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Vol.14:“常識”という名の壁

拝啓 設計者より
Vol.14 “常識”という名の壁
“二つの壁”

何か新しい仕事を始めようとすると、いつもその行く手をさえぎるように二つの障壁が立ちはだかってくる。一つは、不可能を可能にしようとするときにぶつかる“技術の壁”であり、もう一つは形の見えない“常識という名の壁”である。

“技術の壁”はメカニズムの構造で全体像が見えるだけに問題点も具体的となる。新しい発想について技術者間では議論もできるし、良い案なのか、はたして可能性があるのかを試作をして確かめることができる。

一方、“常識という名の壁”は不特定多数の胸の内にあって姿かたちが見えにくい。探り出そうとしても、各分野に跨った多数の人の心の内をリサーチするのは難しく、議論は空中論になりがちとなる。互いの立場からみれば相手方の意見を容認しにくく、話し合ってもすれ違うばかりでなかなか的を射たものにならない。

しかも、既に胸の内で長年の経験によって培われてきた“常識”なるものは、一度定着するとなかなか変えられない。それだけでなく、いつの間にかそれに縛られて発想の柔軟性を失い、“常識という名の壁”となって新しい時代への変革を拒む。

結局、議論の中からは答えが得られず、新製品を発売してみない限り壁を打開する道の是非を確かめることが出来ないし、発売してからでは遅すぎる厳しい“壁”である。

ユーザー層の分析

第二次大戦後、工業立国を目指し、輸出産業の旗手として世界に羽ばたいたカメラも、当時は高価な希少価値のある存在であった。

昭和29(1954)年にドイツから最新鋭のカメラ・ライカM3が発売され世界中の話題をさらって、追い上げる日本のカメラメーカーも一斉にその後を追う事になった。

サラリーマンの数年分もの全給料を必要とするライカM3は別格としても、日本製のカメラでさえ2万円~8万円。当時の平均月収が1万円前後の時代なので、現在の平均月収30万円に換算すると当時のカメラは今の自動車並みの高額商品となり、掌に入るほど小さくても精緻なカメラは正に高嶺の花だった。

しかも、高価なカメラほど多機能で目盛も多く付いている。それがまた応えられないほど魅力的なのだが、全ての機能を使いこなすには撮影技術をマスターしなければならない。

性能もよく、正しく使えば現代にも負けない素晴らしい写真の出来映えとなるのだが、ボタンを押すとすぐ写る今とは違い撮影に失敗する事も多い。しかし、それなりにその失敗がまた楽しい。操作法の判らなかった高級機能を使いこなすための苦しくて楽しい挑戦が始まるからである。

そんな事から、若い人の羨望の的であったカメラも、実際の購入者は年配の高額所得者が中心となり、機械いじりが好きとか、写真好きの男性が97.3%と購買層の大半を占めていた。

女性にとってカメラは高価すぎるし、使い方も面倒なので毛嫌いされるのか、女性購入者はわずか2.7%に留まるという環境下であった。

当然、カメラ界では女性向けのカメラは眼中になく、少しでも目盛の多く付いた高機能のカメラの開発に懸命であった。

女性向けのカメラ

そんな頃「オリンパス・ペン」を設計し、ハーフサイズの普及に乗り出した。

昭和34(1959)年5月6日に発表した日本初のハーフサイズ・カメラ「オリンパス・ペン」は、当然ながら、まだ一機種しか存在しなかった。35mmカメラ並みに普及させるにはもっと多くのユーザーの要望に応えられるような各種のカメラが必要である。

そこで、「ペン」のシリーズ化を考えた。一つは2台目カメラとしてのサブカメラ・シリーズであり、もう一つは初心者用のEEカメラ・シリーズである。

ハーフサイズ普及化の主役は後者のEEカメラだが、ユーザーには初めてカメラを手にする真の初心者もいれば、カメラはよく知っていてもいちいち操作するのは煩わしいという無精なユーザーもいる。

家庭内での出来事を記録する主婦も初心者の一人で、このシリーズには、これまで無視されてきた女性も重要なターゲットとなるはずである。

初心者はカメラをいろいろ操作するのが難しい。そこでシャッターボタンを押すだけで写る「ペンEE」なら使ってもらえるだろうと考えた。

以上のような思考過程は全て頭の中だけの考察でまさに机上プランであった。

駆け出しの設計者にとって、女性が購買層のまだ2.7%しかいないなど市場調査のデータを知る由もなく、若いが故になしえた無謀な提案であった。

案の定、形の見えない“常識という名の壁”によって「ペンEE」は企画会議で見事に拒否されてしまった。