まといになるばかりである。せめて邪魔にならないようにと、直属の上司から安いカメラでも設計してみるかと声をかけられた。設計の勉強でもしておれという、仕事というよりは能力アップのための宿題のようなものである。もちろん、商品化の計画などあろうはずがない。

カメラを作り出すには、数十億円という多額な投資と多くの人手、相当な準備期間が必要である。思わしくないからといってもすぐには作り替えられない。そこで、計画した新製品が技術的に実現可能かとか、工場の生産設備で作れるか、品質は大丈夫か、原価性は、市場性は、開発日程は、など検討して一つひとつクリアしなければならない重要な項目が多い。新製品の出来栄え如何によって業績が大きく左右されるだけに、カメラの設計に着手するときはその企画段階から各部門の代表者たちが集まって、時には激論を戦わせながら慎重な審議を積み重ねて進められる。

オリンパスエース(1958)
オリンパスエース(1958)

オリンパスエースは、 レンズ交換が可能な国内初の35mmレンズシャッター機で、昭和33年(1958年)に発売された。レンズは、標準45mm、広角35mm、望遠80mmの3種類。どのレンズでも距離計連動が可能だった。

オリンパスの歩み「カメラの歴史」
カメラの自由研究

入社して最初に与えられた仕事は一人で設計の勉強でもしておれという宿題であった。勉強のための自由研究なので、何を作るか、いつまでに設計を完了させるかといった期限もない。もちろん、商品化計画の予定もなければ、その推進のための各ステップを踏む必要もなく、審議や制約も受けない。

自由に何をやってもよいのだが、いざ取り掛かってみると掴みどころがない。自由さがかえって初心者にとっては大変な負担となった。

これまでカメラを使っていて、ここは不便だとかこれはおかしいなどと、カメラに対し一家言を持っていたつもりだが、いずれも目の前にあるものに対する評価やクレームばかりであったことに気づいた。改めて「好きにカメラを作れ」となると、あれもしたい、これもしたいと夢ばかり膨らみ雲を掴むようで一向にまとまらない。課題があるときはその難しい条件に文句をいうのに、課題がなく自由にどうぞとなると途端に焦点が見えなくなって手もつかない。贅沢な話だが却って不自由さを感じるものである。

カメラの価格

すぐ後ろの席の宿題を出した上司・松崎主任研究員に助けを求めた。

「ポケットに入る安いカメラでも研究してみたら……」とそっけない返事が返ってきた。毎日、大ヒットのオリンパス・ワイドやワイドEの設計で興奮していて、忙しかったからであろう。

安いカメラといっても、どの程度を目標とするのかが問題である。

1950年代はカメラが高価で貴重品であった。何年分もの年収に相当するような輸入品のライカなどは別格としても、オリンパス・フレックス(1952年)は4万7千円で半年以上の給料分に相当する。入社直前に発売されたオリンパス35SもF1.9レンズ付きで3万4千円、普及機のF3.5レンズ付きでも2万3千円であった。大卒初任給が1万5200円の身では、普及機さえもなかなか買えない。赤い毛氈の敷かれたショーウインドーの中に宝石と一緒にカメラが鎮座していて、羨望の眼でガラス越しに眺めていた時代であった。