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2007年07月 アーカイブ

2007年07月05日

この一週間。

テーマ: かく撮りき

 ぼくたちの人生は、過ぎ去って行く瞬間の集積だ。
 では、写真を撮るとは、何か?
 その瞬間を、永遠に引き伸ばすことだ。
 だから写真は、愛しいものでありましょう。

6月26日

祖師ヶ谷の「天峰」さんにて。とうもろこしなど、旬の素材を使った揚げたての天麩羅を塩で戴く。締めはみんなで掻揚げ丼。うまい、うまい、うまい。

 一日、原稿書きと取材の仕事で過し、夜久びさに家族で馴染みの天麩羅屋さんへ。ぼくが昔《転校生》を撮影した年齢に、娘の千茱萸さんがもう近付いている、と事務所のはずき嬢が宣う。「まあ!」、と笑っている妻君の恭子さんは、あの頃尾道の現場をショートパンツで駆け廻って御座ったなあ。
 日日の喧騒の中に紛れて、明日には忘れ去られて了いそうなこの一刻も、パチリと一枚の写真に納めれば、永遠に愛しい一瞬となるのでありましょう。

 この店の江戸前風の天麩羅は東京一と好んでくれた古い友、渡辺誠夫妻とここで撮った写真のことなどを思い出す。昭和天皇の時代から皇室の御料理番を務められ、平成天皇、皇太子のお世話までして、先年亡くなられた。宮内庁退職後、恭子さんの勧めで始めたパーソナルなお料理教室の、千茱萸さんは優秀な生徒であり、映画のみならず自らもお料理研究家となるに至る。我が一家にとって、まことに大切な友でありました。
 皇太子殿下がお若い頃、ぼくの昔の《転校生》が大好きであられたという嬉しい話は、渡辺さんが教えてくれたこと。後にお会いした殿下は、「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」、と笑ってらした。それで完成したばかりの《ふたり》のヴィデオを献呈したこともありました。殿下青春の日の一挿話であります。
 今夜は帰って、古い友と写した写真を眺めよう。
 これまた、人生の快事かな!

6月27日

事務所にてラジオ収録。《22才の別れ》全国公開のプロモーションもいよいよ始まる。

その後は書籍紹介の取材。今回は山中恒さんの『おれがあいつであいつがおれで』と福永武彦さんの『草の花』を。

 一日事務所で、『転校生・本』の執筆。合間にラジオ収録、「Bookレヴュー」取材。若い読者に推めたい本二冊ということなので、ぼくの青春の一冊、福永武彦の『草の花』と《転校生》の原作となった山中恒さんの『おれがあいつで あいつがおれで』について語る。
 新しい《転校生》を御覧になったある方から、『草の花』の強い影響を指摘された。分かる人には分かるんだなあ、と納得。人生は集積、蓄積だ。映画は、故に人生そのものです。
 夕刻歯医者さん。なかなか通う間が無いのでもう四年掛り。ゆっくり我が歯は再生されつつあります。老年にも再生有り!

6月28日

審査会に2日間出席。テレビ界の名プロデューサー澤田隆治さんと恩地日出夫監督。

 毎年一度はある「民放連」賞選考会。朝から夕刻まで北海道・東北地区の民放制作のヴィデオを見続ける。選考委員同士として、恩地日出夫映画監督、澤田隆治プロデューサーと久びさにお会いする。恩地さんは自作の映画《蕨野行》の上映を、メジャー配給から自主上映に切り替え、これが成功して撮影地の山形ではもう半年、現在も上映中とのこと。澤田さんも廃れゆきつつある古い町中の映画館を活性化する試みを模索中だとのこと。
 世の中も映画のありようも変わってゆくなら、良い未来が望めるよう変える努力もしなければ。

 夜は「学生映画祭」上映会のゲストで。渋谷の上映館は若い人で満席立見の盛況。上映されたのは既に受賞が決まっていたグランプリ、準グランプリの二作品だが、ぼくは事前に昨夜入賞の六作品も見ていた。何れも未来に向う美しさと力のある作品揃い。東京の一隅での受賞上映会なのでつい我われもそれで終らせて了うのだが、当夜上映された二作品などはそのままハリウッドやカンヌなど、世界の人たちに見せたらどんな驚きにつながるだろうか、と思った。
 実際現在の国際的な映画やヴィデオのフェスティバルで優秀な作品を呈出して来るのは学生さんたちに多く、ただ残念なのは彼ら自身に自覚が乏しく、多くが自らをアマチュアだと思い込んでいることだ。それは彼らを取り巻く大人たちの目の欠如でもありましょう。学生諸君にも、これで何処かに就職出来れば程度で満足などせず、世界の映画史に名をとどめるくらいの気概を持って欲しいと望む。プロは、最初からプロなのだ。その自覚さえあれば。
 映画の道を極めるには一生では足りぬのです。二生も三生分も映画に使わねばならぬよ。アマチュアやっている時間は無いぞ! でも学生さんたちと語り合うのはまことに愉しかった!

