モノクロで表現したキューバの街中藤 毅彦

インタビュー:2018年11月7日

中藤 毅彦 Takehiko Nakafuji

1970年東京生まれ。東京ビジュアルアーツ卒業。ギャラリーニエプス代表。写真集に『STREET RAMBLER』ほか。国内外にて個展、グループ展多数。第24回林忠彦賞、第29回東川特別作家賞受賞。2019年1月28日~2月6日にオリンパスギャラリー東京、2月15日~2月21日にオリンパスギャラリー大阪で、中藤 毅彦 写真展『STREET RAMBLER-HAVANA』を開催。

自分の価値観が問われるような体験

写真家・中藤毅彦氏は、ニューヨーク、パリ、東ヨーロッパの各地などを訪れて、モノクロで強い印象を与える作品を残してきました。昨年はキューバの首都ハバナを再訪し、人間味あふれる旧市街のようすを撮影しました。キューバの魅力、そしてモノクロという表現手段についてお話をうかがいました。

編集委員

キューバを訪れたのは昨年の夏ということですが、そのときが初めてですか。

中藤

2002年に一度訪れているので2回目になります。その頃、自分自身のテーマとして、もともとそうだったところも含めて、社会主義諸国を撮っていたんです。東ヨーロッパ、ロシア、中国、ベトナムと、いろいろ行きました。当時、キューバはフィデル・カストロ元首が健在で、現役の社会主義国を見たいと思ったのが、撮影に行った大きな理由でした。

そのときに受けた印象が強烈だったんです。人々の日給は1ドルくらいで、とにかくお金がない。100年以上前のスペイン統治時代に建てられたようなコロニアル調の建物にそのまま住んでいました。インフラもあまり整備されていなくて、とても清潔とは言えないです。それでも、人々は陽気で人懐っこいし、街中に音楽が響き渡っていて、ほとんどの人がダンスができる。お金もモノもないのですが、すごく生活を楽しんでいる感じを受けたんです。物質文明とは違う幸せがあるんだなと、自分の中の価値観が問われるような大きな体験をしました。

編集委員

昨年訪れたのは、ハバナが中心ですか。

中藤

ハバナだけですね。ハバナはそれほど大きな街ではないのですが、観光客が足を踏み入れないような旧市街の深いところに入っていくと、人々の生活がむき出しのまま見えてきます。人と人のかかわりがすごく濃厚なんです。カメラを持って歩いていても、みんなほっといてくれないですね。「ヘイ、チーノ!」って声をかけてくる。チーノは中国人という意味です。彼らには日本人と中国人は見分けがつかないみたいですね。写真を撮らせてほしいという意思を伝えると、どんどん撮らせてくれるうえに、家に上がっていけとか、ラム酒を飲めとか、ちょっと踊れとか、いろいろ言ってくる(笑)。

編集委員

ものすごくフレンドリーですね。

中藤

それで仲良くなると、ちゃんと覚えていて、別の日に街を歩いていると声をかけてくれるんです。ホテルの隣にあるアパートに住んでいたおじさんは、妙に僕のことを気に入ってくれて、毎日、僕が出てくるのを外で待っていました。体中にタトゥーが入った、すごい雰囲気の人なんですけどね(笑)。そのまま家に遊びに行って写真を撮るのが日課になっていました。

その土地を体現している人を求めて

編集委員

作品に出てくる方々は、皆さん格好良くて存在感がありますね。

中藤

最初に言っておくと、キューバ人がみんな格好良くて絵になるわけではないです(笑)。こういう言い方はなんですけど、フォトジェニックな人とそうでない人はもちろんいます。自分が撮りたいと思う人を見つけるのは、やはり大変ですね。

編集委員

最初に誰かと関係ができると、そこから芋づる式につながっていくのですか。それとも、どんどん知らないところに入り込んでいく感じですか。

中藤

それは両方あります。ある人を撮らせてもらって、また同じ場所に行ったら、その人が友達を連れてきていたこともありました。床屋さんを撮りたいなと思って、中に入れてもらって撮っていたら、たまたま入ってきたお客さんの中にえらくかっこいい若者がいたこともありました。撮らせてもらって話をしていたら、その人はコンテンポラリー系のダンサーでした。その後、SNSでやり取りしているのですが、この1年ですごく成功して、いまはスイスで活躍しています。

