見つける・つながる・楽しむ! 写真投稿コミュニティ「Fotopus」
現在位置
ホーム > 写真投稿コミュニティ フォトパスTOP > カメラ開発秘話 オリンパス スピリット 拝啓 設計者より >

Vol.09:シリーズ化計画の余禄

拝啓 設計者より
Vol.09 シリーズ化計画の余禄
ハーフサイズカメラの普及を目指して
昭和35年より有名文化人による作品展「ペンすなっぷめい作展」が全国で開催された。この作品展は第11回(昭和45年)までに全国100ヶ所以上で開催される大規模な写真展に発展した。
昭和45年開催 第11回「ペンすなっぷめい作展」

出品者(敬称略)
松本 清張、黒柳 徹子、高橋 圭三、佐々木 信也、岡本 太郎、瀬戸内 晴美、三遊亭 金馬、新玉 美千代 他。
ペンで使用されたイラスト
ペンで使用されたイラスト

イラストは、当時中日新聞や東京新聞に4コママンガを連載していた人気漫画家の佃 公彦氏にお願いした。

上級志向

絵を描くもよし、編み物をするもよし、これから何かを作ろうとする時、先ずは完成したあかつきの姿かたちを頭の中に描くものである。その楽しみがあるからこそ面倒な事も苦にせず取り組めるし、なかなか思い通りにならなくても何とか良くしようと努力する。

カメラを作る時も全く同じ感覚である。あれも付けたい、これも付けたいと思い描きながら、少しでも理想に近づけようと取り組む。

35ミリ判の撮影画面を半分に切って、ハーフサイズのカメラを作ろうと考えた頃、他社にも同じ発想の動きがあった。18×24ミリのハーフサイズとは違うが、35ミリ判を小さくして24×24ミリの正方形の撮影画面にしたマミヤ・スケッチというカメラがそれである。その設計にまつわる話を、設計者の宮部甫マミヤ専務から直接お開きしたことがあった。

マミヤ・スケッチも最初はシンプルな仕様でスタートしたが、議論を重ねるうちに、少しでも良いカメラにしようと、距離計も付けたい、フィルムはレバー巻き上げにしたい、コマ数計も自動復元したいと次第にスペック・アップしていった。最終的には「オリンパス・ペン」の2倍以上も高価な12,800円になってしまったと述懐されていた。

物作りの構想段階では、少しでも良くしようと、上級機志向からくる努力の過程を経るのが常である。それが技術の発展に繋がっていくのだが、時には目的の役割を越えてしまうこともある。

割り切った発想

「ペン」を設計する時も同じであった。大学出たての若造のやることだから、夢ばかりが先行して大きく膨らんでいた。ライカを愛用していたので、当然のことながら上級機志向は強かったと思う。

しかし、18万円もするライカに比し、その1/30という6,000円の「ペン」との価格差は如何ともし難い。更に、小さくした画面サイズの限界を考え合わせた時、主な写真はメインカメラのライカで撮り続けることになる。

通常ならこれから設計するカメラを、最初から補助的に使うサブカメラにしようとは誰も考えないものである。ただ、初設計のカメラとは言え強烈な外的制約要因によって、やむなく特定の機能のみに特化した、サブカメラに徹するしか方法のない状況下に置かれていた。しかも、ハーフサイズという新ジャンルを開拓するとなれば、「ペン」1機種だけでは全ての分野を補完することはできない。他に補うカメラのない新しい世界だけに、「ペン」カメラをシリーズ化させて幾機種かのカメラを作り対応させようと考えた。そのシリーズ化展開からくるスペックの配分や要因分析から、「ペン」の上級機種として「S型」「D型」を配備することにした。複数機種の展開により、スペック・アップという魅惑的なテーマの誘惑や願望は全て上級機種に委ねると決め、心の中からさらりと捨て去ることが可能となって、これも割り切れた。そして、最初の「ペン」を設計する時、既にシリーズ化の中でこのカメラをサブカメラの基本形とすると、その位置付けを明確にしていた。どこにウエートを置くかは重大な選択肢だが、特化する機能をレンズ性能とスタイリングの2項目に絞り込み、そこだけはメインカメラに引けをとらないようにと意を注いだ。