6月29日

 「民放連」。今日は選考結果発表とあって、作品の制作者も参加。みんなで語り合う。総じて現在のテレヴィの問題は、テレヴィがテレヴィであるという形に嵌り過ぎている所にある。旅番組といえば必ずのようにアイドルギャルかタレントさんが登場して、名物を食ったり風呂へ入ったりする。ぼくの所へも時にそういう依頼があるが、食事と入浴シーンが無ければと答えるから実現しない。しかし誰か食事・入浴シーン抜きで旅番組を作ってみないか。食事も浴場もより魅惑的に表現出来るだろう。
 視聴者は食事・浴場も含めて、風土の味わいよりはタレントを見たいのだという幻想は、テレヴィのみならず現在の日本の映画界までを被っている。アイドル、タレント、文化人、こういう存在を排除した所から、もう一度やり直してみたら、と思わざるを得ぬ惨状ではありますね! 実際にグランプリを献上した作品は、そういう見事なものでありましたぞ。普通の人が普通に生きて感動を呼ぶ。やっぱり作り手の見識こそが、良い作品を生み出す力になる。当たり前のことですよね。

 終ってNHK出版局「植木等さん特集」のためのインタビューに出向く。思い出話が弾んで約束の時間がオーバーするが愉しい。
 ぼくはクレージーキャッツを無名時代から見ている。植木さんは日本の高度経済成長期と共に生きてらした。「スイスイスダラダッタ」の時代である。「分かっちゃいるけど止められなかった時代である」。「黄金の60年代」である。突き抜けるように明るかった、富と繁栄の日本。そしてそれは「日本無責任時代」! そのツケが日本中に蔓延してやり切れぬ今のこの時代、植木等さんは静かにこの世を去られた。
 もっとも植木さん自身はとっくに、いやきっと最初からそのことに気付いていらしたのだろう。だから晩年はすっかり「責任男」のイメージで自己を表現して生きられた。黒澤明、木下恵介の両巨匠の許で古き良き日本人を美しく演じられ、ぼくの《あした》にも出て下さった。孫に未来を譲って自ら替りに死を選ぶ。妻役を演じて戴いた津島恵子さんが最後に植木さんに向って「ありがとうございました」と。
 今もう一度、その言葉を、心から!

6月30日

 古い友人根田家の長女靖子ちゃんの結婚式。顔馴染みの老友もみんな元気で嬉しい。御媒酌人のギャガ・コミュニケーションズ会長依田さんとは初めてお会いしたのだが、氏が何と長野のお生まれとお聞きしてびっくり。《転校生》ロケでお世話になった当市のホテルの社長さんとは幼馴染みだとか! このホテル、60人を超える我らスタッフの名と顔を一夜で覚えられ、翌日からは「○○さん、お帰りなさい」、と笑顔で鍵を手渡される。当たり前のことだがなかなか出来ないことでありますね! 「来週《転校生》拝見します」、と依田さん。再会を期して。

7月1日

 六本木の東京ミッドタウンで有線放送のためのイベントに参加。昭和の時代に就いての番組。8才で“敗戦”、20才で“黄金の60年代”を迎えた昭和の自分史、日本史を語る。この番組も依田さんが会長をされているオフィスのものとは、昨夜に続く御縁の中で生かされている悦び。
 音楽評論家の富澤一誠さんと昭和のフォーク時代と、ぼくの映画《22才の別れ》に就いての対談。愉しい一時を過しながら、富沢さん、「ぼくも生まれは長野です」!

7月2日

 思いがけない“長野つながり”の翌早朝、恭子さんの運転で長野に向け出発。運命に導かれつつ、今日も一日を生きている。その幸せに感謝を!
 長野NHKが《転校生》を番組にして下さる。ぼくが撮影地の旅案内。タレント文化人風に、テレヴィ風にならぬよう気を付けましょう。取材中、たった今《転校生》を見ましたという人にお会いする。わたしは昨日、などとも。公開して三週目だが、里の人はゆっくりゆっくり楽しみながら御覧になるのですね。撮影中、松代でお世話になった方たちとも嬉しい、そしておいしい再会が出来たが、わたしたちは来週、お友だち十二人と、とにこにこと。「若い人は夏休みに入ってからでしょうが、わたしたちは20年ぶりに映画を見ました。まあ楽しかったです!」と今回撮影でお世話になったお蕎麦屋さんの奥さま、またもう一度。ウチコミは、初日の入りは、とわめいているぼくらは、相当おかしな人種ですよね。長野では9月末まで上映が続き、《22才の別れ》にバトンタッチだそうです。

 一夜、ゆっくり長野の夜を愉しみ、明日は群馬へドライブ。「群馬県立女子大学」で講義。『映画の中の女性たち』。今年で三年目の連続授業であります。さあ、若い人たちにまた会えるぞ! 写真を撮り続けながらの旅の日日であります。