編集委員

どんな人を撮るか、基準のようなものがあるのですか。

中藤

なんて言うのかな、言葉にするのは難しいんですけど…。その人の発している気のようなものというか。遠くから見てもなにか光っている人っているんですよね。たくさん人がいる中でも埋没しないで、なにかオーラのようなものが出ている。それは、さっきのダンサーのような特別な人でなくて、普通の人でもいいんです。今回の作品に出てくる葉巻を吸っているおばあちゃんはごく普通の人です。いまたばこは健康上の問題から多くの国で公共の場では吸えないし、たばこを吸うのがいいことかどうかわからないですけど、この葉巻の吸いっぷりはそんなものを吹き飛ばすエネルギーがありますよね。

ネコを抱えたおじさんも、普通の人です。このおじさんの家で撮ったのですが、ギターを出して弾き始めたら、これがうまいんですよ。彼らは、その土地を体現している人のような気がするんですよね。

撮る・撮られるという関係性のもとに対峙

編集委員

人物をとらえた作品を見ていると、フィクションとドキュメントのはざまを見ているような印象を持ちます。被写体の人はなにかを演じているわけではないのですが、素のままとも違うような微妙な雰囲気を感じます。

中藤

撮影のときは別にポーズをつけるわけではないのですが、撮る・撮られるという関係性のもとに対峙すると、たしかに不思議な空気の中で撮る感じになります。こちらとしては、やっぱりその人が持っている内面の良いところを写真に引き出したいというところはあります。いまはデジタルカメラだから、撮ったものをその場で見せられるのがいいですね。ある程度撮ったところで写真を見せると、「おおっ。これが俺か!」というような感じになる。そうすると、さらに協力的になって、もっといいものを引き出せることがあります。

編集委員

1人1人の撮影には、かなり時間をかけるのですか。

中藤

自然なところをその場でさっと撮ることもあるし、それはいろいろです。同じ場所に通うこともありますね。今回、自動車修理工場には毎日のように通いました。最初は彼らも撮られることをすごく意識していたんですけど、だんだんと僕が空気のような存在になって、そのうちにこちらには目もくれずに普通に仕事をするようになりました。そうなったほうが面白い場面が撮れることもありますね。

光と影の世界に現実を作り替える

編集委員

これまでのほとんどの作品と同様に、今回もモノクロで撮られています。主にモノクロで表現する理由を教えてください。

中藤

現実の世界は色彩にあふれているんですけれど、モノクロは白と黒、光と影の世界に現実を作り替えます。そうすることでイメージを強めることができるし、核の部分を引き出すこともできると思っています。自分の場合はモノクロームならなんでもいいというわけではなくて、コントラストを調節したり粒子感を乗せたりして、イメージをより強めるような作業をしています。そこが写真の面白さだと思います。そのままでは、ただの記録になってしまいます。もちろん記録は記録でいいんですけれど、撮る人の表現になるにはもう1つなにかが必要で、自分の場合はそれが自分自身のモノクロのトーンというところはあると思います。

編集委員

撮影のときからモノクロでお撮りになっているそうですね。

中藤

家に帰ってパソコンで作っていくのはあまり好きではなくて、できれば同時進行でやりたいんです。撮っているときに出来上がりまで想定して、撮影現場でぜんぶ済ませています。後でやるのは、明るさなどの細かい調整くらいですね。今回はすべてPEN-Fで撮っているのですが、モノクロプロファイルコントロールの機能を使ってその場でトーンカーブを変えたり、赤フィルターを使って青い空を真っ黒にしたりと、その場で絵作りします。シャッターを押した段階で、最終的な仕上がりに近いものが撮れるわけです。自分の気持ちが一番ホットなときに、もう画面までできているわけですから、それはテンションが上がりますね。

ぎりぎりのチャンスでとらえたキューバ

編集委員

海外に撮影に行くときは、どんなテーマを持って行かれるのですか。

中藤

最終的に、僕が撮りたいのは街の写真なんだと思うんですよ。建物があって、街並みがあれば街になるわけではなくて、そこに人間がいるから街なんですね。ポートレートも街のディテールもランドスケープも、すべてを入れて構成した何十枚かで1つの作品と考えています。人間は、その街を構成するとても重要な要素です。例えばハバナの人を撮ってその組み写真に入れると、ハバナの街の感じが生き生きと出てくるんですよね。

編集委員

キューバの写真展が開催されます。どんなところを見てほしいですか。

中藤

いま、キューバはどんどん変わってきています。観光客が増えてお金を落としていくから、貧富の差も出てきています。資本が入って、街はもっと整備されてクリーンになるかもしれない。この国が持っている良さを残したまま変わってほしいと思いつつ、でもすごい勢いで思わぬ方向に変わっていくのだろうなとも思います。いまがキューバならではの幸福の有り様を撮れる最後の時期なのかもしれません。ぎりぎりのチャンスでとらえたキューバの人々と街の姿を見てもらえたらと思います。

文:岡野 幸治