際限なくスペック・アップを求めがちな作業の中で、そんなふうに冷静に評価でき、サブカメラとして割り切れたのも、実は、必要に迫られて展開した「ペン」カメラのシリーズ化計画という発想から、心にゆとりを生みだし、その余禄からくるのであろう。

第11回「ペンすなっぷめい作展」
開催された当時の様子
ペンすなっぷめい作展
ペンすなっぷめい作展
仙台 藤崎 6階催事場

ペンすなっぷめい作展
大阪 阪神百貨店
サブカメラの反響

第1回の「日本カメラショー」が昭和35年3月1日から7日まで東京・日本橋の高島屋で開催された。日本で初めてのカメラショーとあって大変な人気を集め、1日1万人を超す入場者で会場内はひしめきあい、ごった返していた。カメラメーカーの各社にとっても、全社が一堂に会してショーを開くのは初めてのことでもあり、力が入って、44社から新製品33機種を含む300機種が出品されるという大規模なショーとなった。

「オリンパス・ペン」を発売開始した半年後で私もアテンドブースに立っていた。ブースの前は人垣が幾重にも取り巻き、カメラを手に取ったり質問したり、後方から憧憬の眼でじっと見入る人もいた。

肩からライカを提げた白髪の老紳士がやって来て、「私は30年来このライカを使っている。日本のカメラも随分良くなったが、まだどれも使う気にはならない。このオリンパス・ペンを見て、初めて日本のカメラを使う気になった」と言われた。

各社の技術者も必死に努力し追い駆けているのだが、対等に比較されるとまだライカに1日の長のあるところが目に付くのであろう。「オリンパス・ペン」のように、シリーズ化発想の余禄から、ライカの存在を認めた上で、そのサブカメラに徹した割り切り方が、かえって日本のカメラの印象を良くしたのであろう。

オリンパスペン 500万台突破 プレゼントセール
オリンパスペン 500万台突破 プレゼントセール ポスター

ペンを買って万博を写そう

1970年に大阪万国博覧会が開催されたこの年、岡本 太郎作の太陽の塔を前面に配置したポスター。金賞は1万円の旅行クーポン券だった。

オリンパスの歩み「カメラの歴史」
追随カメラへの対応

昭和33年頃までは月産・数百台のカメラが多く、大ヒットした「オリンパス・ワイド」と「オリンパス・35S」がやっと月産千台に届いた頃である。「オリンパス・ペン」は最初からそれらヒット商品の5倍の月産5000台の計画でスタートしたが、発売後その人気は沸騰し、造っても造っても品不足の日々が続いた。

各社も黙って見ているわけにはいかなくなり、翌年、昭和35年3月末ペトリハーフ、4月ニコンS3M、翌々年の昭和36年2月ヤシカラピード、10月にタロンシークと、「ペン」追従機種のハーフサイズ・カメラが各社から続々と登場してくる。更には、明るいレンズの付いたフジカハーフ1.9、コニカアイ1.8、キヤノンデミEE1.7などが発売され、そのつど慌てた営業部門から報告が届く。それまでの独占市場が激戦市場に変わるのだから、当然の反応である。しかし、ハーフサイズの可能性を拡大し普及を促進してくれるのだから、歓迎こそすれ慌てることはない。最初に構築したシリーズ化計画に沿って、サブカメラの「ペン」「ペンS」「ペンD」、ホームカメラとしての「ペンEE」「EES」「EED」とシリーズ6機種を着々と開発していった。

いつのまにか生産台数も35ミリ判を越えてハーフサイズ・ブームの到来となり、10年間に各社から60機種以上にものぼる新しいカメラが登場するに至った。これだけ猛追されると占有率も20%前後に落ちるのが通例だが、「ペン・シリーズ」は最後まで市場占有率60%を割ることはなかった。

新しいジャンルのハーフサイズを広く普及させる目的から、最初に描いた新しい発想のシリーズ化計画が適切であったことを如実に示してくれたものと思える。