学生映画祭にゲスト出演。溢れんばかりの若いエネルギーいっぱいのこの場所に、また、新しい芽が誕生した。

友人御令嬢靖子ちゃんと新郎和雄さんの結婚披露宴に出席。リッツ・カールトン東京にて。

同じ席には恭子さんの同窓生のミッキーに、多岐川裕美さんと安藤満寿子さんが。そこに新婦母の久美子さんが参加してパチリ。

安藤夫人は今年で結婚68年目だとか。ご主人とお二人合せて189歳!お二人ともとてもお若く、本当に素敵なご夫婦です。多岐川さんは僕の映画《あした》に出演。

ケーキ入刀。二人とも笑顔。

靖子ちゃんと妹の祐子ちゃん。祐子ちゃんは大林組スタッフでもありました。

お色直しをした靖子ちゃん。真っ赤なドレスがとてもよく似合う。手前のお花も靖子ちゃんのアレンジだそう。

祐子ちゃんとお友達によるフラダンスのお祝い。なかなかのものです。

ぼくはピアノで二人をお祝い。夏、に合せた日本の童謡3曲を。

ミッキーはハーモニカと歌で。声もしっかり出ており、カッコイイ!

媒酌人で、ギャガ・コミュニケーションズ会長の依田巽さんと奥様の由美子さん。実は本日、奥様のお誕生日とのこと!

最後はみんなでパチリ。

若いお二人の未来には、平和な世界が待っておりますように!

日があけて、二日連続で東京ミッドタウンへ。今日はイベントのお仕事。34階の控室にて恭子さんとパチリ。

GYAO昭和TVチャンネルのイベント。若いお二人と昭和の映画について話す。8月公開の《22才の別れ》のポスターも飾ってくれました。

音楽評論家の富澤一誠さんと。愉しいひと時。よい映画とよい音楽は、いつまでも受け継がれるのですね。

ミッドタウンの会場には大勢のお客さんが。

イベント後、角川映画小林くんと三浦くんとで夕食へ。みんなでお肉を囲む。ここのチヂミもおいしかったなー。

2007年07月12日

アナログからデジタルへ。
 ──篠山紀信さんとの思い出。

テーマ: かく撮りき

今日はNHKのロケで長野へ。霧立ち渡る碓氷峠。真っ白な闇。

《転校生さよならあなた》で、一美の実家として御世話になった蕎麦処大丸さんにて。NHK長野の大湾瑠キャスターと。《転校生》番組の取材で!

店内には、撮影時の集合スナップや美術監督の竹内公一さんが書いた絵コンテ、ポスターなどが飾られていた。

大丸さんのご夫妻と娘さんと一緒に、パチリ。ご馳走様でした!

まだまだ撮影は続きます・・・・・・。

ファーストカットである東之門町の石段にて。普段ここは、あまり人が通らない 道だそう。

映画のラストシーン、戸隠高原の蕎麦畑で恭子さんをパチリ。春になると、一面真っ白な蕎麦の花で埋る。

 写真を写していると、時に思い出すのが篠山紀信さんのことである。写真家の紀信さんとは、若い頃よく一緒に旅をした。京都へ同行したり、ぼくの古里・尾道へ赴いたり、遠くカナダ大陸を放浪したりもした。
 ぼくはいつでも16ミリのムービーキャメラを手にしていて、紀信さんは珍しそうにぼくの手許のムービーキャメラにちらちらと目を遣り、ぼくもまた紀信さんがさっとカメラを構える勇姿を盗み見る。ぼくはムービーキャメラを構えると、一定時間はキャメラを廻し続け、時間の流れの中で作業を行う。ところが紀信さんはさっとカメラを構えると瞬時にして作業を終了する。共に映像でもって世界と対峙することを仕事としていたから、互いが手に持つムービーキャメラとスチルカメラとの違いに、従ってぼくらは互いに大いに興味を持っていた。ぼくがこの頃日日カメラを持って写真を撮るようになってから、カメラを構える度に紀信さんのことが心を過ぎるのは、きっとその故だろう。つまり、「写真って、何だ?」、とふと考えて了うからなんでしょうね。

