通い続けることで見えてくるものがある 安田 菜津紀

インタビュー:2015年2月17日

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

子どもたちに魅せられて

安田 菜津紀さんにとって、カンボジアはフォトジャーナリストとしての歩みを始める原点になった場所です。16歳で初めてカンボジアを訪れた理由、HIVをテーマにした写真展、高校生を連れて行くスタディツアーのことなど、カンボジアとのつながりについて聞きました。

編集委員

今回は、『カンボジアで出会った子どもたち』というテーマで、未発表の写真を選んでいただきました(このホームページの下部にある「PHOTO GALLERY」に公開)。子どもたちが伸びやかで、目が輝いていて、見ている側にも自然とエネルギーが湧いてくるような写真ですね。色彩の豊かさも印象的です。

安田

カンボジアは、本当に美しい国なんです。冬でも、果物の種をぷっと吹き出せば、そこから芽が出てくるような気候ですから。そういう余裕は人の心を豊かにしますね。子どもたちもカンボジア独特のノリがあって、知らない人にも「遊ぼうぜ」って寄ってくるようなところがあります。

編集委員

シャボン玉や風船で遊んだり、木登りしたり、泳いだり、本当に生き生きしていますね。子どもたちとは、どんなふうに接するのですか。

安田

一緒に時間を共有することを大事にしています。子どもたちに手を引っ張られて遊んだり、一緒にいるおばあちゃんの肩もみをしたりとか。カメラを使って遊ぶこともあります。不機嫌な子がいても、「これタッチシャッターだよ。ほらっ」って液晶モニターを触ってシャッターを切ると、へへって笑ったりするんですよね。自分が触って楽しいとなると、もうそれを向けられても怖いと思わなくなるんですよ。

編集委員

今回の写真は、OLYMPUS PENやOLYMPUS OM-D E-M10のような小さなカメラで撮っているものも多いですね。

安田

小さいカメラは、空間とか時間を邪魔しないですよね。人と人とのコミュニケーションの延長線にすっと入っていきやすいと思います。レンズもサイズが小さめのものが好みで、特に好きなのは17mmのF1.8[※]。自分自身が人に近づいて撮っていくことが多いのですが、このサイズだと相手もそれほど抵抗を感じないと思うんです。それに、肉眼で相手を見たときと、ファインダーを覗いたときの距離感がほとんど変わらないので違和感が少ないですし、明るいレンズなので急に子どもたちに室内に引っ張っていかれても対応できます。もちろん、写りがきれいなのが一番ですね。

M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8

カンボジアに行かなければ、いまの自分はなかった

編集委員

安田さんは16歳で初めてカンボジアを訪れていますね。そのいきさつを教えてください。

安田

すごく私的な話になってしまうのですが、私は中学2年生で父を、中学3年生で兄を亡くしています。人と人が一緒にいられる時間は、実はすごく限られていることをそのときに知りました。そこから「家族って何だろう」「人と人との絆って何だろう」というのが、自分の中で大きなテーマになったのですが、ありふれた高校生活の中で答えを見いだすことはできなかったんです。そんなとき、担任の先生が『国境なき子どもたち』というNPO法人がやっている『友情のレポーター』というプログラムを教えてくれました。それは、いまも続いているのですが、11歳から16歳までの子どもをアジアに送るプログラムで、そのときの派遣先がカンボジアでした。そこで日本とは違う環境で生きている同世代の子たちの価値観や人間観に触れることができれば、何か答えが見つかるかもしれないと思ったんです。

編集委員

初めて訪れたカンボジアはどんな印象でしたか。

安田

最初は、カンボジアに対して身構えていたんです。「裕福な国から何しに来たんだ」って、壁を作られてしまうと思っていたんですね。ですけど、実際は現地で、ものすごいエネルギーで暖かく迎えてもらいました。そのときはカンボジアの言葉は分からなかったのですが、「相手に触れたい」「少しでも近づきたい」という願望さえあれば、言葉が通じなくても時間と空間を共有できることを教えられました。

編集委員

家族や人の絆についても、何か考えるきっかけになりましたか。

安田

カンボジアでは家族の定義が広いんです。スラム街の小屋に子どもたちがたくさん遊んでいて、みんな家族かと思ったら、隣村の子やどこの子か分からない子まで混じっていたりします。プログラムでは、『若者の家』という自立支援施設にも行きました。そこで、同世代の子ととても楽しい時間を過ごしたのですが、そこでも彼らは「私たちは国の違う兄弟だよね」と、心から言ってくれる。そういう土壌がカンボジアにはあるんだと思います。

『若者の家』では、スタッフの方に通訳をお願いして仲良くなった子たちにインタビューをしました。話を聞いていくと、その子たちは人身売買の被害にあった子たちであることが分かりました。貧困家庭に生まれて、ご家族ともども騙されて、ときには虐待を受けながら働かされた。「自分に付いた値段はいくらだった」「稼ぎが少ないといって殴られたり、電気ショックを与えられた」といった話が続いて…。でも、彼らが感情を込めて口にするのは、自分が辛かったということではなくて、家族のことなんです。「自分はこの施設にいて、食べるものも寝る場所もある。残されている家族のために自分が就ける仕事は何だろう、どんな職業訓練を受けるべきだろう」ということを語るんです。それが自分自身にとって一番衝撃的でした。彼らには、人として生きる上で大事なことを教えてもらったと思います。

