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Vol.05:ハーフサイズの功罪

拝啓 設計者より
Vol.05 ハーフサイズの功罪
ハーフサイズ開発のきっかけとなった豆カメラの紹介
ニューミゼット
美篶(ミスズ)商会
1939年(昭和14年)
ニューミゼット

1937年に美篶商会から発売された、日本で最初の豆カメラ「ミゼットオリジナル型」の後続機種。オリジナル型とは一変して新設された軍艦部にファインダーが納まり、カメラらしいスタイルとなっている。この軍艦部は金属板のプレスではなく、無垢素材からの削り出しによって形成されており、肉厚があってずしりと重たく、工芸品に近い。

マイクロ新型
三和商会
1946年(昭和21年)
マイクロ新型

戦後発売になったマイクロシリーズの最初のモデル。軍艦部には「Mycro PATENTS」の刻印が入っている。ボディーは、オリジナル型と共通で、軍艦部とは上部からのネジ止めと、肩口へハンダ付けで接合されている。アイピースファインダーもネジ止めではなくハンダ付けで、ガラスが入っていない個体があるなど、戦後の生産を急いだ結果、そのしわ寄せが製造に影響した。

解説および写真協力
「Mycro Camera」ウェブサイト

画面サイズ変更への抵抗感

35ミリフィルムを使いながら、その撮影画面を35ミリ判の1/2に小さくしてみようという、大胆な発想にはなかなか辿りつかないし、また言い出せないものである。これまで日本では使われたことのない画面サイズとなり、もし商品化計画があって通常の企画会議に提案すれば、審議するメンバーたちも面食らったことと思う。営業部門からはそんなカメラを売る市場がないと反対されることも必定である。当時の常識的な判断からすると、審議の末ハーフサイズカメラは日の目を見ることなく終わっていたであろう。

1950年代半ばになって、二眼レフやスプリングカメラに使われる6×6判などのブローニーフィルムから、小型の35ミリフィルムへと急速に移行していった。そして、やっと市場に定着したばかりの1958年のことなので、更に撮影画面を小さく、半分にしようとしても周囲の理解を得るのは難しい。

幸いにして、設計部内の学習用研究テーマだったので企画会議で審議する必要がなく、それだけ自由で大胆な発想へと繋がったと思う。

かつて、ユーザーとして豆カメラに凝ったことのある経験から、私にとっては、撮影画面の小型化にまったく抵抗感を覚えなかった。

豆カメラブーム

1939年にニューミゼット(美篶商会)や1946年にマイクロ新型(三和商会)など16ミリフィルムを使う豆カメラが発売された。普通のカメラの形をしていて親指に乗るほどの可愛いカメラであった。中学生になったばかりの私は早速買ってもらい使い始めた。翌1947年にステキー(リコー)、1949年にスナッピー(コニカ)が発売されて、これも買った。こちらは少し高級になり、レンズ交換ができるようになっていた。1950年にはコーナン16オートマット(ミノルタ)やマミヤ16スーパー(マミヤ)が発売され、豆カメラブームが起こり、日本のカメラ産業勃興の先駆けとなった。コーナン16が発売されたとき朝日新聞の経済欄に写真付きで紹介されて、いかにもスタイリッシュですぐ購入した。フルスペックのマミヤ16と共に、目的によって使い分けながら後々まで愛用していた。

それぞれのメーカーから専用フィルムが発売されていたが、一種類のフィルムしかない。そこでフィルムカッターを自作し、最も種類の多いブローニーフィルムを暗室内で4本に切り分けて使うことにした。パナトミックXなど微粒子フィルムで撮影し、DK-20とかシーゼ3番の超微粒子現像液を調合して、大型試験管の中で現像した。普通はL判程度の引き伸ばしなのだろうが、四つ切サイズの大伸ばしも可能なレベルまでに到達していた。神戸元町のガード下で撮った写真がメーカー主催の16ミリ写真コンテストで特選賞となり、なぜか副賞に高価な二眼レフが付いてきた。