 カナダのカルガリーへ『スタンピード』というホースレースの撮影に行ったときだった。同行したある企業の担当のおじさんが大のカメラ愛好家で、旅立つ前に紀信さんの用具を調べ上げ、全く同じカメラを購入して旅に出た。現地に着くや紀信さんはさっと仕事を始める。紀信さんがカシャッ! とシャッターを切るや、その姿をじっと見ていた件のおじさんは直ぐ様紀信さんが撮り終えたと同じ場所に立ち、同じ方向に向けてカシャッ!
 何日か経って互いに親しみを覚えるようにもなったあるとき、同様の撮影が終るやいなや、紀信さんが苦笑しながらおじさんにもの申したのである、
 ──あなたが、ぼくと同じカメラを持って、ぼくと同じ場所に立って、ぼくと同じ時間にシャッターを押したらね、ぼくと同んなじ写真が撮れるんですよ。それって盗作じゃありませんかねえ!
 なるほど、絵画や彫刻と違って写真は機具が撮る。それでは紀信さんの盗作説も尤もだなあ、とぼくには紀信さんの困り顔がとても面白かった。おじさんの方はこれまたまことに嬉しそうに、「わあ、それじゃあ今日から、わたしは篠山紀信だあ!」、と両手を上げて飛び上って見せて、危うく崖から落っこちそうになったものだが。
 けれども帰国後写真を現像し、紀信さんの写真の横におじさんが得意気に自分の撮った写真を並べてみて、驚いた。構図も何も一見同じように見える二人の写真だが、何かが違う。よおく見れば見るほど、全く違う。写真が伝えて来る何ものかが、まるで別の世界を写したように違うのである。
 さすがに次第に顔が青ざめてくるおじさんに向け、紀信さんはゆったりと微笑みを浮かべて、
 ──な、違うだろ、全然!
 うーむ、写真とはこういうものか、とぼくも深く頷いたことでありましたね。

 紀信さんはその頃色いろなカメラを使うことに挑戦していた。およそプロフェッショナルが使わないような小型のものや、当時流行し始めたポラロイドカメラなども使って写真集を編もうとも試みていた。どんな機器を使っても、つまりは「篠山紀信」の写真であり、むしろその機器たちがそれぞれに持つ“時代の空気感”を弄ろうと考えているように思われた。“必要は発明の母”である。一つの機器が生まれるには、そこに人間が持つ、その時代の欲望や願いが反映される。紀信さんの機器への関心は、いわばジャーナリスチックに時代と立ち向かおうという試みでもあっただろう。
 紀信さんはとうとう35ミリのムービーキャメラを手に入れ、「連続写真」を撮るという作業をまで始めた。それでぼくは紀信さんをムービーキャメラマンとして起用し、CMを何本か作ったりもした。映画のキャメラマンとは一味違い、まさしく“連続した瞬時の繋り”がそこにはあった。映像がより生命感を持っていた。生きているのであった。  一本まるまる映画をと願ってもいたが、数ヶ月間も紀信さんを拘束するのは無理なことで、これは果たせなかった。

 紀信さんがリオで撮った写真『オレレ・オララ』を、ぼくは自分で16ミリムービーキャメラで再撮し、映画を作ったことがある。20分ばかりの作品だが、ぼくはとても気に入っている作品だ。
 この厖大な量のフィルムを新宿の大きな日本旅館の畳の部屋一杯に拡げて、ぼくは徹夜で編集を行った。紀信さんはぼくの仕事場には入らず、隣室との境目の襖の陰から半身を覗かせて、きちんと膝を正し、フィルムをワンカットずつ選んでは糊付けし繋いでいくぼくの手許に、じっと瞳を凝らしていた。
 互いに一言も無いまま、食事も摂らず、やがて夜が白む頃、ぼくが「よおし、これで終わり」、と手を置いた。とそこで紀信さんも初めてポンと手を叩き、声を上げたのだ。  ──そうか! 映画の仕事っていつ、どのように終るのかと不思議で仕方なかったんですけど、カントクが「これで終わり」、と口にしたときに終るのかあ! そうか、そうなのか! 分かりましたっ! いやあ、ようやく分かりました!!
 「篠山紀信、三十才。きわめて健康!」。これがその映画のラストである。若若しい紀信さんが、カメラを手にジャンプしている。ぼくが山口百恵主演の映画《ふりむけば愛》を作り、その初日のオールナイト、満席の客の中に紀信さんがいて、上映後ぼくの姿を見付け、「百恵ちゃん、綺麗ねえ!」、と笑って握手した。その頃紀信さんも、山口百恵の美しい写真の数かずを残しておられる。それから時代は大きく流れ、ぼくと紀信さんがあいまみえる日も無くなって行った。
 映画はフィルムで作り、写真はアナログでの機器であった時代の物語である。

 あれから三十年! ぼくは今、生まれて初めてデジタルカメラを手に、日日写真を撮っている。いやいや“写真”とは未だ言えない。ただシャッターを押し続けているだけだ。紀信さんは、今どのようなデジタル機器で写真を撮っているのだろう? デジタル機器になってぼくが一番戸惑っているのは、いわゆる“シャッターチャンス”である。アナログの時代にはここぞとばかりに指でシャッターを押すと、すかさずカシャ! と写真が撮れる。しかし今はその感覚が無い。その代わりに良いクオリティーの映像が手に入る。時代がそれを望むのですと、先日オリンパス社の小川治男さんとお会いしたとき、その疑問をぶつけたらそう応えられた。なるほどなあ! 映画だって今は「連続写真」ではない。するするするするとクオリティーの良い映像がスムーズに流れて行くデジタル時代だ。

