源流をさかのぼると生態系全体が見えてくる 岩合 光昭

インタビュー:2018年8月22日

岩合 光昭 Mitsuaki Iwago

1970年に訪れたガラパゴス諸島で、自然の圧倒的なスケールに触れ、動物写真家としての道を歩き始める。日本人写真家として初めて『ナショナルジオグラフィック』誌の表紙を2度にわたって飾るなど、想像力をかき立てるその写真は世界中で高く評価されている。2012年からテレビ放送されている『岩合光昭の世界ネコ歩き』も大好評。2019年2月には、映画初監督作品『ねことじいちゃん』が全国ロードショー。

パンタナールの水源を見たいと思った理由

南米大陸のほぼ中央に、パンタナールと呼ばれる地域があります。熱帯低層湿原としては世界最大と目されるこの地域は、雨季になると約7割が水没します。このため大規模な開発が難しく、自然が手つかずのまま残されています。その魅力にひきつけられた写真家・岩合光昭氏は、ここ3年間で5回、この地を訪れました。前回のインタビュー『パンタナールの豊かな自然に魅せられて』の後、1か月にわたって撮影した作品を前に、作品の背景や動物写真を撮ることについてお話をうかがいました。

編集委員

パンタナールは地平線が360度見渡せる平原ということでしたが、最初の作品に滝が写っていて驚きました。ここはどんな場所ですか。

岩合

パンタナールに入る手前、パンタナールを流れる川の源流です。パンタナールは北と南に分かれていて、それぞれに源流があるのですが、ここは北パンタナールの源流です。

今回ここに行ったのにはきっかけがあります。この半年前にパンタナールに行ったとき、川をワニの死体が、まるでタライのように流れてきました。少し言い方はおかしいかもしれないのですが、とてもきれいな死体で、それを見たときに全身がぞくぞくとしました。このワニはパンタナールに生まれて、そして死んでいった。そのとき、この流れの源を見たい、源流をさかのぼってみたいと思ったのです。広大な湿原を水源までさかのぼると、この地域の自然環境そのものが見えてくる。それが生態系を成しています。それこそが僕が一番見たいところです。

編集委員

実際に行ってみて、どんなところでしたか。

岩合

とてもいいところでした。風景も素晴らしかった。実は風景写真もたくさん撮っています。このときは虹が見えたのでパチパチと撮っていました。でも、僕の写真だから、やっぱり何か動物がいないと使えないだろうなと思っていたら、ちょうどアマツバメが飛んできた。おう、来た来た、と思って撮りました(笑)。

編集委員

撮影しているのも、かなり高いところですか。

岩合

崖の縁で撮っています。日本だと、こういうところにはきっちり柵が立ててあって、滝をのぞき込めるようなところまでは行けなくなっているけれど、ここにはそんなものは一切ありません。崖の縁まで行くと、自然の怖さのようなものを感じます。あまり過保護にすると何が危険かわからなくなる。自然の中にいて、人の小ささのようなものを感じることはとても大切だと思います。

圧倒的な透明度が幻想的な作品を生む

編集委員

ここからは魚の写真が続きます。水の透明度がすごいですね。

岩合

滝からさらにさかのぼった、まさに水源の近くです。この辺りでボコボコボコと透明な湧き水が出ています。深いところは7、8メートルあります。水底を蹴ると砂が舞い上がって水の透明度がなくなってしまうので、ウェットスーツを着て水中に潜り、ずっと立ち泳ぎしながら撮っています。

編集委員

水中にたくさんの魚が集まっている半水面の作品は、いったいどうなっているんだろうと何度も見返しました。普通、半水面の写真は、水と空の境目がくっきりと分かれていて、質感もまったく違うのですが、この作品を見ていると、境目が大きく揺れてはっきりしないし、正直なところ水があるのかどうかもわからないくらいです。とても不思議です。

岩合

それだけ透明度が高いんですね。そして、画面の中に光の部分と影の部分があります。水面に魚が浮いてきたときに水面が揺れるので、こんなふうに境目がゆがむんだと思います。ここは川がカーブしていて流れがよどんでいるので、魚が多くいました。集まっているのは、ピラプタンガという魚です。

編集委員

パンタナールの魚というと、ドラードが有名ですね。釣りをする人は、どうしても釣り上げたい魚だとか。

岩合

これがドラード、金色の魚です。この写真は、ドラードと一緒に流れながら撮っています。ドラードは面白い魚で、通過していくときにこっちをにらむんですね。存在感のある魚です。ピラプタンガに比べてドラードは数が少ないのですが、来たらすぐにわかります。

