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Vol.08:カメラのシリーズ化

拝啓 設計者より
Vol.08 カメラのシリーズ化
シリーズ化されたペンのラインアップ
ユーザーのいろいろな要望に対応するためにシリーズ化の発想が生まれた。
オリンパスペンEE(1961)
オリンパスペンEE(1961)

使いやすさに徹したオリンパスペンEEは、昭和36年(1961年)に発売され「固定焦点」「シャッタースピード1/60秒」「露出は絞りの自動調整」と、機能を合理的に割り切り、ボタンを押すだけで、誰でも簡単に美しい写真が撮れるカメラだった。 価格は10,000円。このEEシリーズは、8機種まで展開し、ペンカメラが広く普及する原動力となった。

当時のオリンパス ペンEEのカタログの紹介
カタログ

始めて女性ユーザを意識したシリーズ展開が行われた。

カタログPDFデータ
一機種入魂

携帯電話やインターネット等が普及し、IT関連製品、テレビ、パソコンなどには今やデジタル化の波が押し寄せている。その一連の流れに乗ってカメラも電子化、デジタル化され、頭脳となるCPUの働きによりカメラの作動がコントロールされるようになってきた。電子化されると作動を指示するのは電子回路なので、その一部を組み替えれば機能を追加したり、変更も可能となってくる。わざわざメカニズムを作り直さなくても新製品が作り出せるようになった。そんなことから、良くも悪くも電子業界の通例にならって、カメラも3カ月ごとに新製品が出てくるし、家電製品並みに、最新型のカメラを購入したのに半年も経てば旧型になってしまうという時代となってきた。

電子化される前の昭和30(1955)年頃、カメラは時代の先端を走る精密機械の塊であり、新機能の開発にはかなりの時間と労力を必要とした。更に1台のカメラを作るのに生産設備も含め十数億円の先行投資費用が必要で、そう簡単に新型を出すわけにはいかない。更に当時のカメラは商品寿命が長く、発売を開始してから3年~5年と売り続けるので、それだけに、新型を出すには慎重審議を経た上で進められていた。

当時のカメラは時代の寵児でもあり、カメラの新製品発表が新聞紙面を賑わすほど、いつも話題を呼ぶ存在であった。設計陣も常に新機能や新メカニズムと真剣に向かい合い、時代を先取りすることに血道を上げていた。しかも発売開始後、五年間経っても市場で古さを感じさせず売り続けられるカメラを目指して、必死に取り組むのが常である。その時点で考えられる全ての技術を注ぎこむのだから、そこには次の新製品という意識はない。

しかも、ライカM3が発表された後、それを追って日本のカメラも新製品競争に突入していた。設計陣も新機能開発で多忙を極めていて、少しでも早くライカの技術レベルに追いつこうと、まさに1機種入魂で全力を注いでいたから、更にその先の新型とか、カメラのシリーズ化などを考える余裕もなければ風潮もなかった時代である。

オリンパスペンD (1962)
オリンパスペンD(1962)

昭和37年(1962年)には、最高級のペンをめざしたオリンパスペンDが発売された。コンパクトなボディの中に、F1.9の高性能大口径レンズ、高速1/500秒シャッター、LV値直読式内蔵露出計などを詰め込んだ「プロ仕様のペン」。それがオリンパスペンDだった。

カメラのシリーズ化

35ミリカメラは既に数多く発売されているので、そんな市場に更に新製品を出すとなると、特徴のある最高のカメラに仕上げなければならないのはメーカーサイドとしては当然の成り行きである。

ユーザーサイドからみても、数多く発売されている35ミリカメラのうちには要望に適合するようなカメラが1機種くらいは存在する。

しかし、日本初のハーフサイズ・カメラをこれから普及させるとなると事情が全く違ってくる。いくら良いカメラを作っても、その1機種だけではあらゆるユーザーの満足は得られず、広くは浸潤していかない。多くの人に使ってもらえるようにするには、各階層のユーザーの要望に合わせた幾機種かのカメラを提供する必要が出てくる。ハーフサイズは他では売っていないカメラだけに他に頼ることはできない。そこで最初の1機種に留まらず、シリーズ化させて、すべての要望に応えられるようにこれから用意するしかないと考えていた。

初めてのハーフサイズ・カメラとは言え、シリーズ化の発想のない時代に、しかも学習研究用カメラなのに、更にそのカメラをシリーズ化させる必要があるとはなかなか言い出せる環境ではなかった。

2本立てのカメラシリーズ

1機種だけではユーザーの満足は得られないため、各階層のユーザーに合わせてシリーズ化を行なった。
ホームカメラシリーズには機械が苦手な女性でもカメラを簡単に使えるペンEEとペンEESを充当させ、サブカメラシリーズにはレンズ性能の切れ込みの良さと高級感のある外観デザインのペンSとペンDを充当させた。

オリンパスの歩み「カメラの歴史」
2本立てのカメラシリーズ

ハーフサイズ・カメラの1号機はライカの横に提げてもおかしくないサブカメラを目指して設計を進めてきた。6千円というライカの1/30の価格設定なので、とても対等に競い合うカメラではない。あくまでもサブカメラとして設計を進めるのだが、必要条件として、レンズ性能の切れ込みの良さと、オモチャっぽくならないような外観デザインには意を注いだつもりである。

サブカメラとしても更に高級なカメラを望まれるユーザーも多いから、上級機種にS型、D型を用意し、合計3機種でサブカメラに充当させることを考えた。

冒険的とも言えるハーフサイズのカメラを作ると決めた時、サブカメラを目標とすること以外に、もう一つの大きな採用理由があった。それはシャッターボタンを押すだけで写るホームカメラへの展開である。

誰にも簡単に写せるようになった現代では想像もつかないであろうが、当時の撮影技術は大変難しく、まともな写真が写せなかった。シャッターボタンを押しただけではピンボケになったり、真っ白くなったり真っ黒くなったりして写真にはならない。写真技術を勉強して、ピントや露出をその都度マニュアルで調節しなければならなかった。それが結構厄介な作業なので、結局、機械好きで、写真好きの男性のみが使う事となり、カメラの購入者の98%は男性が占めていた。

しかし、家庭内の記録となると主婦の方がチャンスは多いはずである。何とか女性にもカメラを使わせたい、と当時としては尋常でない発想を持っていた。

そこで、カメラにも内蔵され始めた露出計を使って明るさを測り、後はメカニズムを駆使すれば、露出量の自動調節化は技術的に何とか手が届く。

問題はピント合わせである。まだオートフォーカス用のICもなく、自動化ははなはだ難しい。そこで焦点距離が短いほどピンボケしにくいというレンズの持つ性質を利用する計画を立てたのである。35ミリ判の標準レンズが50ミリなのに対し、ハーフサイズは28ミリと短くピンボケしない。まるでオートフォーカスを組み込んだようにピント合わせが不要となる。後はシャッターボタンを押すだけで写るホームカメラが作れると判断し、あえてハーフサイズを採用したのである。

カメラは男性専用の機械で、女性ユーザーを意識したホームカメラという発想がまだ存在しなかった時代ではあるが、サブカメラ同様に3機種用意することにした。合計6機種のシリーズ展開を必要としても、これはあくまで構想であって、1機種に全力投球する当時の風潮の中では、到底口には出せない事柄であった。