 昨年ぼくは二本の映画を作った。《22才の別れ》は現在のデジタル機器で。一方今上映中の《転校生》は全編アナログで。この映画を見た人が異常な程の興奮状態になって何度も繰り返し見て下さっているのは、その今は珍しいアナログ感覚故だろう。主演で新人の蓮佛美沙子の評判が良いのもアナログで表現された演技が新鮮であるからでもあろう。「するするするする」ではなく「カシャカシャカシャカシャ」と演技も映るのである。年配の方にはいつか見た昔の映画の愉しさが。若い人には新鮮な驚きが。全編アナログ仕立ての映画は現在は皆無なので、写真や映画に関心のある人は是非見てみて下さいね。懐かしいだけじゃなく、いわゆる“温故知新”としても。

 さて、紀信さん、今は如何お過ごしですか? 紀信さんにとって、今は写真は如何なる存在なのでしょう? 折あらば、そんな話もしてみたい。ぼくは来年70才。紀信さんももう還暦ですよねえ。あの頃は無かったデジタル機器を手にして、また昔のように一緒に旅が出来れば! いっそ念願だった映画を共に作ってみる! ぼくらの時代はアナログからデジタルへ。それは一体、どういう時代だったのか? あるいは、どういう時代であるべきだったのでしょうかねえ!

一美と一夫の通う善光寺北中学校、改め長野県立長野西高等学校にて。たくさんの生徒さんがエキストラに参加してくれた。

撮影時に松代・山寺常山邸でスタッフ・キャストに豚汁やおむすびをたくさんつくってくれたご婦人の方々と。

今回もたくさんのお料理でもてなしてくださいました。ご馳走様でした!

一夫と一美が入れ替る”さびしらの水場”。この重要なセットは全て地元の建設会社サンビーム長野さんが作って下さった。

真冬、一夫と一美が何度も飛び込んださびしらの水場の前には、色鮮やかな菖蒲の花が。

撮影が終了し、立ち会ってくれた21世紀長野映画の会代表の江守健治君と恭子さんとで、イタリアンを。木下恵介監督の常宿でした。

日が明けて、ホテルから見た長野の街。そして、信州の山並・・・・・・。

江守君が夢見た《転校生》完成祝いでお昼。器からはみ出るほど大きい海老!

ヴェテランドライバー恭子さんの運転で長野を出発。群馬へ向います。

帰りも、やはり霧こんでいた碓氷峠。

群馬に到着。群馬県立女子大学にて講義。今年で3年目。学生だけでなく、地元の方々もたくさんいらっしゃった。

講義に参加していた、高崎映画祭の茂木正男さんとスタッフの皆さん。《転校生》を見て大興奮で駆けつけてくれました!

次の日、日活芸術学院で特別講義。多くの若者と触れ合う貴重な時間。

出口孝臣プロデューサーが来社。実は、《転校生》の小林聡美を僕と引き合わせてくれたのは彼。映画の話に花が咲く。

TBSラジオの伊集院光さんの番組に生出演。25年前、正に15歳だった少年から見た《転校生》の話を聞く。充実した時間でした。

TBSの富原さんと角川映画の三浦君、そして、自宅まで僕を送ってくれる頼もしい運転手さんと一緒に。

尚美学園大学で募集する、”高校生映像フェスティバル”募集のチラシ。プロとも大学生とも、また違った作品が出てくるので、毎回楽しみ。「正直」な映像に期 待。

今日は、教授を勤める尚美学園大学大学院で授業。24年前に上映された僕の《廃市》を皆で見る。このリポートで前期が終了。

2007年07月19日

死んだ人ともまた逢える。
 ──お盆には、映画参りもまた良いな。

テーマ: かく語りき

早朝、J-WAVEのスタジオへ向う。《転校生》公開三週目なのに、まだラジオキャンペーンが続いている。町なかの小学校を遥か見降す。

J-WAVE谷崎裕美ディレクターと角川宣伝部の三浦君と。なんとなく《転校生》を語りたいんだね、みんな。

収録が始まるぞ。ラジオは普段着で楽しいね!