編集委員

この場所には何日くらいいらっしゃったのですか。

岩合

3日いました。それだけいると、だんだんと撮り方も変わってきます。動物を撮影するときは、こちらから近づいていくとダメなのですが、魚は大丈夫かなと思っていました。ところが、そうでもないことが2日目くらいからわかってきた。ドラードが来たと思って動いていくと、向こうもすーっと流れていってしまう。逆に動かないものに対しては、魚のほうが好奇心を持って近づいてきてくれます。

編集委員

それまではじっと我慢して…。

岩合

我慢という感じではないですね。時々仰いで緑を見たりしていました。本当に素晴らしいところなんです。この透明な青い世界に自分がいて、足下がすっとその世界に染まってくるような、そんな感覚になります。すごくいいところです。

アメリカバクとの息詰まる勝負

編集委員

ここからは陸の動物たちの話をお聞きしたいと思います。アメリカバクは、不思議な雰囲気を持った動物ですね。何か物思いにふけっているように見えます。

岩合

このときは、とてもラッキーでした。この辺りはアグリヤシが多いところなのですが、アカハナグマが木に登ってアグリヤシの実を食べていました。食べきれなかったものをポロポロと落とすので下にはアグリヤシの実が散らばっているのですが、アメリカバクはそれをよく知っている。森の奥に入る前に、アメリカバクがそれを食べているところでした。

バクはとても警戒心の強い動物です。せっかく出会っても、すぐに逃げの態勢に入ります。こちらに気づいたら、どんなに長くてもおそらく5分とは一緒にいられないでしょう。だから、バクを見つけた後は、いつもの“だるまさんが転んだ方式”で近づきました。バクが下を向いたときにささっと距離を詰めて、顔を上げているときは立ち止まる(笑)。だいぶ近づいたときに、ちょうど日の光が森の中から差し込んできました。お願いだからもう1歩前に出てきて、と心の中で願いました。

撮影ではあまり緊張しないほうがいいのですが、いつこちらに気づかれてしまうかという意識があるので、このときはとても緊張しました。バクが行ってしまった後は、喉がカラカラで貼り付きそうでした。特に難しかったのは、近くにアカハナグマがいたこと。アカハナグマが木の上からこちらを見つけて警戒すると、途端にバクにわかってしまいます。だから、木の上の動物を見て、下を見てと、両方に意識を向けながら、喩えは悪いですけれど、おそらくはスナイパーのような感じで進んだ。もちろん、スナイパーにはなりたくないですけどね。

目の前の動物が見せる一瞬の輝きをつかむ

編集委員

いまスナイパーという言葉が出たのですが、スナイパーが狙いをつけて引き金を引くのと、フォトグラファーがここというシーンでシャッターを押すのは感覚的に近いことですか、それとも違うことなのですか。

岩合

違うと思いますね。むしろ真逆の世界ではないでしょうか。スナイパーは(動物を撃つという)目的性がはっきりしています。僕が写真を撮るのは、それとは違って相手がどうなるかということに興味があるのです。こちらの意図とか意思は、はっきり言ってありません。

編集委員

状況に合わせてこの光で撮りたいとか想定することはあると思うのですが、それはあらかじめ決めたものを撮るのとは違う…。

岩合

そうですね。自分で先にイメージを作りすぎてしまったときに、そのイメージは果たしてどうなのかと思うのです。わかりやすく言うと、人の考えることにはリミットがある。イメージしすぎると、できる写真がある程度決まってしまいます。けれど、動物たちはそれを超えていると言っていい。

大切なのは動物をどうやって見るかです。この動物はこんな動きをするんだとか、こうやって食べるんだとか、こんなふうに体をかくんだとか、そういったこと1つ1つを知ることが大切です。そして、動物がその動きによって見せる一瞬の輝きをつかむ。

スナイパーは相手に気づかれたらダメでしょうけれど、写真家は相手が逃げなければ見つかってもかまいません。それでこちらに興味を抱いてくれればますますいい。ただ、バクは警戒心が強いのでそうはいきません。一度、あっ、気づかれた、やばいって感じたんです。そのときは5メートルぐらい後ろに退きました。そうしたら、また食べ始めたので、少しずつ前に進んだ。動物はいったん退くと、なぜか相手を認めるということがあります。そういうやり取りがすごく大切なんでしょうね。そこは本当に真剣勝負です。

文:岡野 幸治