編集委員

カンボジアで経験したことは、ご自身にどんな影響を与えましたか。

安田

カンボジアに行ったことで、私自身、人に接する姿勢が少しずつ前向きなものに変わっていきました。そして、自分にいろいろなものを与えてくれたカンボジアにお返しをしたいと、自然に思うようになったんです。当時はまだ高校生だったので、できることは限られていましたが、現状を伝えることで何かを変えるきっかけにならないかと、出版社を片っ端から当たって、自分が見聞きしたものを書かせてもらったり、写真という手段を手にしてからは、カメラを持ってカンボジアを訪れるようになりました。

ある家族に寄り添うことでHIVの本質が見えてきた

編集委員

カンボジアのHIV(ヒト免疫不全ウイルス)をテーマにした写真展が始まります[※]。取材のきっかけを教えてください。

安田

2009年に訪れたときに、首都プノンペンでは開発が急ピッチで進んでいて、スラム街の住人が強制的に追い出されることがたくさんあると聞きました。それで、あるスラム街に足を運んだんです。そこで、たまたま住人が「この集落の中で、あそこにエイズの人たちの村がある」と言ったんです。何だろうと思って行ってみると、緑のトタンで囲われた一角があって、そこにHIVの感染者を抱えている32家族が、行政によって寄せ集められていました。

編集委員

そこでは、どんなものを目にしましたか。

安田

最初に入っていったとき、1人の男の子がわーっと寄ってきたんです。「あんた、どこから来たんだい?」みたいな感じで。それで、「お客さんが来たぜ」という感じで、彼がいろいろ連れ回してくれるわけです。その子がトーイ君。そこから、この村の人たちとお付き合いが始まりました。ある日、トーイがいつもとは全然違う浮かない表情をしていたんです。「どうしたの?」と聞いたら、「今日はお母さんが病院に行く日なんだ」と。そこから少しずつお話を聞いて、いろいろ分かってきました。カンボジアでは貧困層にも売買春が横行していて、お父さんが外でHIVに感染した。それがお母さんにうつり、お母さんはそれに気付かないままトーイを産み、母子感染によってトーイ自身も感染した、と。トーイはすごくわがままで自己主張が強いところがあるのですが、お姉ちゃんに聞くと、昔は学校に行っていたけど、友達の親御さんが「あの子はエイズの子だから、遊んじゃいけません」と言って遠ざけてしまう。それで、最近はあまり学校にも行っていないんだ、と。あれだけ自分のことを見てほしがるのは、少しずつ傷付いてきたものの表れなんじゃないかと理解するようになりました。

編集委員

HIVをテーマにして、これまでも何度か写真展を開かれています。長くこのテーマを追い続けている理由は何ですか。

安田

最初は特別な知識がなかったので、単純にHIVは病気の問題だと思っていたんです。でも、トーイと接するうちに、これは人の意識の問題でもあると思うようになりました。例えば、トーイが学校に行けなくなるのもそうだし、お母さんが「あの人は感染しているから」と言ってなかなか仕事に就かせてもらえないのもそうです。

それは、支援の仕方の問題でもあります。ある日、村のお父さんが薬を受け取っていたにもかかわらず亡くなった。なぜかと言ったら、外国からどんどん薬が送られてくるにもかかわらず、お医者さんに正しい服薬指導ができる知識がなかったからです。

1つの国、1つの村に行き続けることで、問題の本質が見えてきます。写真展ではこの村でここ5年間に起こった命をめぐるドラマを、時間軸に沿って見てもらいたいと思っています。

安田 菜津紀 写真展『君が生きるなら-HIVと、子どもたちと-』オリンパスギャラリー東京(2015年4月9日~4月15日)、オリンパスギャラリー大阪(2015年5月7日~5月14日)

自分がしてもらったことを次の世代に

編集委員

ここ数年は、カンボジアへのスタディツアーを実施していますね。たんなる観光ではなく、ポル・ポト政権下の刑場跡や地雷除去現場などを回っています。ツアーでは、『チャレンジ枠』を設定して、高校生を平均2人ずつ無償で連れて行っていますが、やはりご自身の経験が大きいですか。

安田

私自身、母子家庭で育ってきて、自力で海外に行けるような家庭ではなかったのですが、『国境なき子どもたち』にチャンスをもらって、カンボジアと出合いました。カンボジアに行っていなければ、いまの私はなかったと思います。

カンボジアから帰った時点で、いつか自分が大人になったとき、同じような立場の高校生に同じ機会を返していこうと決めていました。それで、2010年から旅行会社さんと組んで、カンボジアを一緒に見て回るスタディツアーを組んでいます。2012年からは経済的事情や東北で被災したなどの環境的な事情がある子たちを平均して2人ずつ選ばせてもらって、無償で連れて行っています[※]

編集委員

高校生はどんなところに行って心を動かされていますか。

安田

彼らが一番反応を示すのは、カンボジアの子どもたちと接するときですね。スラムの移動図書館事業に参加したり、日本語教室をやっている宿舎で2泊3日過ごすときに、少し年下の子どもたちが、本当のお兄さん、お姉さんのように、彼らのことを慕うんです。そして、子どもたちと真っ正面から向き合うことで結ばれる人間関係が、とても心に残るようです。

スタディツアーは、その10日間で完結するものではなくて、そこで出合ったもの、得させてもらったものを、どうやって少しずつ消化していくかが大切と考えていて、参加した子たちとはその後も密に連絡を取っています。そこまで関係性を長く続けることができて初めてチャレンジ枠をやっている人間としての責任が果たせると思っているので、「終わってからが、スタディツアー」ということを常に念頭に置いています。

2014年からはオリンパスが協賛

文:岡野 幸治