《転校生》、《22才の別れ》の資料を前に別所哲也さんと谷崎ディレクター。谷崎ディレクターには千茱萸さんも御世話になっていると。

J-WAVEのスタジオ風景。

終って別所さんと。彼が始めた“ショートショートフィルムフェスティバル”は若い人の未来を切り開きましたね。

 「匂いの出る映画」というものが研究されたことがある。ぼくがまだ子供だった頃の、夢のような話だが、ひょっとして今でも誰かがどこかで研究を続けているのかも知れぬ。つまりは映画から匂いを出すという技術は、未だに完成されてはおらぬのであります。
 匂いを出すことには成功したが、という話を若い頃耳にした記憶はあるけれど、一度出した匂いをさっと消し去ることが出来ないから、次に出した匂いと交り合って何ともひどいことになったという失敗談だった。そりゃそうだろうなあ、とつい笑っちまったが予定外の悪臭の中を鼻をつまんで目を白黒させながら駆け廻っている博士たちの姿を想像して、気の毒なようなおかしいような思いを致しましたね。いや人間とは、一所懸命でかわいいものでアリマス。
 人間は好奇心が旺盛な生きものだから色んなことを考える。自家用車の中にトイレがあればと真剣に考えられた時代があるが、あれはバブル最盛期で車が渋滞で動かず、トイレの我慢に耐え切れなくて困り果てた、我が働く同胞たちの切実な願いでもありましたね。確か小型の携帯トイレなるものが研究開発されたのじゃなかったかしら? 便利が良いのは有難いことでありますが、こんな塩梅で世が進めば「シャワー付き自家用車」なんてものも出て来るかも知れない。通勤途中や仕事帰りのデートの前に、目的地に着くまでに一風呂ならぬシャワーを浴びられれば、これはこれで便利で快適でもあるでしょうが、だけどねえ! まさかこんな阿呆らしい研究をされてる方はありますまいが、これに似た何が有難いのやらって感じの製品もまた、世の中には沢山ありますわな。尤も隣を走っている車のドライバーさんが可愛い娘さんであるなら、シャワー付き車なんてものとも出遭ってみたいものではありますわな!
 ああ、面白い発明品に出合ったことがありますぞ。ライターの横に金属性の爪楊枝が付いている。そして宣う。「これでマッチに勝った!」。おかしいよね、こういうの。

 写真も、それが連続して映る活動写真、即ち映画も、また発明品であります。だからそれまでの絵画や彫刻や音楽や詩文など、他の芸術とはちょっと違います。人間の想像力だけではなく、機器の開発や技術の進化もまた表現に結びついて来る。つまりは文明が生んだ芸術なんですよね。なので匂いまで欲しくなるのは当然の欲求である訳ですが、宮澤賢治という人はもうとっくの昔に「映画には匂いがある」、と語っております。
 それは昔の映画ファンが懐かしそうによく語る、トレイの匂いであったり、フィルムが熱しられて発する焦げ臭い匂いであったり、時にはボウッと炎も吹き出しましたよね。何しろ場内は大勢の人でごった返しておりましたから、その人の匂いであったり。もちろん賢治さんは詩人でもあるわけですから、その精神が映画の中から読み取った匂いでもあったのです。昔映画が未だモノクロオムであった頃、我が家のおばあちゃんはそれを全部カラーで見ておりましたぞ。あの夕焼けは綺麗だったとか、あの草原の緑が風に揺れてたとか。きっと実際にそこにある色彩よりもっと綺麗にね。想像力とは人間が持つ美しい能力。我が家のおばあちゃんはお餅が焼かれるシーンではお鼻をひくひく動かしておりましたから、きっとおいしそうな匂いまでも感じながら映画を鑑賞して居りましたのでしょう。まあ、それは素敵で幸福な映画だったことだろうね!
 賢治は「映画では、死んだ人でも何度も蘇る」、とも申しております。何度も繰り返して見ればね、一度死んだ人もまた生き返って元気に動き出す。昔は映画は何度でも繰り返して見たものです。ラストシーンで「お母さん!」、と涙で見送ったお母さんが、もう一度最初から見れば、若返って元気に働いてくれている。嬉しいものです。そしてだんだん、やがて自分より先に死んでいく母の人生を理解していくことが出来る。何度目かのときには、母の死の悲しみは「お母さん、ありがとう」、にも変化していく。映画と共に人は育ってもいくのです。ありがたいものですね。
 ぼくらはよく、映画を途中から見ました。終ったところでさっと席を取るという理由もあったのだけれども、途中から見る映画というものが何とも不思議で面白かった。突然、スクリーンの中に誰かがいる。何かをしている、生きている。この人はだーれ? 何してるの? 幸せ? それとも今は不幸なんですか? ──あのね、この人生の中で、ぼくらはいつも誰かの人生の、途中から出会って知り合ってゆくのです。この人はどんな人? と一所懸命想像し、理解し合いながらね。それが人の絆を生む力ともなった。そういう力を学ぶことが出来るのも映画だった。映画を頭からラストまできちっと一回見てそれで終わりでは、何だか映画もその中で生きて暮らして死んでいく人の人生も他人ごと。それはさびしいよね。
 賢治はまた、「映画の中では、いつも雨が降っていた」、と語っています。古いフィルムに付いた傷が、スクリーンの上で淡い悲しい雨模様になる。大事に大事に何度も何度も人の手で上映され、人びとに見続けられて来た映画の雨は、だから切なくも愛おしい。人が生きていくって、一所懸命は嬉しいなと勇気だって元気だって貰えるぞ!
 ぼくはそういうことを大切にしながら映画を作ります。この頃では映画もまた「シャワー付き自家用車」のように開発されて来た。「爪楊枝付きライター」は面白いけど、これを実際に愛用する人がどれだけいるんだろう? 文明は人間社会を便利にするべく開発されますが、その文明が生み出した芸術・文化である映画は、どうやら不便な方が面白い。ここに文明と文化とのそれぞれの役割りがあるんでしょうね。