こうしたユーザーとしての経験から、小さな35ミリ判を更に半分にするのはいかにも不安という一般的評価に対し、16ミリサイズに比べてハーフサイズは3倍以上も大きい画面ではないかと、自信を持って進めることが出来た。

何事においても無駄な体験はないと言われるが、この真剣に取り組んだ16ミリカメラの体験は後々大いに役立つことになった。

ステキー
リコー
1947年(昭和22年)
ステキー
ステキー

戦後の物資が不足している時代に、フィルムを節約するために映画用の16mmフィルムを使ったカメラが大流行した。当時おもちゃのような16mmカメラしかなかった中で、専用マガジン入りフィルム使用の初めての本格的な16mmカメラだった。

解説および写真協力
「ネコカメ」ウェブサイト

トーン
東洋光機製作所
1948年(昭和23年)
トーン
トーン

反射透視両ファインダーを備えた、前玉回転式ピント調節式カメラでフィルムは裏紙付き17.5mmフィルムを使用した。1945~1952年までの間、日本は米国の占領下にあり、輸出品は「Made in Occupied Japan」(占領下日本製)の刻印をしなければならなかった。

解説および写真協力
「歴史を語る機械:豆カメラ」ウェブサイト

今回、取材にご協力いただいた方々に厚く御礼申し上げます(ズイコークラブ制作委員会)

オリンパスの歩み「カメラの歴史」
レンズの出っ張り

もともとハーフサイズの案はカメラをポケットに入れられるようにと、レンズの出っ張りを少なくすることから浮上してきた。レンズの焦点距離が短いほど、出っ張りは少なくなるからである。

カメラには標準レンズが付いている。標準レンズの画角(写る範囲)は、人間の目に合わせて50度前後がよいとされている。計算すると、撮影画面の対角線の長さに相当する焦点距離のレンズなら、画角がほぼ50度となる。

35ミリ判の画面は24×36ミリで、対角線の長さは43.2ミリとなる。ハーフサイズは18×24ミリなので対角線の長さが30ミリ、この計算でもレンズは13.2ミリ短くなる。実際には、35ミリ判のカメラに50ミリ標準レンズが付いていることが多く、それに比べると2センチも短くて済む。それだけレンズの出っ張りが小さくなるから、「撮影画面を半分にしてみたら……」となったのであった。

35ミリとハーフサイズフォーマットの比較

【35ミリ】
35ミリ判の画面は24×36ミリで、対角線の長さは43.2ミリとなる。

【ハーフサイズ】
ハーフサイズは18×24ミリなので対角線の長さが30ミリとなる。

逆手に取る

とかく不安が先に立つハーフサイズの提案に対し、決して受身で採用したわけではない。

改めて原点に返り、ハーフサイズなるものを詳しく分析してみることにした。

レンズの出っ張りは確かに少なくなるが、撮影画面も小さくなるので、引き伸ばし倍率がそれだけ大きくなってしまう。また写真の枚数が2倍も撮影できるのはよいが、フィルムを装填し撮り始めて、最初のコマの写真から最後のコマの写真までが“クリスマスtoクリスマス″となり、一本のフィルムを一年がかりでないと撮りきれないという問題もある。更に、バックをぼかした写真が写しにくい等々……不安材料が並ぶ。

得てして、どこかを良くすると付随して欠点も付いてくるものである。技術的に解決できるものもあれば、原理的に解決不可能なものもあり、利点欠点をよく理解し取捨選択をすること、その判断が重要な鍵となってくる。

こうしたハーフサイズなるが故の欠点の中には、発想を逆転させると、ハーフサイズにしか出来ないことも出てくる。

特に注目した項目はバックがボケにくいということである。ぼかしたバックの中に主要被写体が浮かび上がるといった写真は撮れない。レンズの性質として焦点距離が短いほどボケにくいからである。この欠点を逆手にとって、ピンボケしないカメラ、ピント合わせをしなくてもよい使い方の簡単なホームカメラ、35ミリカメラでは決して作れないカメラを作ろうと考えて、積極的にハーフサイズを採用することにした。