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Vol.04:欣喜雀躍

拝啓 設計者より
Vol.04 欣喜雀躍
当時の最新設備を誇る諏訪新工場の紹介
Photography Vol.07(1958年発行)より抜粋
諏訪新工場の正面全景
諏訪新工場の正面全景

1958年 長野県岡谷市の諏訪工場内に新工場を設立。当時のオリンパスには東京幡ヶ谷に本社工場、長野県の伊那と諏訪に工場があり、その中でも諏訪工場は主力工場として、カメラの過半数をこの工場で生産した。当時の最新設備を誇る新工場が完成することによって、その生産性の合理化にますます拍車がかけられた。

初仕事

「おはようございまーす」と、元気よくドアを開けた。8時半から始まるのに、先輩たちはもうお茶を飲んだり新聞を広げたり思い思いに過ごしていた。部屋の隅の窓際の席に着き、机一杯に広がる製図盤の上に鞄を置く。着任したばかりで、引出しの中はまだ何も入っていない。

1958年5月6日、春の連休明けに新入社員教育の工場実習を終え、カメラを担当する第2設計部に帰任したのだが、まだ日が浅くこれといった仕事はない。昨日、初めて勉強のために「1人で安いカメラを設計するように」と指示された。

日程に追われチームを組んで忙しく動いている先輩たちの、邪魔をしないようにとの配慮から出された宿題ではある。しかし、何はともあれカメラの設計が出来るとあって、血湧き肉躍る思いで昨夜はなかなか寝つかれなかった。

設計実習とはいえ実際に設計することによって途中で何が必要になってくるのか、その都度どう対処すればよいのかなど、色々と体験しながら勉強するようにとの指示であろう。設計部内の自由研究であり、いつまでに設計を完了させるとか原価率何パーセントといったコスト制約もない。商品化計画のない勉強用の研究テーマだから、企画会議などの厳しく審議される各ステップを経る必要もないし、商品化のための段取りも一切不要な設計である。それでも当事者の私にとってはとにもかくにもカメラが設計できるので欣喜雀躍としていた。

高速度でレンズを荒削りするカーブジェネレーター
高速度でレンズを荒削りするカーブジェネレーター
ずらりと並んだレンズ研磨機
ずらりと並んだレンズ研磨機
レンズのセンターを出す芯出し作業
レンズのセンターを出す芯出し作業

1階の1部と2階はレンズ工場部門で、高速度でレンズの形を削り出すカーブジェネレーターや超短波を利用するレンズ洗條装置、レンズ研磨機など当時の最新の設備と優秀機をそろえ生産が行われた。

ユーザーサイドからのアプローチ

カメラを設計するのは専門の技術者集団である。どんな機能をどのように実現化してゆくのかなどメカニズムの知識に精通している。当然のことながらカメラの開発は技術サイドからのアプローチが多く、新機能の開発競争から新型カメラ競争へと発展していく。意外なことに、写真をこよなく愛するとか徹底的に写真を写す設計者は少ない。

商品化計画にのっとったカメラの設計では、決められた仕様や必要な各種条件がついてまわる。新米設計者はそんな制約をクリアしながら設計するだけの実力を身につけていない。まだカメラ設計者の卵的存在である。

ただ、技術力的には未熟な駆け出しであってもカメラを使うユーザーとしてはかなり豊富な経験があり、カメラへの思い入れだけは人一倍に強かった。そこで、カメラを設計するとなれば技術サイドからというよりも、むしろユーザーの立場からのアプローチの方が優先してしまう。撮影には何が必要なのか、使いやすいか、手に持ったときの感触はどうか、魅力的なスタイリングに仕上がっているか等々、技術的に可能かどうかを検証する前にユーザーの目で見てしまう癖がある。

シャッターボタンはこの位置でなければ使いにくいとか、巻上げレバーはこの範囲に置く必要があるとか、目盛は大きくないと読みにくいと先に決めてかかる。スマートに見せるにはずんぐりむっくりしていては駄目だ。背は低く、厚さは薄く、長さは手にすっぽり収まるようにやや長めにするなどユーザーとして望んできた。それらが後々技術的に苦労することに繋がるのだが、これまでのカメラに抱いているイメージから、精密機械の代表としての品格を持たせたカメラを設計したかった。

近代的な理論に基づいて生産の合理化をめざした工場設計
近代的な理論に基づいて生産の合理化をめざした工場設計
レンズから機械部分に至るまで、カメラの全部分が1つの工場で一貫して生産された
レンズから機械部分に至るまで、カメラの全部分が1つの工場で一貫して生産された

工場の設計と機械設備の配置は、長い経験と近代的な理論に基づいて、作業環境の改善と、作業の流れがスムースにいくように設計された。機械加工もすべて、この工場で行なわれ、半製品の流れ、工具の管理などに非常に注意がいき届いていた。生産の合理化という点では、当時最も近代的な光学工場だった。

オリンパスの歩み「カメラの歴史」
普及機の価格

新人教育だから1人で設計するのは分かるが、安いカメラといわれでも、10%安くするのか20%安くするのか目標の程度が分からない。後ろの席の上司、松崎主任研究員に尋ねると、「どのくらいなら気楽に買えるか?」と逆に切り返された。入社直前に発売されたオリンパス35Sの普及機F3.5レンズ付きでも2万3千円、月給の1.5倍もしていた。初任給が1万5200円なので可処分所得を考えると、「せめて月給の半分なら……」「よーし、それでいこう。定価6千円でどうだ」普及機2万3千円の1割引、2割引ならまだしも、5割引までいくとどこかおかしいのではないかと疑いたくなる。それなのに6千円の価格となると普及機の七割五分引である。もう通常では考えられないオモチャの世界の価格といえる。

企画会議を経て商品化が計画されているカメラならこんな価格設定はありえない。自由研究だから気楽に設定できたのであろう。あるいは、勉強だから直ぐには答えの出ないような遠い目標を示したのかも知れない。

ハーフサイズへ

ポケットに入る安いカメラ……という指示から、どうしてもカメラを小型化する必要がある。

どこでも手に入る35ミリフィルムを使うと、パトローネに入ったフィルムの収納スペースと撮影したフィルムを巻き取るスペースは必要で、そこは小型化できない。しかしカメラボディ全体を考えるとまだ小型化する余地はある。問題はレンズの出っ張りが大きくて邪魔なことである。ライカの沈胴式レンズのように収納時にボディ内に押し込む方法もあるが高価になってしまう。

悩んでいるとき上司から、「撮影画面を半分にするというのはどうかな……?」

相談とも提案ともつかぬ投げかけがあった。大胆な発想だ。商品化の重圧がなければ自由な考えが浮かぶのであろう。

通称ライカ判と称する35ミリサイズの大きさは24×36ミリ。これを半分にすれば24×18ミリとなる。日本ではこれまで使われたことのない初めての画面サイズである。

35ミリフィルムは映画用として作られたもので、もともと映画用の画面サイズが24×18ミリであるところからシネサイズと呼ばれていた。カメラ先進国のドイツにはこのサイズを使ったスチールカメラが過去に作られたことがあった。