 《転校生》の全国上映のスケジュールが終わります。見て下さった方は何度も何度も。もう繰り返し映画館に通って下さる方も多く、熱いお手紙も戴きます。でも見ない、知らない人もまた多いという、ぼくには不思議な上映です。映画館の前に看板が無い。並んでいる人も無い。インターネットで調べて時間通りに映画館に行く。元もとがぼくの映画は有名タレントやアイドルさんなど出ない、匂いが無いのに匂いを感じたり、死んだ人が何度も生き返ったり、懐かしい雨がいつも降っているような映画ですから、トレンディーで人がわっと群がるようなものではありません。映画館にお一人お一人、わざわざ旅して来て下さったお客様を、ゆっくり温かくおもてなしいたしましょう。ぼくには、映画とはそのような温もりのあるものであって欲しいのです。
 《転校生》の上映がまだまだ続く所もあれば、すぐ続いて《22才の別れ》の上映も始まります。映画館の暗闇の中でまた嬉しく元気に、お会い出来れば良いですね! ぼくは新しいデジタルカメラを手に、夏の旅に出ます。
 皆さんに、暑中お見舞い申し上げます。

本ブログの運営スタッフたちが事務所にオリンパスのカメラを持って来て下さる。嬉しいですね。

これがその新兵器!μ730とE-410!

パチリ!

パノラマ写真も!

行定勲監督が来社。ぴあの取材で女優論を。

取材の轟夕起夫さんと三人で。

台風が近付いている。

ワインを飲みながら。

不思議色の空をパチリ!

USENで昭和ちゃんねるの収録。高橋ディレクターに、湯浅さん!

昭和の音楽を中心に、《転校生》《22才の別れ》の話をして四時間。今日も楽しかったです!

2007年07月26日

お客様に幸せにして貰いました。

テーマ: かく撮りき

NHK FMにてラジオ生出演、スタッフと打ち合わせを。今回は公開放送との事。

《22才の別れ》《転校生》に出演の俳優、斉藤健一君ことヒロシさんのラジオ番組でした。台風直前の大雨だったにもかかわらず、たくさんのお客様が。

前日の台風が去った後の空をパチリ。

宣伝会議主催のパネルディスカッションに参加。この日も、シナリオライターを目指す大勢の方たちが会場に。

中園ミホさん、大宮エリーさん、君塚良一さんと。今をときめく脚本家さん達です。

《転校生》を観に新宿ガーデンシネマへ。ポスター前でパチリ!

映画の後、横ちゃんとお寿司屋さんへ行く。村田雄浩君の巣をのぞく。

 三連休の最後の日、青山学院で『宣伝会議コピーライター養成講座50周年記念スペシャルカレッジ・青山「書く」院大学』なる催しに講師として出席し、それから思い立って新宿ガーデンシネマに封切りもう四週目に入る《転校生》を見に行った。
 表に看板一つ無い映画館に入り、見当をつけてエレベーターに乗ったら一階登り過ぎて了った。ぼくの顔を見て安心したのか、一緒に乗って乗り過ごされた二十代後半か三十代頭くらいの品の良いアヴェックさんも「アラアラアラ」、と再び一緒にエレベーターで一階下がる。どうやらこのお二人も、この映画館は初めてらしいな。
 前の回が既に終った後だったので館内はガラガラ。先程のアヴェックさんを加えても三百人の席に四、五人か。まあいいや、では貸切り状態でゆっくり映画を見直しましょうと座席についていると、それから約二十分。予告編がいろいろ上映され、いよいよ《転校生》上映という頃合にはいつの間にやら館内は約半数の客で埋まっている。そうなのか、昨今では皆さんインターネットで時間も調べて劇場に足を運ばれるから、きちんと上映開始に合わせていらっしゃるわけですね。
 それにしても静かなお客さんだなと見廻すと、ぼくの席は最後尾に近かったのだが、眼前に窺えるお客さんの後頭部には禿頭の方がちらほら。全体に中高年の方が多いって感じですね。映画が始まっても客席はシーンと静まり返っていて、笑い声一つ起きない。
 ──ああ、これはATG(アート・シアター・ギルド)の雰囲気だな、とぼくは思った。
 そういえばこの場所は、昔新宿文化というATGの劇場があった所。ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらのフランスのヌーベルバーグや日本の大島渚さんら、先鋭的にして芸術的な映画群が大人の観客に人気のあった時代で、そういう純粋に映画的な魅力だけで見せる映画を求めて、映画通のファンたちが集まった。あの頃の、身じろぎ一つせずスクリーンを食い入るように見つめて動かない人たちの姿を思い出したのですね。
 《転校生》といえば、中・高校生たちが賑わい、場内は沸き返えるであろうと宣伝部の人たちは期待していたようだが、どう見ても十代から下の若い人の姿は全く見られない。でもこれは、ぼくが内心想像していたのと同じ状態でありましたね。《転校生》とは、実はそういう風に作られた映画であったのです。
 アイドルさんやテレヴィで売れっ子のタレントさんが出ている訳ではない。だから昨今流行のイベント映画になる筈もない。25年前にこの映画を愛してくれた人たちと、静かに再会を果しつつ、「映画」が持つ魅力だけで作ろうと試みた映画。
 故に封切一、二週でリピーターが出始め、この日も帰りしな、「また見に来ます」、と挨拶された方も多かった。静かだが、熱い。25年前がそうだった。映画館では大人たちが見て、子供たちはテレヴィで後から親たちに薦められて見て、ファンになってくれたのだ。尾道にロケ地巡りの若者たちがつめ掛けたが、一人で旅して来るくらいだもの、若いといってもせいぜい大学生から上の大人だろう。
 この日の客席の静かで熱い姿は、ぼくを幸福にしてくれました。終ると皆さんと握手し、パンフレットにサインした。売店で働く劇場のお嬢さん方も嬉しそうににこにこ顔で、まるで昔の映画館のようだった。
 そういうお客様と一緒に映画を見ると、自分で作った映画でもまた違って見えるのが面白い。映画とは結局はお客様がこうやって作って下さるのだ。この日は《転校生》が素晴らしい映画に見えて、ああ良かったなとほっとしたものでした。
 明日は尾道へ。新旧《転校生》の上映と町を考えるシンポジウム。25年の日本の変わりようも語られていくだろう。尾道には昔歩いて行ける所に九軒もあった映画館が、今は一軒も無い。だからホールで上映となります。映画もやっぱり、昔と今とでは随分変わったのだねえ。
《転校生》は25年の違いは勿論あるが、映画自体の面白さは昔と変わらぬはず。これからまだまだ日本中の地方の町を駆け巡ることになるだろうが、昔の映画ファンの方は是非どうぞ。そしてそういう大人の映画愛が、若い人や子供たちにも伝わっていくなら嬉しいな。
 青山大学の催しで、テレヴィでの人気脚本家、大ヒット作品を作られている若い方方の話を聞かせて戴いた。さすが皆さんその中で才能を発揮されている見事なプロたちですが、この世界にもいろいろこの時代のご苦労がおありの様子。ぼくなどの世代の人間には信じられないような事も起こるんだそうです。
 エンタテインメントとはおもてなし。ぼくらはお客のためにだけ耐えたり我慢したりもする。でもそれは喜びであり、それ以外の理不尽な我慢などする必要はさらさら無し。もっと明るく楽しく映画作らなくちゃね。主演の女優が脚本家に向かって脚本の直しを要求する。全編書き直させるなど映画がどんどん低下していく。そんなことが実際に起きているらしい。見せられるお客が実際は犠牲になっているのでは堪らないでしょうね。
 ともあれ、この日のぼくは、素敵なお客様に囲まれて、幸せこの上ない思いを味わっていたのでした。皆さん、ありがとう。

YANASEの会報誌面で元NHKアナウンサーの頼近美津子さんと対談。

編集スタッフの方々。編集長の多岐川さんはなんとご近所にお住まい。

高田文夫さんのラジオに生出演。ナビゲーターの春風亭昇太さんが事務所に来て下さった。実は彼とは、立川志らくさんの映画でお互い“役者”として一度共演しているのです!

はずき嬢のピンクとベージュの色合いが綺麗と恭子さんがパチリ!

プロデューサーの山ちゃんと沖縄帰りの千茱萸さんと森ちゃんがお土産を持って事務所へ。PSCスタッフ4人組をパチリ!!

《転校生・本》編集スタッフ柳谷君と秋田さん、今回イラストで寄稿の相馬君が来社。相馬君は美術の薩谷さんの助手として、長年僕の映画のスタッフとしても参加してくれていた。

みんな集ってパチリ!!!

USEN昭和ちゃんねるの収録で渋谷のスタジオへ。今度昭和ちゃんねるのホームページで僕が1ヶ月ナビゲーターを務めます。

《転校生》新旧ダブル上映会で尾道へ。

《転校生》所縁の中田美術館で久びさに中田さんと3人で。

尾道スタッフと中田一家とでフランス料理で夕食会。みんなの久しぶりの笑顔。

上映会ポスター。いよいよ明後日!

尾道の平谷市長が挨拶に来て下さった。

RCCの収録で御袖天満宮へ。一美と一夫が入れ替る運命の階段。

東京から横ちゃんとメイクの岡ちゃん、はずき嬢が合流。では、続きは来週……。

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